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10月12日はコインランドリーが恋しい


こんばんは、 広野です。

帰宅早々、
米を買い忘れたことに気づき、
先ほど通った道を戻る羽目になりました。

何となく同じ道を通るのが嫌で
わざわざ迂回してコインランドリーの前の道を。

コインランドリー、とても好きです。

自分は滅多に利用しないけれど、
外に溢れる洗濯用洗剤の香りは
東京も、名古屋も、静岡も同じ。

ガスの熱気を含んだその香りは
 いつも私に安堵をもたらしてくれます。

 実家の近くにコインランドリーがあり、
バスが停まるすぐそばだったので、
 広野にとってはとても馴染み深い場所。

朝は利用している人が殆どいないから
気にしたことがなかったけれど、
帰宅時はいつも屋外にふんわりと
コインランドリーの匂いがした。

名前は忘れた古文の単語帳を閉じて
教材でパンパンの鞄を背負うと
いつもコインランドリーがあった。

英語は得意じゃなくて、
いつも古語の単語帳を読んでいたな。

対して得意なわけではなかったけれど、
それでも日本語を学ぶのは好きだった。

東京のコインランドリーも
例には漏れず夜の安らぎの香りがする。

おかえり、というような。
おつかれ、というような。

あの香りに何度、
謎の涙を浮かべただろう。

コインランドリーは、
いつも表現できない「疲れた」の気持ちを
拾ってくれていたような感じがする。

今日は、単純に米を買い忘れただけで
帰路にある毎度お馴染みのスーパーへ向かった。

このスーパー、
安いんか高いんか全然わからんが、
パンと惣菜のクオリティはピカイチ。


もし私にお金があるとすれば、
こちらのパンを毎朝食べたいほど。

そう言ってもとても安価で、
100〜300円でふわふわのパンがいただける。


以前、母が遊びにきた際に
近所の散歩をしたことがあった。

その際、父と食べる用に
某スーパーでパンを幾つか購入し、
小腹が空いたので、と広野の家でその一つを
食べたことがあった。

母は大変気に入ったようで、帰宅前に
「元気でね」「体に気をつけて」と合わせて
「またパン食べに来るね」と言った程だ。


美味いんだ、ここのパン。


私にとってパン屋さんと言っても
過言でないこちらのスーパーに
私は米を買いに向かったのだ。

萎える。

パン屋なのになんで米なぞ買わねばならんのだ。

しかし金持ちではないので、
仕方なく保存性の強い米を購入しにこちらへ。

一度家に着いたのに〜、と
駄々を捏ねる大人の私を
諭すわけでも、往なすわけでもなく、
包むコインランドリーの香りに
子どものように「仕方ない」と丸め込まれ、
まんまと米と金宮とイカの唐揚げを購入して帰った。

正直、散財。
イカの唐揚げは買わんてもよかったのに。

それが某スーパーの魅力なのだ。

おそるまじ。

帰宅時は、いつもと同じ神社の前の道。

「ただいま。」と社に申し上げるのが日課で、
本日は2回目。

神社を越して気づいたが、
地元のコインランドリーの裏手には
少し大きな神社があり、
母はいつもその社に向かって挨拶していたな、と。

私がしていることは母の反芻で、
好きなパンがの味も、
神社へご挨拶する慣習も、
全て元は母なのだな、と。

つまり母もコインランドリーの香りに
助けられたのだろうか。

高校時代、いつも
スクールバスを降りたそのランドリーに
母と飼い犬が迎えに待っていたのを
今、思い出した。



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