さらば、わが愛 / 覇王別姫
とても暑い日に観に行こう
と心に決めていたので、観てきた。
「レスリー・チャン没後20年」
ポスターにこう書かれていて、
ああ私が生きているうちではあったのだと
彼が生きていた時間と、
私の生きている時間に、
少しでも重なりがあることをうれしく思った
時代が渦のように動いて止まらずにただ進む
その背景の中で、伝統芸能である京劇のスターの二人
蝶衣と小樓
そして小樓と結婚した菊仙
時代に飲み込まれ、溺れ
その中でも変わらない伝統や想いは、
言葉にかえると、愛なのだろうか?
⚠︎ この先、本編の内容に触れる部分があります。
蝶衣がアヘン漬けになり、
そこからどうにか救おうとする小樓と菊仙
菊仙の腕に抱かれ、
母のことを呼ぶ蝶衣に胸がぎゅっとした
どこまでいっても兄弟としての関係であり、
結ばれることのない小樓との関係と
自ら望む立場にいる菊仙への苛立ち
そうであったはずなのに、
母と同じ遊女であった菊仙の腕に抱かれて
ひとつ助かる道へ導かれる姿に、
これが 運命 か
と、なんの抵抗もなく納得させられた
蝶衣の言葉やしぐさ ひとつひとつが
石を穿つように私の心に穴を空けていった
映画が終わりを迎えるその時には、ぽっかりと空いてしまって、立ち上がって一人帰る道が静かだった
中国の歴史の流れはこんなにも怒涛であったのかと
不勉強であるが故に、ついてゆくのに精一杯だった
文化ってなんなんだろうなあ
彼の目が
少ない言葉のひとつが
今もぐっと感情の奥底を掴んで離さない
彼に会いたいと、つよくつよく 思った
2023.8