MIU404最終回が描いた「スイッチ」のリレー
MIU404が最終回を迎えた。
本当に面白かった。
感想は山ほどあるが、今回は私なりに、最終回の考察をしてみたいと思う。
最終回の1番のキーワードは、全体を通してのキーワードでもある「スイッチ」だと思う。
1話で伊吹が、「機捜は、何かが起きる前に、それを止められる」と言っていた。
機捜とは、誰かが悪い方向へ行く前に、それを止める「スイッチ」を押せる部隊である。
そこで働く伊吹と志摩は、二人とも大切な人のスイッチを押せなかったという過去がある。
伊吹はガマさんのスイッチを押せなかったし、志摩は香坂のスイッチを押せなかった。
最終回は、スイッチの連続だった。
一番最後まで、本当に完璧なスイッチのリレーだった。それを書き出してみる。
大まかな流れは、こんな感じだ。
陣馬さん→九重くん→伊吹→志摩→桔梗隊長→豆次→久住
①陣馬さん→九重くん
陣馬さんが目覚める。
陣馬さんの人望によりお見舞いが集まる→その中の一つであるうどんが机から落ちる→九重くんがうどんの話する→陣馬さん目覚める
という流れが正確なのだが、
そもそも陣馬さんの人望は彼の歩んできたスイッチの一つ一つの積み重ねから出来上がったものであり、
いくつもの人生を狂わせてきた久住の逮捕に最終的に繋がるスイッチは、数え切れないスイッチの積み重ねによって始まるのだ。
②九重くん→伊吹
九重くんから連絡がきて、伊吹が目覚める。
成川くんのスイッチを押せなかった九重くんが、このスイッチのリレーに入っていることがもう胸熱....!!「陣馬おき」がかわいい。
③伊吹→志摩
伊吹が志摩を起こす。
伊吹が「志摩ぁぁぁぁ!!!」と叫び、志摩は目覚める。
バッドトリップの時は力なくうっすらと目覚めていたが、こちらでは「ハッ!!!」と勢いよく起きる。
④志摩→(九重くん)→桔梗隊長
久住の乗っている船などを桔梗隊長に報告。
志摩と伊吹のどちらが九重くんに連絡したのか分からないが、分かりやすくするため志摩と表記しておく。
⑤桔梗隊長→豆次
桔梗隊長が現場の監督をすることの許可を豆次に取る。
小さな正義を拾っていくこと、明るい未来を守っていくことのために、スイッチを押していく警察であってほしい。4帰捜であってほしい。
「未来を優先!!」は、とても象徴的な台詞だった。
⑥豆次→(警察の方々)→久住→(大勢の人たち)
404が久住を最終的に逮捕。
久住が作った世界によって、久住は救われない。因果応報なのかもしれない。
唯一、久住の怪我を正しく認識しているのは404だけで、その二人を見つめる久住の純粋な目が印象的。
「生きて、俺たちとここで苦しめ」という台詞は、志摩が言うからこそ重みがあり、このMIU404というドラマ全体への解答だったと思う。
日本の社会問題や、日本人である大衆の嫌なところなどを実感してきたはずの伊吹と志摩が、「𝙸♡JAPAN」と書いてあるTシャツを着て正義を貫く。
「許さないから殺さない」という伊吹の言葉もそうだが、警察はどこまでも清く正しかった。最後までルールを守りながら、久住のスイッチを押したのである。
このように、最終回では誰かが誰かのスイッチを押し、最終的に警察は久住やその他大勢の人たちのスイッチを押すことができた。
もし陣馬さんが目覚めなかったら、もし九重くんが伊吹に連絡を入れなかったら、もし豆次が許可を出さなかったら....久住を捕まえることはできなかったかもしれない。
人生はスイッチの連続である。
スイッチ次第では、バッドトリップの世界線が現実だったかもしれない。そのバッドトリップの先には東京オリンピックが予定通り開催されており、私たちが歩むかもしれなかった未来がそこにはある。
スイッチ、分岐点によってどのように現実が変わっていくのかを、バッドトリップと現実の2通りで描いていた。
そしてさらに興味深いのが、このドラマ自体もスイッチにより変化をしているということである。
最終回の最後の場面は、2020年の夏になった。
新型コロナウイルスは流行し、東京オリンピックも延期。タイトルは、国立競技場にかけた「0」であった。
東京オリンピックの延期が発表されたのは、MIU404の放送中の出来事である。
つまり、この最後のシーンは当初の台本から変更をなされているということだ。元を辿れば、このドラマは春ドラマであり、8月の404の様子が当初の台本で描かれていたのかは不明である。
野木亜紀子先生も、当初はこのドラマはもう少し長かったと言っていた。
MIU404は当初の予定より変更がされている。
もし新型コロナウイルスが流行しなかったら、最後のシーンはどうなっていたのだろうか。
しかし、それを観ることはできない。
志摩が香坂の死を止めることができなかったように、伊吹がガマさんのことを止められなかったように、私たちは「新型コロナウイルスによって変更がなされたMIU404」しか観ることが出来ない。
それは、私たち人類が選んできた、新型コロナウイルスが流行するという「スイッチ」によって生まれたものである。
最後にあえて2020の夏のシーンを入れたのは
「何事もスイッチの連続によって出来ており、このドラマもその一例なのだ」
という野木亜紀子先生からのメッセージなのではないか、と思った。
そしてスイッチは続いていく。
私はMIU404の最終回を観て、上記のことを考え、それをこのnoteに書いた。
そして、それを読んでくださっている方がいる。
その中の誰かが、もしかしたら何か行動を起こすかもしれない。その行動に触発され、また誰かが何か行動を起こすかもしれない。
MIU404から始まったスイッチは無限にあり、それは無限に続いていく。
MIU404は、いつまでも生き続ける。
MIU404というドラマがあったということを忘れなければ、心の中にずっと伊吹と志摩はいるし、彼らはいつまでも相棒なのだ。
だから、最終回を迎えたということはとても寂しいのだが、ずっと彼らのことを忘れないでいようと思う。
MIU404、本当にありがとう!!!!
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