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10代は神格化されすぎている
かなり凄まじいことになっていると思う。世間も一個人達も、かなり10代をなんらかの崇めるべきものとして扱っている。先日に例の祖母と話した時も強く感じて、若い時にはなんでもできる、というような事を言われたのだが、どうもひっかかってしまった。
本当になんでもできるだろうか。そんなことないんじゃないか。
例えば少し真面目に何かを始めたいとする。今から習ったり始めたりして遅いというわけではないだろう。ただ、もっと若い頃からそれをやっている人がいて、その下積みには勝てない。その人たちは仕事にすることだってできるかもしれないが、今からの人はかなりの時間を費やさなければならない。
これはもちろんなにかを始めようとしている人を非難しているわけでは決してない。もちろん遅すぎるなんてことは世の中に存在しなくて、やる気と時間さえあれば、それ相応にその夢みたいなものに近づけるというのもわかっている。
でも、わたしが身をもって思ってしまったのだ。
なにかを始めたりなんだりする時は早ければ早いほど良くて、場合によっては夢を諦める。そんなことばかりで、実際今の成功者たちは幼少からなにかをしていたり、そもそも才能があったりで輝いていることが多い。
話が逸れたが、10代とひとくくりに語っても、10代の中でも若さの区別はある。例えばその中でも10代前半は、それこそ神格化はあまりされていないものの、そこでなにかしらのスタートを切ることができれば将来なんらかの才が身に付いている時期な気がする。
ただ10代後半は、それこそ世間的に、10代前半とは違う視点から神格化されているが、当事者からするとちょっと意味がわからないことになっている。特に高校生活の神格化なんてすごいものだ。某スポーツ系飲料のCMも高校生がはっちゃけていたりする。それはもちろんターゲット層がそれだったり、絵面が良いからとかそういうこともあるんだろうが、「青春」を表現しているんだなと、全く青い春が訪れる気配すらないわたしは少し惨めな気持ちになる。
曲やなんかの作品のタイトルでもある。大抵それは17歳で、早生まれのわたしは17歳だと受験生なのに遊んでていいのか? と真面目ぶっていることばかり考えてしまうのだが、世間的には17歳は高校2年生だった。そんなことはどうでもよくて、なんとなく高校生であれば、尖っていて、キラキラしていて、将来に不安を持ちながらも元気良く進んでいく! みたいな、そんなステレオタイプの像ばかり造られている気がして、全くもってそのきらめきを所持していないわたしはこれまた惨めになる。
煌めく青春を謳歌する高校生じゃなくても、悩みを抱える10代はなんとなくキャラクターとして確立してしまっている気がする。精神の病みすらもサブカルチャー、概念として瀰漫し消費されている。それでいてそのサブカルチャー化した悲しみは、小学生や社会人は黙殺され、中高生大学生のものだとコンテンツ化される。インターネットをある程度使っている人ならばその風潮はなんとなくわかるだろう。病んでるの可愛いだとか、薬がうんぬんだとか。
そんなこんなで色々と事あるごとに崇められる10代後半だが、案外することがない。できないことが多い。世ははっちゃけさせようとするし10代は大事な時期だと叫ぶが、勉強やらなんやらで忙しくて楽しんだり新しいことを始める時間もない。
皆が皆、青春をうまく生きられるわけではなくて、むしろそれに当てはまらない人の方が多いのに、あそこまで全く同じ虚像が生まれているのはどうしてだろうか。