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劇場版プロセカの個人的考察


はじめに

この記事では『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』で明確に説明されていない設定や小ネタについて個人的に情報整理するために考察を交えてまとめていきます。
あくまで個人的な考察であり、正解か不正解かわかりませんけど、楽しんで頂けたら幸いです。
※初手からネタバレ全開なので、必ず先に作品をご鑑賞の上でご覧ください。

閉ざされた窓のセカイについて

主人公たちのセカイとの違い

まずセカイについて公式の説明文を引用します。

現実の世界とは異なる、人々の“本当の想い”を映し出した不思議な世界。想いの数だけセカイは存在し、想いに応じてその姿かたちを変える。

https://sh-anime.shochiku.co.jp/pjsekai-movie/story/

一歌たち主人公組は、各グループメンバーの想いが共通していたため、同一のセカイを皆で共有しているのだと思います。共通点を例に挙げるなら、例えば『幼馴染』や『アイドル』、『RAD WEEKEND』などです(決してこれだけでセカイを共有できた訳ではありませんが…)

そして今回、閉ざされた窓のセカイの持ち主の人たちの想いの共通点は、ざっくりと言語化すれば『挫折』だと思われます(正確に言えば、『挫けたくないという気持ち』です)。腕に怪我を負ってテニスができなくなった人、受験勉強で精神がすり減ってしまった人、漫画家を目指すも中々賞が取れない人、彼らの挫折しかけた心と、それでも心の底ではまだ諦めきれないという想いが繋がり・重なってしまった結果、あの膨大なセカイを生み出してしまったのではないかと推測します。
(彼らをサポートしなくてはいけないミクちゃんからすればたまったもんじゃないですね…)

よって主人公組のセカイと閉ざされた窓のセカイとの違いは単にその規模の大きさだけであり、根本としては同じなのだと思います。

なぜみんな挫折したのか

人の数だけ挫折があり、人口密度が高ければ当然挫折しかけている人の数も増えます。だとしても、中には意地でも諦めずに堪える人間が居ても良さそうなものですが、閉ざされた窓のセカイの持ち主たちは中盤で全員夢を諦める事態となってしまいました。

なぜ一人残らず全員が挫折してしまったのか、それはおそらく、セカイの持ち主同士は良い意味でも悪い意味でも影響し合ってしまうという法則があるのではないでしょうか。
そう考える理由として、終盤に主人公たちの歌が一部の人たちの心を回復させ、その後ミクの「ハローセカイ」によって全ての人の心が回復するシーンがあります。これは主人公たちの想いが、閉ざされた窓のセカイの持ち主たちに伝播し、そこにミクの歌が加わることで加速度的に影響を広めたのだと考えられます。

そして逆に言えば、想いの持ち主たちの負の感情も、同じセカイを持つ他の想いの持ち主に伝播してしまう訳です。またこれにミクの未完成の歌が加わることで事態はさらに悪化してしまい、結果、ミクだけでは手に負えない状況になってしまったのではないかと思われます。

セカイ樹?

開かれた窓のセカイの天井に生まれた木は、Xで誰かが指摘していましたが、おそらく『NEO』の冒頭にでてくる木と同じものと推測されます。

ミクがいる空間は曲のタイトルからもわかる通り "NEO = 新しい" つまり新しく生まれたセカイであり、その世界には『想いのカケラ』を実らせる樹(仮に、セカイ樹と呼称します)が初めからあるのだと思われます。

そして閉ざされた窓のセカイにもセカイ樹はありましたが、おそらくセカイの持ち主たちの負の感情を吸収し過ぎて、腐ってしまっていたのだと思われます。負の感情を吸収していたのは、おそらく自浄効果のようなものだったのではないでしょうか。この効果のおかげでなんとか挫けずにこれていたようですが、映画の終盤ではそれが限界を迎えて、セカイ樹の中から泥が放出してしまったようです。

セカイ樹の泥

セカイの壁を破り、セカイ中のミクだけを狙って襲ったあの泥は何だったのか。これについては『初音ミクの暴走』の中にヒントがありました。

歌詞のフレーズに

「終わりを告げディスプレイの中で眠る ここはきっと『ごみ箱』かな じきに記憶も無くなってしまうなんて」

『初音ミクの暴走』歌詞より抜粋

という部分があります。このことから、あの泥の正体は一種の『ごみ箱』だったのではないかと推測します。
セカイの持ち主の本当の想いを見つけるために存在するミクが、その使命を果たせなかった結果、セカイの『ごみ箱』に捨てられてしまった。このことを、あの泥に飲み込まれるシーンで表現していたのではないでしょうか。

もう一つの可能性として、泥はセカイ樹が吸収してきた想いの持ち主たちの負の感情が凝縮した塊であり、一番最後に吸収してしまった「消えろ!」というミクに対しての拒絶の想いを吸収した結果、文字通りミクを消すために動き出してしまったという考え方もあります。

01

閉ざされた窓のセカイには、大量の砂と破損した『01』が大量にありました。あれの正体についても、『初音ミクの暴走』の歌詞にヒントがありました。

ボクは 歌う 最期 アナタだけに 聴いてほしい曲を
もっと 歌いたいと願う けれど それは過ぎた願い
ここで お別れだよボクの想い すべて 虚空 消えて
0と1に還元され物語は 幕を閉じる

『初音ミクの暴走』歌詞より抜粋

この歌詞のとおりであれば、あの『01』の正体は ”想い” そのものだと推測されます。歌詞では「ボクの想い」とあるのでミク自身の想いのようですが、映画では『01』にセカイの持ち主たちの姿が映り込むことから、彼らの想いが具現化したものとして表現されていたのではないでしょうか。

ただもう一つ、ちょっと怖い説があります。
『01』と言えば初音ミクの左腕に刻まれたナンバーです。セカイの持ち主の本当の想いを見つけるためのサポート役としてミクが存在しますが、仮にセカイの持ち主一人一人にサポート役のミクが居たとしたら、あの残骸は……

(……といっても、ミクがセカイの持ち主に会いに行く際に泳いでいた空間にも『01』は存在したので、さすがにこの説はないだろうと思います)

窓と扉

閉ざされた窓のセカイに浮いていた大量の『窓』については、シンプルにセカイの持ち主たちの『心』を『窓』として表現していたのではないでしょうか。慣用句として使われる「心を閉ざす」と「心を開く」を『窓』に当てはめて表現したものと思われます。明確な根拠はありませんが、想いの残骸が『窓』から放出されているあたりからも、この説が有力な気がします。

対して、閉ざされた窓のセカイが崩壊する直前、一歌たちを元のセカイに帰すために現れた白い『扉』、あれについては最近プロジェクトセカイのゲームそのものに実装された、マイセカイで他のセカイの住人を呼び込むことができる『ゲート』に似たものだと推測します。マイセカイの実装が2025年1月10日に対し、映画公開日が同年1月17日と近いことも裏付けになるかと思います。

『窓』と『扉』は見た目が明確に異なる為、『窓』がセカイの持ち主それぞれのセカイに繋がるゲート…というよりは、セカイの持ち主たちの心とセカイとを繋いでいるのが『窓』なのではないかと思われます。

現実世界への影響

映画ではかなりの頻度で瞬停が起きます。そのきっかけは閉ざされた窓の世界のミクが現実世界に現れた時と、セカイの持ち主たちの心が大きく揺れた時です。
元々バーチャル・シンガーたちは想いの持ち主に会いに行く際、電子機器を経由して現実の世界に姿を現すことができるので、彼ら彼女らは多少なりとも(電子機器経由での)現実世界への影響力を持っているものと推測されます。これはプロセカの世界に存在する物理法則なのだと仮定します。
そして閉ざされた窓のセカイのミクは、膨大な想いの持ち主たちと繋がっていることから、その影響力と行動範囲も通常に比べて大きく、姿を現しただけで瞬停が起きてしまったり、電光掲示板やプロジェクターを跨いで移動したりできたのだと思われます。

では、セカイの持ち主たちの心が大きく揺れた時に起きた瞬停についてはどうでしょうか。これについては、彼らの心の揺れをミクが感じ取った結果、ミク経由で現実の世界に影響が出てしまったものと思われます。ダンスを諦めようとしている男性が携帯に向けて怒声を上げた際、その声にミクが怯えて、電灯の光が少し弱くなるシーンがあることからも、このことが裏付けされます。
そしてミクの現実世界への影響度は、想いの持ち主たちの人口密度に比例するものと思われます。というのも、閉ざされた窓の世界が崩壊する際、停電したのは街全体ではなく部分的であり、ニュースでも専門家がその異常さを力説していました。この停電が起きていたエリアには、おそらく想いの持ち主たちが密集していたのだと予想されます。
またニュースでは、この異常な停電が全国規模で起きていたと報じられていました。これの原因については可能性が2つあり、1つは閉ざされた窓のセカイの持ち主が全国規模で存在した可能性、もう1つは泥に飲まれて全国のミクが消失してしまい、そのミクが居たセカイの持ち主たちが密集していた地域で停電が起きていた可能性です。
個人的には後者の方が有力だと思いますが、仮に前者だとしたらミクはとんでもない数の想いを背負っていたことになりますね…。

他のセカイとの干渉

閉ざされた窓のセカイに一歌たちが初めて入った際、ネネロボが他のセカイの彼らを「位相がズレていた」と表現しました。また、セカイ樹が限界を迎え、泥がセカイの壁を破った際、その泥は他のセカイにも流れ込み、ミクに襲い掛かりました。
これに加えて、バーチャル・シンガーたちが現実の世界に影響を及ぼすことを踏まえると、各セカイと現実の世界は、重なり合って互いに影響し合っているものと推測されます。

大きさ的には、 
 現実世界 > 閉ざされた(開かれた)窓のセカイ > 各セカイ
となります。

映画のラストでは、桜が満開の時期を迎え、アフターライブで開かれた窓のセカイや主人公たちのセカイに桜の花びらが舞い込んできていました。セカイが互いに影響し合っていると考えれば、これも納得できます。

ミクについて

なぜ想い(歌)が届かないのか

個人的な感覚の話になりますが、もし楽しいことがあった時、音楽を聴くならやっぱりアップテンポで明るい曲を流します。逆に悲しいことがあった時は、落ち着いていて今の自分の感情に寄り添ってくれるような、静かでおとなしめのやさしい曲を流します。
音楽は感情を高ぶらせたり、落ち着かせたりする効果があります。逆に言えば、その曲を聴くための ”心の準備” が整っていなければ、例えどんなに素敵な曲であっても心には響いてきません。
ミクが覚えているのは『ハローセカイ』1曲、それも未完成のフレーズのみであり、様々な想いで苦しんでいる人たち全員の心に寄り添うにはバリエーションが全然足りていませんでした。

そこでみのりが、ミクの歌に足りないものを自分たちが補うことができないか、と提案したことで流れが変わります。
閉ざされた窓のセカイの持ち主たちが抱く本当の想いである、夢を諦めたくない、励ましがほしい、自分を信じたい、誰かに寄り添って欲しい、自分を裏切りたくない、といった様々な想いに寄り添う曲を、なるべく多くの人たちに聞いてもらうことで、奇跡的に心と曲の波長が合った人たちの想いが揺さぶられたことで、ミクの歌を受け取る ”心の準備” が整いました。これは、黒くなってしまった『01』の一部が発光し始めることで表現されています。

”心の準備” が整った人たちの間で、ミクの『ハローセカイ』が響き渡ります。その結果、同じくセカイが重なり合っている人たちにもその影響が伝播し、ほぼ全員にミクの歌を届けることができました。
ミクの歌を受け取った人たちのもとには、セカイに繋がる入口である『untitled』が生まれ、ここから一歌たちのように、それぞれの本当の想いを見つける旅が始まることを、ミクの「やっとはじめられる」というセリフが物語っていました。

ノイズ

心に余裕がない時、そとから入る情報は ”雑音(ノイズ)" としか認識できません。『挫折』を抱く想いの持ち主たちがミクの姿と声をノイズと認識してしまうのは、ミクの想いを受け取る ”心の準備” が整っていないため、彼らの "拒絶の意思” が『ノイズ』として現れているのだと考えられます。また、ノイズが見えてしまうのはあくまで拒絶を示す側と受けた側のみであり、無関係の人々には正しくミクの姿が見えています。

なぜひとりきりなのか

一歌たちのセカイには、ミクの他にもリン、レン、ルカ、カイト、メイコが居ますが、閉ざされた窓の世界にはミクしかいません。このことは、「ハローセカイ」の歌詞の "僕はひとりきりのセカイで” というフレーズからも伺えます。

では、本当にあのセカイにはミクひとりだけだったのでしょうか。これもあくまで推測ですが、リンたちは初めからあのセカイに居たのだと思います。但し閉ざされた窓の世界はとてつもなく膨大であり、彼らはそれぞれ想いの持ち主にアプローチすることで手一杯で、同じタイミングで同じ場所で出会うことがなかったために、ミクは自分がひとりきりであると思い込んでいたのだと思います。

それ故に、「ハローセカイ(バーチャル・シンガー全員Ver)」のPVの中で、ミクの声を聴いた彼らはこれに呼応するように歌い、メロディーがリンクすることで互いの存在を認識し合います。それでも、やはりリンたちが姿を現すことはなく、イメージ映像のような形でしか出てきませんが、この曲を通じてミクは自分がひとりきりではないこと、支え合う仲間がいることに安心できたのではないでしょうか。

唯一知っている歌

「きっと届くはず… きっと見えるはず…」このフレーズはミクが最初から知っていました。このフレーズはどこから生まれたのでしょうか。

この答えについては、正直考えてもよくわかりませんでした。
セカイのバーチャル・シンガーたちは、セカイの持ち主の心に残る歌を歌うこともありますが、あの歌をセカイの持ち主の誰かが知っていたと考えるのはちょっと味気ない気がします…

ただ、それっぽい仮説を立てるのだとすれば、閉ざされた窓のセカイのミクは自分の ”想い” を届けたいと強く願っていました。通常のバーチャル・シンガーたちは想いの持ち主のサポートをするだけであり、彼らと比べてもミクの "想い" は特別に強いものであったと感じます。

そして公式では、歌の成り立ちを以下のように説明されています。

仮にあの開かれた窓のセカイが、閉ざされた窓のセカイのミクの "想い" から生まれた場所であり、彼女が一歌たちと出会い、彼女達の歌に触れることで、 ”本当の想い” を見つけたのだとしたら、「ハローセカイ」はミク自身の "想い" から生まれた歌であり、あのフレーズはまだ「untitled」だった頃の歌の成りかけだったのではないか……? と考えられるかもしれません。

他のセカイへの干渉

ニーゴのミクが言っていた通りなら、本来セカイに存在するバーチャル・シンガーたちは、他のセカイに干渉することはできないのでしょう。
ですが閉ざされた窓のセカイのミクは、誰もいないセカイに入ることができました。これはニーゴのメイコさんが言う通り、多くの人々の想いと繋がるミクだからこそできたことのようです。

というのも、前述したとおりセカイは互いに重なり合って存在すると仮定して、本来であれば数人程度の想いでできたセカイは規模としてはそこまで大きくなく、セカイ同士が重なることが稀であるため、バーチャル・シンガーたちは自分たち以外の別のセカイに入ることはできない、と思い込んでいるのかもしれません。
そして、閉ざされた(開かれた)窓のセカイは多くの人々の想いからできているため、規模としてかなり大きく、他のセカイと重なっていたことで入ることができた、と考えると辻褄が合います。

最近ゲーム側で実装されたマイセカイで他のセカイのミクを呼ぶことができることからも、ニーゴのミクができないと思い込んでいただけで、実際セカイが重なれば互いに移動も可能なのかもしれません。

……とすると一つ疑問なのが、開かれた窓のセカイでミクがお別れを言ったのはなぜなのか、相互移動ができるならまたいつか会うこともできるのではないのか……?
これについては単純に『初音ミクの消失』の「アリガトウ… ソシテ… サヨナラ…」のオマージュだと思われますが、あるいは今後あの開かれた窓のセカイは想いの持ち主それぞれのセカイに分離していくことでいずれは規模が小さくなり、セカイ同士が重なる機会が減るだろうことからの「さようなら」だったのかもしれません。


小ネタ

各曲に込められたミクの想い

これは結構みんな気付いていたと思います。


なーでーてーいーい?

ラストで咲希が猫に向かって言ったセリフですが、たーべーてーいーいー? のオマージュですね。なんか聞き覚えのあるフレーズだと思いました。


ハローセカイ

これはたまたまハローセカイを調べていた際、↓のショート動画を見て知りました。ファンサービス凄いですね。

おわりに

ここまで書いておきながら今更ですが、プロセカのゲームの方はメインストーリーしかやっていないのでかなりにわかです。
それどころか、映画初見の時はビビバスのストーリーしか読了しておらず、ワンショーも中盤までしか読んでいませんでした。ここまで自分が書いてきた考察についても、おそらくゲームをやり込んだ人ならより深く作品に込められた想いをくみ取ることができたことでしょう。
そんな自分でも、初見で十分に楽しめた作品だったので、物語づくりもシーンづくりもかなり丁寧に作られた作品なのだと実感しました。またパンフレットでは、いかに5つのユニットが満遍なく活躍できるかを大事にして作られていたかが語られており、制作陣の愛を強く感じた作品でした。ユニット曲の作詞作曲を全てDECO*27さんが手掛けられたのも、そういった配慮の一つなのだと思います。
既に3回視聴していますが、まだまだ長く放映する予定のようなので、サブストーリーをある程度読んだらまた観に行きたいと思います!

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