2012年頃に逝ってしまったあなたへ。
お元気ですか。
こんな枕詞を書くのは少しおかしな話かもしれません。しかし実のところ、私はまだ「あなたが死んだ」ということを事実として全く感じられていないというのが本当のところかもしれません。
あなたは本当にもうこの世にいないのでしょうか。
Twitterではあなたが設定したであろう、自動投稿機能がまだ動いていて、朝夕の2回ほど、あなたのアイコンがTL上に流れてきます。複数持っていたアカウントのうち、当時の私があなたに描いてあげた絵をアイコンにしたものが浮上してくることがあって、私はその度に少し息をのむのです。
あなたが既に他界しているという事実をその度に目にするからでしょうか。
あるいは、かつて私が描いた絵が、死人の所有となっているからでしょうか。
分からないけれど。
私とあなたが出会ったのは私が高校を卒業した後、2012年とかそれくらいだったと記憶しています。いや、正直に言えば、あなたと出会った頃の記憶が私の人生の中で最も混沌としていて、且つ、おぼろげなので、思い出すことがものすごく難しいです。
〇〇のドライブキャスで知り合って、住まいも近いということが判明してから、何度か一緒にカラオケに行ったよね。
行ったかな。
先日、実家に帰ったとき、その頃のスケジュール帳の中にプリクラに写った2人の姿を見ました。私とあなた。私は髪が赤色だったので、多分2012年の9月か10月か、そのくらいの頃だったんじゃないかな。
私はあまりその頃家から出られないでいて、でも家の中は苦しくて、何も分からないでいて、辛くてしんどくて、
唯一、外界と繋がる手段がインターネットでした。
Twitter、ブログ、ツイキャス。
他の人に知ってほしくて、私がここにいると見てほしくて、
すがるような思いで私は毎日毎時、インターネットの海に浸っていました。
生きていることの、言葉にならないどうしようもない苦しみを、とにかく外へ吐き出したくて、ブログを書き、Twitterをやり、
寂しさを埋めたくて、ツイキャスをやっていました。
あの頃まだサービスが始まったばかり。
私はスマホも持っていないかったので、父から借りたノートパソコンで自室から繋がっていました。
絵を描くところをツイキャスで放送したら、〇〇と出会って(その時の話を、今でも〇〇は嬉しそうによく話してくれます。)〇〇のドラキャスであなたと出会ったね。
確か〇〇が「住んでるところも近いし、お前らには近いものがある」と引き合わせてくれたんだったと思います。
その後、お互い励ましあったり、私があなたに絵を描いたりしながら仲良くなって、私は××、あなたは△△に住んでいたから、ラウンドワンのカラオケ屋とか××駅近くのBanBanなんかで一緒に歌ったね。
あなたの声はアニメ声に近かったし、何より歌が上手だったので、難度の高いボカロ曲を何曲も歌いこなしていたのを覚えています。
2012年の年末は、私の調子が最も悪くなって、ついにほとんど外に出なかったり、希死念慮に苛まれて動けなかったり起き上がれない日々が続きました。
その頃あなたがどうしていたのか、私は正直あまりよく知りません。
もしかしたら時を同じくして、あなたも苦しい時期だったかもしれません。
結局私は死にかけ、死に損なって、生き延びました。
あなたが死んだことは、〇〇から後になって聞きました。
あなたの遺体は川から上がった、と聞いた記憶があります。
私が死に損なった一方で、あなたは川を渡りきっていました。
〇〇からその話を聞いたのは、私もまだ私を立て直すのに必死な頃で、事実として受け止めるのに、心持ちが十分ではありませんでした。少なからず、私の中に衝撃は走っていたけれど、それを噛み砕くには私の精神状態は十分ではなくて、ある種、ニュースの1つを受け止めて、横においておいたような感じだったのかもしれません。
私が助かって、あなたが助からなかったという事実を受け止めるには、私の心は十分ではありませんでした。
だからなのか、或いはあなたと過ごしたり対面していた時間がとても短いものだったからなのか、私は今でも、あなたが死んだという現実をあまり理解できていません。
どういった感情を抱いたらいいのかも分かりません。
私はそこまであなたを理解していませんでした。
私はこのごろ、もしあなたが今生きていたら、と考えます。
そんなこと考えたってもちろん現実は変わらないのだけど、考えてしまいます。何故なら、あなたが死に損なって今を生きて、私が川を渡りきっていた可能性も十分あり得たと思うからです。
もし、あなたが今生きていたら。
確か年の頃は私の妹と同じくらいだったから23歳くらいかな。お酒が強そうな感じがする。もしかしたら、その声とかを活かして###あたりで働いているかも。あるいは△△あたりで働いていたりするのかも。10代のあの頃の自分を思い返して、あの時は本当、毎日死にたくなるくらい辛かったけど、なんだかんだと生きてきて、自分偉いな。死ななくて結果オーライだったかもな、なんて、空を見上げたりして。
そんな2019年。令和元年。
なかったんだけどさ。
なんか悔しいなあと思う。
あなたも死に損なって、「死ななくてよかった」と思える今を得られる「今」だったらよかった。2人で再会したときに「死ななくて偉かった、生きて再会できてよかったね」と話したかった。ちゃんと成人して一緒にお酒がのめたらよかった。
そう思い始めると、やっぱり悔しいです。
でもこんなのは私のただの夢想であって、
あの時のあなたは、やっぱりどうしたって死ぬことよりも生きていることの苦しみが肥大しきっていて、その苦しみから逃れられたことを喜ぶべきなのかな。
私は今だって、他人に「死ぬな」というのはエゴだと思ってる。
自分の人生を歩くのは自分でしかないのだから、他人がどうこう言って、なんともならないことだってある。
他人にできることは限られていて、果てしなく、限られていて、
自分で自分の人生をもう生きられないと諦めて川を渡るのは、最後にはもうどうしようもないし、止められもしないんだよね。
私はそれが悲しくてたまらないから、私が泣きたくないから、後悔したくないから、
「生きていてほしい」と言います。
あなたがあなたの人生をもう少し歩めなかったのは、全てあなたのせいじゃないよ。生き辛くて仕方ないこの世の中で、息のしやすい場所をもっと教えてあげられたらよかった。人生意外となんとかなるもんだって、教えてあげられたらよかった。あの頃の私にはそれが全然分かってなかったし、見えてもいなかったけど、今は少し変われたかな。
少なくとも、あの時同じように苦しくて死にたくて、死にかけた私は、今生きていることを悔やんでいません。
「あの時死んでおけばよかった」と思うのではなく、
「あの時死ななくてよかった」と思っています。
だからこそ、あなたがもし今生きていたらこの時代を、どんな目で見ていただろうなんて思ってしまうのです。
いや、そんなこと思うのは驕りかもな。
今の私は、私だけの力じゃなく、今まで関わってくれたどの人たちを欠いても形成されなかった。
運がよかっただけかもしれない。そして今も。
私はまだ、もう少し、死ぬまで生きてみようと思います。
いつか再会する、その日まで。
2019/5/23 THU m.Kadokawa