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episode7.大学最後の年、卒業制作-message-への到達
4年生になる前の春休み。
大学から「卒業制作で何を制作するか計画しておくように」とのお達しかあったこともあり、私はウンウンと頭を捻っていた。
卒業制作というと、これまでの制作とはまた一味も二味も違う。
4年間の集大成を制作せねばならない、という意気込む気持ちもあり、同時に何を作ったらいいのか悩んでいた。
実を言うと、3年生の1年間は絵を描くことがままならず「表現方法を広げるための実験期間」と言い訳をつけながら、写真や映像作品の制作を試みていたが、良いと思える制作が出来ないで過ごしていた。
表現したいことは一貫して「死生観」であることに変わりはないが、何をどう表現したら良いのか分からなくなってしまっていたのだ。
私は4年生に進級すると同時に、この「死生観」というものについて改めて考えていた。
私のこれまでの作品、経験、考え方、そしてここに至るまでの私自身のルーツ。
生とはなんなのだろう。
死とはなんなのだろう。
私が生きて、命を燃やして行っている行為の、その意味や意義とはなんなのだろう。
色々考えているうちに、亡くなった友人のことが頭をよぎった。
彼女が亡くなり、私も帰国を果たした後、彼女のご家族に会う機会があり、交流を続けていた。
ご家族は、彼女が大学や下宿先に遺していった作品たちを、大切に自宅へと持ち帰った。そして、持ち帰った彼女の作品を展示するギャラリースペースを作ったという。
ご両親にお会いした時、彼女が大学でどんな作品を作っていたのか、それがどういう考えで作られたのかを熱心に聞かれた。
そのことがあった時、作品が作家の亡き後の世界に残っていくことの意味を見た気がした。
何百年という単位で残っていく巨匠たちの絵を美術館へ行って眺めているだけでは気づけないことだったと思う。
美術館などに美術品として収蔵されたものもの、後世まで残された作品たちは、その美術的な価値の高さや歴史の記録として、手から手へと長きにわたって大切に保管されてきた。
しかし同時に、作品たちはその作者の生き様を残しているとも言える。
思考や感情、その手の癖、生活...その人の人生そのものを鮮明に映し出す。
友人も、亡くなった後、それらの作品を作っていた時に何を感じて、何を思って生きていたのかを、周りの人たちは作品から読み取ろうとしていた。
その光景を目にしたとき私は、
制作行為とは作り手にとって、まるで作るたびに遺書を更新していくようなものなのかもしれない
と思った。
人間、いつ死ぬかも分からない儚い存在なのだと痛いほど知った。
だからこそ私は想像する。
明日私が死ぬとしたら。
死ぬその瞬間まで私は命を燃やし続けられるだろうか。
悔いなく、後悔しないで死ねるだろうか。
「伝えなくちゃ。」
そう思った。
明日私が死んでも、作品を見たら伝わるように。
私の生き様、何を思って何を感じていたか、あの時あの場所で何を考えていたのか。
私のこれまでの人生や人格が形成されていくことに関わってくれた人たちに伝えたい。
そう強く思った。
日々伝えられる言葉は限られている。
それこそ改めて手紙にしたためたとしたら、書き切る前に事切れてしまいそうだしキリもない。
そして日々撮りためていた日常を切り取った写真たちも、そこには写し得ないものがあった。
撮影者である私の、そのとき感じていた空気の温度や湿度、そして感情や、拍動。
それらを色にのせて、置き換えて、
私は絵を描いた。
1年間、何かに囚われたように描けなかった、その間に溜まりに溜まったバネを使い切るみたいに1年間描き続けた。
そうして描かれたのが今回の卒業制作、7枚の絵画の作品群「messageシリーズ」なのである。
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以上が、これまでの私が構築してきた死生観と、今回の卒業制作-message-が出来るまでのお話だ。
駆け足で書き上げてしまったけれど、要点は押さえて言語化したつもり。
私は明日卒業式を迎えて、そして4月から再び制作と研究に励む予定だ。それに伴ってまた今後、作品について文章化するかもしれない。
最後になりますが、拙く、長い長い文章を、最後まで読んで下さって本当にありがとうございました。
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