実際のところどうなのあいトリ2019レポ【端的感想ver.】
こんばんは。かどかわまほこです。
先週の土日に、やっと【あいちトリエンナーレ2019】(通称あいトリ)へ行ってきましたのでそのレポートを掲載していきたいと思います。
皆さん既にご存知の通り、本年のあいトリは様々な形(ある意味不本意な注目の浴び方)によるメディア露出が多く、他の芸術祭と比べて日本中、否、世界中からも注目が集まっているように感じます。
私も日本の芸術に様々な形で関わる方々を中心にTwitterやFacebookでフォローさせて頂いている関係で、本件について毎日のようにTLに怒り・苦しみ・悲しみ・悔しさ・絶望などが書き連ねられた投稿を目にしており、現地に足を運ぶまで私も表現の自由について、日本の今とこれからの芸術や文化について、表現者や美術館・美術展がどうあるべきかについて、感情を揺さぶられ続け頭を抱える毎日を過ごしていました。
何か本件について自分の考えを投稿すればどこかしらか突っ込まれたり叩かれたりする、そんな状況も目にして、自分の考えをまとめたり発信することが困難になっていました。
で、色々と頭を抱えたり腹痛を抱えたりして心身パンクしかけていたので「いや机上で御託を並べてたって仕方ない、行こう!」ということであいちトリエンナーレを訪れるに至りました。
もっと早く行けば良かった。
2日間かけてあいトリを巡る旅をしてきたので、少しずつテキストにまとめてこのnoteにアップしていこうと思います。
が、書き始めたところ、今まで整理出来ていなかったことについて言語化していたら文量が大変なことになってしまうことが分かったので、ひとまずまだ感覚が新鮮なうちに要点だけ抽出して掲載しようと思います。
まだあいトリに行っていない人や見てない人に伝わる・足を運んでもらえるように努めて書いてみようと思うので、読んで頂けたら嬉しいです。
(豊田市美術館)
【実際のところどうなのあいトリ2019端的感想】
1.あいトリ2019を満遍なく楽しむには最低2日間必要。
2.クオリティが高くメチャクチャに面白い作品ばかりで、芸術に親しみのない人から知識の深い人まで楽しめる国際芸術祭だった。
3.地元の人たちに還元された作品が複数あり、地域芸術祭としての機能を果たしていたと感じた。
(4.例の「表現の不自由展、その後」は膨大な出品作品のうちの1つでしかない。)
端的に言うだけだと少し暴力的になってしまうので、以下1つ1つ解説します。
1.あいトリ2019を満遍なく楽しむには最低2日間必要。
今回のあいトリでは会場が大きく分けて2つに分かれています。
1つは愛知芸術文化センターを中心とした名古屋市エリア。
もう1つは豊田市美術館を中心とした豊田市エリア。
名古屋駅と豊田市駅は、電車でおよそ1時間ほどの距離があります。
さらに各エリア内に複数の会場があり、基本的には徒歩での移動が可能な距離なのですが、全ての会場を回ろうと思うと1日に1エリアが限界です。
私は一日目に豊田市エリア、2日目に名古屋市エリアを巡りました。
朝10:00に現地へ到着し、閉館時間17:00〜20:00ギリギリまでかかってほとんど全ての作品を巡ることができたので(後述しますが2日目はトラブルがあり、名古屋市エリアは四間道・円頓寺エリアのみ周りきれませんでした。残念…)
全てを網羅したい!見ておきたい!という方には最低でも2日間朝から夕までの時間を用意するのをオススメします。
2.クオリティが高くメチャクチャに面白い作品ばかりで、芸術に親しみのない人から知識の深い人まで楽しめる国際芸術祭だった。
読んで字の如しなのですが、現代芸術をふんだんに扱った芸術祭でこんなに面白い!と感じるものってすごいなと単純に思いました。
私は現在神奈川県に在住している関係もあって、横浜トリエンナーレを2014年と2017年に訪れました。
私自身の知識不足・興味関心の低さ・個人の嗜好の問題のせいもあってか、正直、両年ともあんまり面白いと思えなかった…(異論は認めます。)
だけどあいトリ、インスタ映えするヴィジュアルの強い作品から、思わずくすりと笑わされてしまうような作品、リサーチをしっかり行った上で組み立てられた精巧な作品まで網羅しており、かつ、現代の国際社会において現在進行形で起こっている社会問題(ジェンダー、難民、個人、監視、AIなど)を取り上げた作品も展示されていて、他人事ではなく自分事として入り込める・鑑賞者が能動的に参加できるアートもあったりして、
老若男女、知識レベル問わず楽しめるところがたくさんあるのではないかと思いました。家族とでも、恋人とでも、友人とでも、1人でも楽しめる。
あと開催前から方針として大きく打ち出されていた出品作家の男女比の平等という点においても、面白く革新的な取り組みが行われた芸術祭になっていると感じます。
3.地元の人たちに還元された作品が複数あり、地域芸術祭としての機能を果たしていたと感じた。
私自身、20歳までの人生のほとんどを愛知県で過ごした地元の民なのですが、愛知県民として見たあいトリはどうなんだろう、という視点で見てみました。
すると、
・今回会場となっている豊田市と世界的地元企業トヨタとの関係性について踏み込んだ作品
(《Dig Your Dreams.》トモトシ/豊田市エリア,名鉄豊田市駅下)
・豊田市にかつて存在した飛行場と特攻隊にまつわる歴史、その時代に存在した芸術・文学・映画のプロパガンダを掘り起こした作品
(《旅館アポリア》ホー・ツーニェン/豊田市エリア,喜楽亭)
・各家庭に複数台の車を保有する車社会、かつ16年連続交通事故死亡者数ワースト1である愛知県において、車による人身死亡事故を取り上げた作品
(《輝けるこども》弓指寛治/名古屋市エリア,四間道・円頓寺)
・愛知県で盛んな自動車生産を代表とした工業、農水産業に従事する人々を集め、発達の続くAIや産業ロボットと人間の今後の仕事の在り方についてディスカッションを行った作品
(《未来を開封する》アンナ・ヴィット/豊田市エリア,豊田市民ギャラリー)
このように、かつて自分たちの土地に存在していた歴史、日々の自分たちの生活に根付いているものの存在、これから先の未来に自分たちに影響を与え得る存在について、アーティストやその作品を介して改めて自覚し、知覚し、考えることができる作品がいくつか見受けられました。
これらは「愛知県」だからこそ出来た作品でもあり、ここでしか成立しないものもあり、鑑賞する地元の人々にとって多くの発見があるものだと感じました。
これは愛知で開催される芸術祭の意味や意義の機能を果たしていると考えます。
(4.例の《表現の不自由展、その後》は膨大な出品作品のうちの1つでしかない。)
これは渦中の人々に大変失礼な言い方になってしまうかもしれないし、軽率かもしれませんが、言葉の通りの私の率直な感想です。
メディアやSNSで声高に叫ばれ存在感を増している《表現の不自由展、その後》ですが、あいトリはそれが全てではありません。
他にも多くの優れた作品が出品されている国際芸術祭であり、あいトリは表現の不自由についてのみ語っている芸術祭ではない、ということを強く言っておきたいです。
(愛知芸術文化センター)
状況は現在も常に動き続けています。
会場の様子も、ところによって変動しています。
だけど、8月の頭から今の今まで、ずっと会場で作品を展示し続けているアーティストたちがいます。
あいトリはまだ終わっていません。
行くか行くまいか、迷っている人はどうか見に行って欲しい。
出品作家がベストを尽くし、考え、構築し、この芸術祭のために作り上げてきた作品はどれも素晴らしいものばかりでした。
表現の自由ももちろん大事だ、公共の場で、今の日本で、何を打ち出していくのか、議論は尽きません。
でも兎にも角にも見ないことには始まらない。
作品のもつ力はとても強い。
この時のために作り上げてきたアーティストの魂の結晶を、どうか実際に足を運んで見て欲しい。
【実際のところどうなのあいトリ2019レポ端的感想ver.】は以上となります。
ここまでご一読頂いた皆さん、ありがとうございました。
また後日、自分の考えを掘り下げ整理しながらさらに詳しく書いていけたらと思っています。