超超超硬式野球大会
ゴホ、ゴホと粘った咳が人気の無い住居棟に響く。
コの字型に配置された住棟は暗い空の下ではより深く暗く、上下左右四方に通路を伸ばしている。
四六時中降る雨に大半の手すりが赤く錆びており、通路の床の脇には雑草やカビや苔に似た何かが生い茂っている。
両方の太腿の途中から先がない男の咳は止まない。咳の振動で簡単に体勢を崩し、慌てて年季の入ったちゃぶ台にしがみついた。
足のない男の向かいに座るもう1人の男は、ちゃぶ台越しの振動によって位置がずれた義眼を瞼越しに触る。こうして瞼越しにくるくる回せばいずれ収まり良くなる事を知っている。残りひとつの生きている目で男の脚を覆う古い包帯がゆるく解けているのを認め、胡座の姿勢のまま腕を使ってずいと近くに寄った。
この男のカビ臭い包帯を結び直してやるのにもすっかり慣れていた。傷口は乾いたはずなのに寄りつく蛆はいくら払っても居なくなることはない。しまいにはいつでもその辺りに這う蛆虫に愛着さえ湧き始め今では友だちだとすら思っている。
「それで、なんだって?いい儲け話ってのは」
包帯を結び直されながら足のない男は尋ねる。
「俺たちここに住み着いてひと月ぐらいになるけど、最初は雨風しのげればよかったのに意外と頑丈だったよな。畳は濡れて腐ってないやつがまだ使えるし、この間の嵐だって耐えてみせた」
「そうだな」
「ここにある部屋を、もっと綺麗にして、水も電気も直して、人が住めるようにしたらよ。そいつらから金が取れるだろ。そしたらまた次の部屋を綺麗にしていって、その繰り返しでどんどん金持ちになれるって話だ」
「お前は馬鹿だな。俺たち勝手に住んではいるけどここは元々誰かの持ち物なんだぜ。こんなボロボロの廃墟になってもきっとそのまま誰かが持ってんだ。俺たちが人に貸したりできるわけないだろ」
義眼の男はなにやら誇らしげな顔で古びた木箱を取り出した。
薄い板で覆われた箱の中には何枚かの書類と判子が大事そうに仕舞い込まれている。
「なんだこれ」
「ケンリショってやつだよ。昨日一階のあたりを散歩してたんだけど、よく見たら角の所にある部屋が他と違ってて、ちょっと広く作られてることに気が付いたんだ。それが気になってちょっとお邪魔してみたら荷物がごっそり残ってて、まだ使えそうなもんがわんさかあった。その中にこいつがあったんだ。あと他の部屋の鍵もいっぱいあった。管理人の部屋だったんだよ」
話しているうちに興奮が蘇ってきた義眼の男は顔を少し赤くしながら矢継ぎ早に言葉を続けた。
当分磨かれていないくすんだ義眼の黒い部分に、くすんだままの窓越しの空が反射した。
かつて世界を照らしていたという太陽の光を覚えている者はもはや総人口の3分の1を切っている。男たちが生まれた頃には空は灰色の雲に覆われているのが常で、紫外線は雲越しに降り注ぐのみであった。日中の薄暗さが幾分か和らいでいるときはまだ穏やかな方だが、時に厚い雲が呼ぶ風や大雨がしばしば広く大きな災害を生み出し、減少傾向にある人口の減りをさらに早めている。
仕事も住むところも家族もない男2人が流れ着いたのがこの廃団地だった。コの字型の住居棟が互い違いに並列で配置され、そのほかにも小さく寄せ集まった棟がいくつかある。広場として使われていたらしき空間やいくつかの店舗の並びなどを含めた敷地は広大で、まだ足を運んでいない場所も多く残されている。
足のない男がここに来るまで乗せられていた乳母車はタイヤが壊れてしまった為に散策や物資の調達はもっぱら義眼の男の仕事だった。部屋の大半は鍵が掛かっていたので使えるものを拝借できる場所は限られていたが、それも管理人の鍵さえあれば今日までの話だ。
「やったじゃないか。鍵だけでも十分な収穫だ。けど部屋貸しまでやる必要あるか?」
「ハァ、馬鹿なのはお前の方だ。部屋に残ってるもんかっぱらったところでたかが知れてるだろ。どう考えてもこりゃチャンスだ、俺たちが次の管理人になって生計を立てるんだよ」
「でも部屋直す金がないだろ」
義眼の男は今日1番の笑顔を見せ、湿り気で皺がよったチラシを足のない男に渡した。
金髪の女が色違いのユニフォームを着た野球選手に馬乗りになり、砕けた頭からニコニコ笑顔で脳みそを啜っているイラストが添えられている。
第8回
団地対抗!!超超超硬式野球大会!!
紙いっぱいに極太の文字がみっちりと詰められ、見出しの隙間にこっそりと「死亡保険適用外」と追記されている。
「一昨日闇市に行った時に配ってたんだ。捨ててなくてよかったよ。見ろ、優勝したら賞金と最新型掃除マシンが貰えるぞ。これを元に部屋を直せばいいって話だ」
「お前、野球って何人でやるのか知ってるのか」
「9人だろ。だからあと7人だ」
「俺は無理だよ。この足で出来るわけないだろ」
「なに言ってんだ?足なんか使えなくても球が投げられるか捕れるかすりゃいいんだよ。それにただ野球で戦うだけなら上手い奴には叶わないけど、これ超超超硬式ルールだから」
かつての事はいざ知らず、当世では野球というものは血生臭い格闘の要素を孕んだ興行となっている。
旧時代の野球は総じて硬式ルールと呼ばれているが、現在では超硬式・超超硬式・超超超硬式の3種類が主な公式ルールとされている。順を追って大まかに説明すれば
超硬式:素手での暴力を許可。(※改造義体を含む。但し野球安全保護法第4条に記載された規格認証を受けること)
超超硬式:改造武器(※武装安全局登録済みであること)の使用を許可、火器は厳禁。
刃渡り3センチ以下の刃物の使用を許可。
超超超硬式:改造武器に刃物・火器の搭載を許可。
野球安全保護法第2条に則りゲーム中の殺人行為を特例措置として免罪。(※審判及び観客への被害は努力義務として求められる)
といった違いがある。
もちろん超超超硬式ルールが最も制約が緩く過激で、貧富の差なく人気が高い。基本的な投・打・捕・走の仕組み以外はほぼノールールといってもいいが咎められる事があるとすればそれは興行の利益に支障をもたらす行為だ。3019年に開催された超超超硬式野球親善試合1回裏で球場に仕込まれた爆弾によるテロが起き、両チーム陣営・運営・観客総員が死亡しノーゲームとなった時は流石に国内外から非難の的となった。誰も得をした者がいなかったからだ。
初回で塁に出た走者が地雷を踏まされたり、登板したピッチャーが全球デッドボールしか狙わなかったり、大外のボールを振り抜くふりをしてキャッチャーの脳天にバットを振り下ろしたり、スパイクに仕込んだ飛び出しナイフでベースカバーに回るセカンドの腹に蹴り込んだり、ブルペンに暗殺忍者が乗り込んだり、グランド整備用のバギーをジャックして守備陣を次々轢いたり、キャッチャーミットに毒を塗り込んで最終回で息絶えるように仕組んだり、相手ベンチに狂犬病の犬を放り込んだり、超超超硬式野球で起こる非人道的な事には列挙にいとまがない。その分賭けや娯楽の対象として民衆は魅了され、いくらでも金を生み出すゲームになっている。
「このまま仕事もなく生きてたってどうせいずれは飢え死にだよ。だったら目の前のチャンスに賭けてみるべきだと思わないか」
「それはまあ……俺みたいなのがもらえる仕事なんて、そもそもないだろうしな。こんなクソみたいな人生が終わるなら、それはそれでいいけど。でもあと7人どうするんだよ」
義眼の男はガタガタ軋む部屋の窓を開けた。
地平まで相変わらずの雲模様。だが、今はなぜだか2人にとって眩しく見える。
「気付いたんだ。この団地に住み着いてるのは、俺たちだけじゃない。他にもこっそり住んでる奴らがいる。そいつらに会いに行こう」
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