恐怖!肉食統制世界の片隅で血まみれの人喰い一族は生きていた
♪おにくにくにく、肉の国、肉の国にはにくたくさん
まだ舌が回り切っていない幼い声がいくつか重なり、尾を引くように目の前をあっという間に通り過ぎる。きゃはきゃはと笑い声を上げる子供たちが大型ピックアップを運転する様は間違い探しの絵のようにどこか不気味で、そのままブレーキを踏まずトップスピードのまま治安部隊の車列に轟音をあげて突っ込み、何台も巻き込んで爆炎を噴き上げた。
制止しようと伸ばした腕はなんの役にも立たず空を掴んだままだった。嫌なにおいがする。ガソリンに何かが混じったにおい。それ以上は考えたくもない。
私の救助にやってきた治安部隊が被害を受けたことよりも、数日ひとつ屋根の下で暮らした子供たちがいま目の前で死んでいったことの方が辛かった。自分でもおかしいとは思う。あの子供たちは、私をやがて食うための獲物としか見ていなかったのに。
「アンタ、何やってるんだ。これからどうする気なんだよ」
「肉は黙ってろ」
首輪に繋がった鎖を強引に引っ張られ、体勢が崩れる。膝から転びそうになるのを何とか堪えた。
「アンタは家族連中、あんな小さな子供ら死なせてまで人間の肉が食いたいのかよ。なんで培養肉で満足できないんだ」
「他人の心配をしている場合か?お前は聖祭の主菜になるんだ。美味い肉になることだけ考えてろ」
獣の歯牙で作った大ぶりの耳飾りを揺らしながら少女は冷たい目で鎖を引く。悲鳴と怒声が混じり聞こえる現場から急ぎ離れようとしている。
治安部隊はほぼ壊滅状態と見えた。まともに原形を留めている車両は少なく、そのほとんどが横転している。漏れた粗悪なオイルは引火性が強く、次々と断続的な爆発が起きている。部隊の装備はそのほとんどが車両に積み込まれている。生き延びた者がいたとしても、とてもこの一族を相手に戦える状態ではない。
私は首が絞まるのを堪え、地べたに尻をつけて座り込み抵抗を試みた。多少のことではまだ私を殺さないはずだと信じてみたかった。
彼女らがねぐらにしている洞穴では口輪を嵌められ話す事は許されない。言葉を交わすことができるのは今、外に出されたこの時しかない。
「肉。何のつもりだ」
「答えろよ。聖祭とやらの食いものは、なんでヒトじゃないといけないんだ?なんで聖祭のために子供が死ななきゃならない?私に説明できる理屈はないのか」
少女は無言のまま鎖を強く引き続ける。ビキビキと首が締まり息が詰まる。けれどここで私が死ねば困るのは奴らだと分かっている。聖祭に捧げられる〝肉〟は生きたままの状態でならなくてはならないし、むやみやたらに殴ったり蹴ったりして傷をつけてもならない。
てこでも動かない私を前に少女は眉ひとつ動かさない。他のきょうだい、さっき車列に突っ込んだ子供らとは対照的に彼女は表情に乏しい顔つきをしていた。あの子供たちのように声をあげて笑い歌うところなど想像もつかない。
「理屈があったらどうなる?お前は納得して肉になるのか?」
「なるわけないだろ。でも知らないまま食われるよりマシだ、なんでアンタは私を食おうとするのか。そんな事しなくても教団の庇護の元で勤勉に生きていけば、合成肉でも腹いっぱいになれるだろ」
現代においてほとんどの人類は食肉を口にする事は許されない。血で血を洗う宗教戦争は全世界を巻き込み、ありとあらゆる人種の命を犠牲にし、総人口は全盛期の5%以下にまで減っていった。現在も人口は緩やかに減少のカーブを辿っているが、そんな人類を統制しているのは戦争の勝者となった宗教団体だった。地球上の動物を傷付けず、肉を食すことを許さないその教義は旧時代の生き残りの反発を大いに買い論争を呼び起こしたが最終的にほぼすべての者はその教えに従うことを決めた。
教団の指導者が用いる極秘の洗脳手段を交えた対話を以って屠畜は悪魔の行為となり、その代償として化学物質の投与により毎秒異常な速度で成長を遂げる穀物を元にした「培養肉」を唯一の食事とすることに、ほとんどの人間は〝合意〟した。
そう、一部の人間は合意しなかった。
対話を以てしても教団の傘下に入らなかった一部の人間は都市を逃れ、戦争により汚染された地域を避けながら残り少ない土地でひっそりと暮らしていた。中には真っ向から教団に向けた叛逆行為を試みる者もいたが、洗脳されない属性を持つ人間たちに対し、教団は秘密裏に訓練した治安部隊を差し向けて始末していった。
『私たちはなぜこのようにして生きることを矯正されているのでしょうか。人類がやがて滅びる事は決まっているのに』
かつて私は父にそう尋ねた。父は、教団が地方に建設した支部の責任者としての職に就いていた。
はっきりと強制された訳ではなかったが、暗黙の決まり事として私も教団の一員となり、人類存続の障害となる素因の排除を日夜考え続けることになっていた。なにも私だけではない。今後生まれてくるあらゆる命はそうする事が求められていた。
『滅びること自体は、人類開闢の瞬間から決まっていた。けれどそこから命は増やされ繋ぎ今に至っている。知っているだろう、カサンドラ。営むことは人類の義務だ』
子供の頃から父が私に言って聞かせる時はいつも髪を撫で、背中に温かな手を回した。その温もりが伝わるだけで私の心は静かになる。
『お前の命はお前だけのものではない。かつてあらゆる自分自身が生き延びる悲しみ、苦しみから逃れたいがために種を終わらせることは、罪なのだよ』
父は私の目を見てそう語った。教団の洗脳手法とは全く異なる語り口だった。父は真意を語ってくれているのだと感じ、私はその時に教団の仕事に就くことを決めた。
反勢力を暴力的な措置によって排除し、人類存在のためにあらゆる個の幸福を均し、全体の利益へと置き換える仕事に疑問を持つことはなかった。たとえいずれはこの星消え去る運命だとしても、最後まで出来るだけ永く生きる事が人類にとって最善の行為だと信じ切っていた。
ひと月前、父が教会の尖塔から身を投げるまでは。
「アンタたちみたいな、好き勝手にそこらじゅう食い荒らす人間がいるから誰かが割を食うんだよ。勝手なやつらを殺す事に耐えられない人間は最後に自分を殺すしかなくなるんだ」
目の前の少女に言ったところで意味がないのはわかっている。彼女はただ教団が守る枠組みの外に生まれ、そのまま育ち人類存続のための手法にまるで背いた生き方を教えられただけなのだ。尊い命を奪ってまで永らえることの罪深さを知らない。それも、よりにもよって同種の生命を。
それでも、父のことを思い出すと溢れかえる感情をぶつけざるを得なかった。私よりも一回りは歳の若い少女は私の激昂に動じることもなく、座り込んだ私を見下ろす。
「自分を殺すってどういうこと?なんでそんなことをする?」
予想外の質問が投げかけられてしばし固まる。少女を観察するが特に変わった様子は見せない。どう答えるべきか悩んだが、結局は正解など分からず、頭に思い浮かんだままを答えた。
「生きるのが嫌になったから、全部をやめるってことだよ。高いところから飛び降りたり、血がたくさん出そうなところを切ったり、毒を飲み込んだりして、全部終わらせるんだ。そんなおそろしい事は普通はできないけど、本当に死にたい人間には出来てしまうんだよ」
「わからないなあ」
娘がしゃがみ、私の顔を覗き込む。
恐ろしい人喰い一族の娘の瞳が薄青い空の色をしている事を、私はこの時はじめて知った。
「……ああ、わからなくてもしょうがない。アンタたちは教育の機会が与えられてなかったんだから」
「わからない。なんでその程度のことで、死ぬんだ?」
「……は?」
少女の言葉の意味が分からなかった。皮肉で語る様子もなく、本当にただ思ったままを口にしている様子だった。生徒が解けない数式を教師に尋ねるような口ぶりにも思えた。
「人間が死ぬのは寿命が来たときだけだ。そんなことで死ぬわけない。お前は嘘を言ってるんだ」
「嘘なわけあるか!アンタこそ何言って……」
空の色を放つ瞳に軽蔑と哀れみの色が宿る。
なぜだかその変容に少しだけ胸が痛んだ。
「ああ、そうか。お前たちは培養肉しか食った事がないからそんなに弱くなったんだ。ちょっとしたことでダメになる。脆いんだ」
「なんだそれ、関係ないだろ。生き物の肉なんか食ったところで強くなるわけが」
「お前たちはなにも知らないんだな。肉は人を強くする。人の肉ならなおの事だ」
「ほら。誰よりも強い私のきょうだいを見ろ」
少女が指差した向こうから、黒煙を背に、身体中の骨が折れ曲がり、皮膚が引き裂け、血を流し続ける子供たちが高らかに歌い笑いながらいびつに歩いてくる。
♪おにくにくにく、肉の国 わたしはあなたの肉がすき
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