誰も置いてかない
今日は取り留めのない話、独り言。
2年半後に私はカタチを作ります。と決めて
その意思をこのまゆめもに書き記し、大事にしている考えとか、得たものをここに書き記すことで、前に進んでいく方法をとり始めたのだけど、
もうひとつ、進んでいくために始めた習慣がある。
それは自分を知ること、客観視すること。
その方法は、自分を一番よく知る人にとにかく聞く。
それだけで と思うかもしれないけど、これがかなり大きな効果があって、それもふんわりと単発で聞くだけではなくて、毎週欠かさず1時間ほど話すんだけど、これが非常に大事なのです。
ふんふん、なるほどねー と思っても、人は忘れていく生き物だから
せっかく得た気づきも生活の中に溶けてゆくけど、
これを習慣化させると常に現状把握ができて、言語化できて、目標を明確に、そしてモチベーションの維持も図ることができる。
幸いにも私には良き理解者であり、物事を俯瞰して在り方を捉えてくれる友達がいて、(しかも二人も!)
その人にいわゆるメンター的役割を担ってもらって、この週1回の時間をとることができている。
ひとりは一緒に運動しながらやっているんだけど 笑
そしてそれが友達であるから、他愛もない話を肩の力を入れずに
ぽつぽつと、赤裸々に漏らすように話すことができるから
習慣嫌いな自分でもこの時間がストレスになるどころか楽しみの1つになっていて本当の本当にありがたいのです。
(おかげで嫌いな運動も2ヶ月続いてるよ・・・!)
で、約20年来の友達ともあれば私の至らなさとか、いわゆる黒歴史なんかも何もかも知り尽くしていて、性格や気質のこと、考え方の傾向なんかもよく知ってくれているわけだけど
その人たちに言われたこと。
「まゆは誰にでも優しい」
えっと、全然こんなに簡単な言葉ではなかったんだけど、
あえて簡単にすると、 こんなこと。
この意味としては、
誰にも彼にも良い顔するよねー
といった意味ではなくて
誰も置いていかないよね
という意味で、
昔から人の感情とか意図とかが汲み取れてしまう性質な分、
それを分かっていながらおざなりにする事とか、
見て見ぬふりすること、拒絶をしたり否定することが苦手な私の在り方を指した言葉で、
たとえば自分とは異なる考え方でも、一度受け入れることとか、
世の中的には"悪"とされていることや
人が避けて通ることも
(全部に共感や同感するわけではなく)一度受け止めて、理解しようとすることとか
なんか、こう自分で文字にするとかえって胡散臭くなるし、偽善ぽくなるからあれなんだけど、そう思われてもまぁ良いんだけど ←
そういう私の内面を表した言葉であって、
友達は、「まゆは誰にでも優しい」からこそ、
これから始めたい事とか、noteに想いを書き記すこともそうだし、行動すること、たとえば人と繋がることなんかにも
ひとつの「心配」のようなものがあってそういう文脈の中で言ってくれたのだけど(良い所としての意味でも言ってくれてる)
自分でそれを自覚しているかといえばしていて、
実際、この要素ってネガティブに働くこともあって、
だから生きにくいシチュエーションてのもあって、
もっと人や物に対して自分勝手な拒否反応を示した方が楽なんじゃないかと思ったりすることも今までにあったから
その心配という愛情がとっても理解できたし、
自分だけじゃなくて一番よく知る人たちから見てもそうだったんだ。ととても腑に落ち?て、
“客観的にも理解したからこそ”、そういう部分をしっかり自分のものにして、
ちゃんとその心配要素をクリアにする方法を見つけながら、「強み」にしていこうと思った。
と、考えていたときに、たまたま流れてきた
【ボクらの時代】10.1 放送 peco×SHELLY×ぺえ
※このリンク先のYouTube動画は番組の違法アップロードかと思います。自己責任でご覧ください
ご存知の通り、りゅうちぇるという人はもうこの世にいなくて、
残された家族のぺこちゃんと、友達のぺえと、SHELLYの対談の映像。
この番組内では、りゅうちぇるの生前の在り方と、
いなくなった後の、息子を通して実感する愛のかたちなどを語っているのだけど
(そこに愛しかなくて最高出てくれてありがとう大好き)
そこでぺえと、ぺこちゃんが言った言葉
「(りゅうちぇるは)誰も置いてかない人だった」
(T_T) だーーーーーーーーーー。
うん、うん。
本当にその通りで。
りゅうちぇるこそ、誰も置いてかない人だったんだよ。
ちなみに私はりゅうちぇるの大ファンで、昔からずっとずっと応援してたし、大好きなのね。今でもね。
で、言葉の紡ぎ方とか考え方とか在り方がとっても好きで
共感できることがたっっっっくさんあって
なかでもやっぱりその「人を否定しない」ということが私にとってすごく心地よくて、その心で表に立つことを心配しながらも、応援していて。感謝をしていて。
で、全然自分がりゅうちぇるのように社会と向き合ったり、矢面に立つ立場でいるわけじゃないから一緒にするのはまったくもっておこがましいのは承知だけど、
この言葉をぺこちゃんから聞いた時、
友達が私にかける心配のあの言葉は
きっとこういうことなんだな。となんだかすっっっごく理解した。
でも、同時に私がりゅうちぇるを好きな理由も、
この強い「共感」を通して知った自分の傾向も、
もっとちゃんと大事にしたいな とも思って。
知らないでいることや、
漠然としか漂っていない"自分"というものは
ただの脅威になることもあるけれど、
ちゃんと向き合うこと、
そして人を通して理解していく事ができれば
絶対に強みにだってなると思う。
現に、大好きな友達たちや大好きなぺこちゃんやぺえが言う言葉なり感性なりがそう語っているのだから、
それを信じない他ないじゃない。
と、シンプルにそう思えたのよね。
ということで
今回の気づきは、
誰も置いてかない。
という気質に、
自分も置いてかない。
が加わったこと。
これが自分的に大きな勇気になって、一歩になった。
ありがとう。とってもありがとう!!!
と思ったのでした。
ということで、
ふう、
おやすみん。(独り言だから急な着地点、許してちょ)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?