私とSNS
今日はあまり大きな声で言えない心の内を話します。
SNS。
今では無くてはならないツール(なようでいて、実際にそんなことはないのも知っている)だけど、
SNSとの向き合い方に悩まれている人も多いのでは。
特段、“これが正解”なんてものはなく、
自分を知り、上手い付き合い方やバランスを見つけていくしかないと思うし
私から何か言えることはないので、
ただの私とSNSとの関係についてだけ、話そうと思う。
私自身、今のSNSと形は違えど、ネットの世界でのコミュニケーションや自己表現(なんて大袈裟なものではない笑)は
13〜4歳の時から続けてきていて
もはや生活の、人生の一部ですらある。
不登校時代の掲示板のようなコミュニティ、
個人ホームページ、
ブログ、
元祖まゆめも、
インスタ、
note…
と場所を変えてきたにも関わらず
13〜4歳に私を知り、
今でも関心を途切れさせないでいてくれる人がいて、
それが一人や二人ではないから驚く。
(実際には関心の強弱はそれぞれにあるのも承知。)
人生の節目はもちろん、些細な心の変化も見届けてくれた、
本当の本当にコアな人たち。 ←こら
(見る専の人もいるけどたまにメッセージくれることもあって実感するその数が自分でもちょっと理解できないほどだったりする。自慢じゃなくて、ほんとうに。笑)
これは決してよそ行きの言葉ではなく本心として、
この人たちがいたから私は生きている。
それくらい、深く支えられてきた事実がある。
私がSNSで見せてる部分以上の本意を
きちんと受け取ってくれる人。
そういう人が実際にいるんです。
そして、それが私のSNSを辞めない理由でもある。
会ったこともない人だけど、
自分が小さくも発信しているだけで
応援してくれるようになって、
気付けば深い理解者になってくれていて、
それが不思議と現実を生きる支えにもなっていたりする。
私にとってはそれは「自分のため」と思っているのに
(誰かを救うことなんて私にできるとはなから思ってない、そんな烏滸がましい気持ちはない。)
なぜだかそんな発信が「誰かのため」になっているらしい。
そんな「似たもの同士が惹かれ合う」ような
親和性こそがSNSの最大の特徴であり魅力だと私は思う。
そうやって細くも続けていると、昔からのコアの人だけじゃなく、
じわりじわりとまた新たなコアな人と出会えたりする。
最近知ってくれて、ここを見てくれている方、こんにちは。(?)
正直なところ、やる気にムラがある私は
決してマメではなくて、何事も続かない。
そして、人からの連絡を返すことも苦手だから
「この連絡に返したら、また連絡が来ちゃう、そしたらまた返さなくちゃいけない」という気持ちになって、なかなか返せない。←だめ人間すぎる
そんな人間がインスタなんかのSNSと相性が良いわけがない。
投稿も相当気合が入らないとできない。
承認欲求なんかもないって言ったらきっとそれは嘘になるけど(肌補正もりもりですしね❤️🔥笑)
「インスタのフォロワーを増やしたい」という気持ちもないし
「有名になりたい」なんていう気持ちもさらさらない。
だけど自分の大事にしているものや
自己表現になるものは伝えていきたかったり
見せたかったり、残したかったりして
気づけばフィードは「宝物の手帖」みたいになっている。
そう、重いのだ。
いちいち重いの。
熱い気持ちが溢れるものだけでしか行動ができない性分、
たかがインスタ、軽くバンバン載せたらいいのに
むしろ誰も何も気にしないのに ←本当これ。汗
いちいち暑苦しいのだ。
だからこそ、ストーリーズ一つとっても
すごい勇気(?)というか
心意気(?)が必要で、
投稿は、書いては消し、写真を選び直しては消しと3日間ほど悩み←
ストーリーズも寝かせて寝かせてヨイショ!と更新する。←ストーリーズの意味
これは誰にも言えない自分だけの悩みでもある。 笑
そしてこれが最大の罠(?)で、息を吐くように投稿しているわけじゃないからこそ、なんだかんだ反応が気になったりしてしまう。
これが承認欲求なのかもしれないけど、
「褒められたい」というよりも
"誰の何にも響かないものに労力使ってしまったのか"感に襲われたりする。笑笑笑
こう書くと、めちゃくちゃみみっちい人間だということがよくわかるでしょ。笑
深夜にストーリーズを更新して、
1分後にそっと消したりを繰り返す人間です。
それに気づいたコア中のコアの人は(これまたいるんだよ)
そっと私の心に寄り添った
優しい言葉をかけてくれたりする。笑
そんな
めんどくせぇぇえええええええええ
私の性分の理解者が、友人を超えて
SNSの世界にいてくれるだけで
他に何を望むのだろう?
とふと思う。
数が多ければ多いほど価値を得れるかのような側面を持つSNS、
実際にその影響力の大小がものを言う世界もある。
そしてこんな私もこれからのことを考えて
少しずつやり方を変えていく必要があるとも思っている。
でもその中の本質的な意味を私は見失いたくないとも思う。
マーケティングが得意な友人からはいつも「もったいない」と言われる。
それは高校生の時から言われ続けてきたことで、
私が雑誌の撮影に呼ばれる電話をわざと受け取らなかったときも、
表面に出る仕事のオファーを断った時も、
誌面での案件、アフィリエイトの依頼を断ってきた時も、
いつもいつも「もったいない」と言われてきた。
私自身、そう思うこともある。
ニーズに添った自分になることだってそれは悪でも何でもないし
その先に自分のやりたいことを開示していくのは
賢い方法、順序でもあるとつくづく思う。
きっと客観的に見たら要領が悪いんだと思う。
「もっと◯◯を見たい」と
コアな方々に言われることもあるけど
自分自身が納得していないこと、
SNSの世界で伝えたいことでないと、
載せたところで
その後に消えたくなるのです。 笑
不器用極まりないでしょう。
せっかくリクエストしてくれているのに
本当ごめんなさいの気持ち。
(息を吐くように投稿する人、自分を律してブランディングとしてSNSを使っている方を心の底から尊敬している。全て努力だから。インフルエンサーさんとかに対しての僻みや妬みも一切生まれない。本当にすごいと思ってるから。)
こんなマイペースの極みにも関わらず見守ってくれている人がいて、決して多くはないけど増えてきて、
私は自分のSNSの親和性、結構高いと自負している。
たかが知れた人数かも知れないけど、
人数以上の濃さと、
偽りのない自分との高い親和性に、
すごく感謝している。
とはいえまだまだできた人間じゃないので
返信は滞るけど
いつもDMありがとうございます。
この繋がりこそが、私にとってのSNS。
自己満足、承認欲求、情報収集、記録用、オタ活用・・・
人がSNSをやる理由は様々だと思うけど
私は"たかがSNS"とは言い切れない、この深い繋がりに価値を感じる。
だからこそ、心がこもった投稿しかできないのかもしれない。
私なりの誠意なのかもしれないね。
この高い親和性を持ちながら、
現実でも交われるレベルで繋がりを維持できる人物になりたいというのが当面の目標です。
また友達には怒られるんだろうなぁ。
もったいないって。
でも、だからこそ15年以上親友でいてくれるんだろうなぁ。
ふふ。 甘えてるね。 笑
これを見てくれているコアな人たちも
きっと、
一緒に大人になってきたんだろうな。
そんなコアな人たちは、
家族以上にあたたかい目線で見守ってくれていることを実感するけど、
私にとっても、それです。
きっと日本全国、何なら海外かもしれない、
様々な年齢、
様々な場所で、様々な環境で生きている人たちだと思うけど
私もずっと応援しています。
この繋がりがゆく先を、一緒に見届けてくれたら嬉しいです。
おばぁちゃんになってもよろしくね 👵 (おこがましいの極み)
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