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生理を恥ずかしがる社会。だけど、わたしは目をそらさない。

「ペリー来航しちゃった」
「女の子の日なんだ」
「もしかしてスプラッタ?」
「血祭りしてる」
「月イチのアレがさ」
「レディースデーかぁ」


これらの言葉が何を表しているのか、わかる人にはわかる。


“生理” 


または“月経”。生理のほうがなじみ深い気がするので、こちらの言葉を使おう。 


頑なに“生理”を避ける社会


わたしたちが普段生活している中で、“生理”というワードはかなり避けられているように感じる。生理用ナプキンの CM ですら「アレの日でもさらっと」「多い日でも安心!」などと言う。

もう周知の事実だからこれを聞けばみんな、ああ生理用ナプキンの CM ね、となるけれど CM で“生理”という言葉を耳にすることは少ない。

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冒頭に羅列した言葉たちを、もちろんわたしも当たり前に使っていた。わたしのお気に入りは「女の子の日」だった。なんか響きがかわいくて。「女の子になっちゃったの」とかも使っていた。

普段はあまり“女の子らしく”ないタイプの人間だけれど、生理が来れば嫌でも女の子にならざるをえない。だから、せめてちょっとでも気分をあげて女の子を楽しもうと使っていたように思う。


中学校の時に所属していた部活で流行っていたのは「ペリー来航」あるいは「黒船来ちゃった」。誰がいつから使い始めたのかなんて知らなくて、そんなことはどうでもよくって、ただみんな面白がってそれを使っていた。疑問なんて抱かなかった。


男性がいれば必ずそうして「生理」という言葉を使うことなくやり過ごすし、その場に女性しかいなくても生理のことを「生理」と言うことはあまりしなかった。もちろん「今日生理なんだよね」と普通に言う人もいたけれど、なんとなく空気がヒュッとなる気がしたから、わたしは使えなかった。

けれど、その言葉を隠す度に、わたしはなんとなくモヤモヤしていた。 


女子の下ネタはエグい・・・・・・?

コンビニやドラッグストアで生理用品を買うと、紙袋や黒い袋など中身の見えない袋に入れられる。コンビニでアルバイトをしていた頃、先輩に「中身が見えたらお客さんが恥ずかしい思いをするから、配慮のために入れるんだよ」と教わった。

紙袋に入れるたび、紙袋に入れてもらうたびに、ここでもわたしはモヤモヤしていた。 

それから、学校での保健の授業。男子と女子が別々の部屋で受ける授業があった (男女を分けない学校もあると聞いたことはあるが、わたしのいた学校では別々だった)。生理や出産の回だ。

男子には、女子がなぜプールに入れないのか、修学旅行の前に女子だけ集められるのはどうしてなのか、きちんとした説明はされない。「保健の勉強が好き」という人以外のほとんどは、おそらく何も知らないまま育っていく。

そして女子は、なんとなく、これは男子には言ってはいけないのかもしれないと、男子の前で生理の話をするのは恥ずかしいことなのか もしれないと、そういうふうになっていってしまう。

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もちろん、生理を“隠されている”男性側にとっても、生理はいつの間にか恥ずかしいものになってしまう。わたしの父も、生理のこととなると途端にしどろもどろになる。元々無口な父の前で母やわたしが生理の話をするとさらに無口になる。

いつだったか、ある男の子に「女子の下ネタってエグいよな (笑)生理の話とかすんでしょ?」というようなことを言われたこともあった。


なんにもエグくない。エグくないっていうか、そもそも下ネタじゃないし、生理のおかげでお前はここにいるんだぞ。


そう思った (彼はどうしているだろうか、 どうか子供のできる仕組みくらいは知っている大人になっていてほしい)。

そういう男の子たちの多くが、あちらからからかってくるくせにこちらが生理の話を始めるとドン引きする。「そういうグロい話やめろよ」 って言う。鼻血が出たことを話しても「グロい」とは言わないのに、どうして生理のことはそう言うのだろう。


生理は恥ずかしいこと、隠すべきこと。
本当にそうだろうか。


わたしは、今はそうは思っていない。というか、本当はずっと恥ずかしいなんて思っていなかったのかもしれない。

「生理なっちゃった」と言えないことへのモヤモヤ、コンビニで人目に付かないようにしまわれる生理用品へのモヤモヤ、生理の話をしたいのに男性がいるからと話さないことへのモヤモヤ・・・・・・。

心のどこかずっと奥の方で、わたしは「おかしくない?」という気持ちを持っていたのかも知れない。

だって当たり前のことだもん。生理って。当たり前のことなんだもん。月に一度、股から血が出る現象が女性には起きる。当たり前。それのおかげで人は生まれる。当たり前。

人間にとって当たり前のことなのに、どうして隠さなくてはいけないんだろう。おかしくない?


「おかしくない?」を大切にしたい


生理が忌み嫌われ隠されてきたのは大昔からのことのようだけれど、そろそろ変わるべき時が来ているのではないだろうか。社会も少しずつ違和感に気づき始めている。というか、すでにそこにあった違和感を形にし始めているのかもしれない。

たとえば昨年、#NoBagForMe という運動があった。「生理用品を購入する際に中身の見えない袋を使わなくていい」というような意味合いを持ち、生理の話をもっと気軽にオープンに話せるようにするための運動だ。元アンジュルムの和田彩花さんや、映画コメンテーターの LiLiCo さん、そしてお笑い芸人のバービーさんや性教育YouTuberのシオリーヌさんら著名人も参加している。

わたしが生理への意識を変えたのもちょうどこの頃だったと思う。わたしは、「女の子の日」だとかその手の言葉を使うのをやめた。「生理」と言うようにした。 それだけでも全然違う。恥ずかしいことなんて最初からないし、空気がヒュッとなることもない。

ヒュッとなっていたのは空気ではなく自分だったのだ。


わたしは知らない間に“生理”を NG ワードに設定していて、知らない間に生理は恥ずかしいものと思うようになっていて、 知らない間に“生理”を隠さなくてはと思うようになっていた。

モヤモヤを感じているのに、心の底では「おかしくない?」と思っているのに、外から刷り込まれた価値観が、「おかしくない?」とは正反対の価値観が、いつの間にか自分の中で深く深く、根を張っていたのだ。

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だからといって世間や社会だけが悪いとは思っていない。わたしも、もっと堂々としているべきだったのかもしれない。

だけれど、頑なに「生理」と言わないCM、男女別の性教育、生理をからかってくる男の子たち、生理のことを全然知らない父親、隠される生理用品。そういう現実はたしかにそこにあって、わたしはそのひとつひとつから目をそらしてはいけないと、きちんと立ち向かっていきたいと、そう思っている。


もちろん、すべての女性に「堂々と胸を張って生理だと言いましょう!」と言いたいわけではないし、「生理を恥ずかしいと思うな」と言いたいわけでもない。

ただ、“人にとって当たり前のこと”をどうして隠さなくてはならないのか、生理を恥ずかしいと思うのはどうしてなのか、 一度じっくり考えてみてほしい。

今よりほんのちょっぴり生きやすい世界が、見えてくるかもしれないから。

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