脳内雑多

最近、考えごととやりたいこととやらないといけないことが多くて正直参っている。配属して一年と少し。
だいたい一年違いの後輩たちと比べるとやや多いが、それでも先輩方の業務量には到底追いつかないくらいの業務量を日々如何に淡々とこなせる人間になるかの勝負をしている。
別に平日は寝るだけだしいいか、と割り切れる時期なら構わないが、やりたいことがある時期だったり、こうして考えごとに頭を悩ませてやまない日には辛いなと思わなくもないが、仕事とそういった気力面の折り合いは一生の課題なのではと日々できる限り仕事に邁進できるように生きている。

さて、ではなにに頭を抱えているのかというと、さほどこれといったこともなく、考え事というか脳内で生成される言葉が寝ようとしても、いや、寝ようとしたときこそ止まなくなるため、最近頭を抱えているそんな次第である。

というわけで真面目という言葉に意識を向けようと思う。
人生を生きていると、というよりは、今みたいに仕事をしないといけない気分で仕事をしていると、たまに「真面目だ」と言われることがある。
一般的には褒め言葉だろうと認識しているし、本人としても言われてありがたいと思う言葉ではあるが、いかんせん「真面目」のハードルが自分の中で高く、お世辞を言われている気分になるというか真っ向からそうでもないよと否定したい気分になる。

別に真面目ではない。真面目というのは与えられた仕事に対して何も疑問に思わず、不満もこらえ、一生懸命にこなすそういう人間が与えられるべき称号であると思っており、僕のように口を開けばため息、生きてても仕方がないと思いながら生きて、その割に気が進まない仕事に対しては狭い視野で文句をつける。そんな人間に与えられていい称号ではないと思ってしまう。
どこまで妥協が許されるかは常に考えているし、多少のミスなら目をつぶってくれまいかと知らん顔で上に提出し、人に迷惑をかけて二度はするまいと思っていたりする。
仕事だってしないといけないからしているわけであり、そろそろ頑張れないなというところに来てはいるので、頑張れなくなる日はいつかと静かに怯えている。

真面目というより僕は臆病なのだ。
職業柄危ないところに足を踏み入れざるを得ないことがあるが、 僕は自分が愚鈍で要領が悪く、その上運動神経にも恵まれない。
それを今までの人生で嫌というほど味わっているから、少なからず痛い思いをするだろう場所にはどうしても足を踏み出せない。
仕事だって、本当は今日は早々に切り上げて安眠を得たかったが、期限は今日までらしく、となると僕が放り出した仕事は誰がやるのかは火を見るより明らかで、そうなると僕でもできる仕事ならばやらなければならないし、放り出したことによるありとあらゆる結果が怖くて仕方がないので今日も内心では心底疲労を感じながら今日が期限らしい書類を作成する。
真面目というより僕は臆病なのだ。
あるいはこうだ、真面目というよりは仕事の人が好きなのだ。
本当に人に恵まれたと思う。
物心ついたときから…小学校まではともかく、中学はとにかく人に恵まれなかった。本当に恵まれなかった。高校ではそこそこで、バイトもそう難のある場所ではなかった。長くお世話になったし、戻りたいかと言われると収入面を考えて否だが、それでも今でも感謝をすることは多い。僕が比較的常識の範囲内の人間であれるのは、バイトでの経験が大きい。
それはそうとして、25歳にして人生の始まりを感じているのは、単身住まいとなったこともあり同じ家にいる人間に頭を悩ませることがなくなったのも語らないわけには行かないが、それより声を大にして言いたいのはひとえに職場の人間関係に恵まれたからだと思う。
具体的なエピソードを上げるときりがないので控えるが、皆いい人で、そんな方々にご迷惑をかけまいとやっているところが大きいので、さてこの素敵な人達の代わりに一人でも好かない人間がいたとき、そこまで真剣に仕事に取り組むだろうかと問われると、間違いなく否であるので、僕は真面目というよりは仕事の人間が好きなのだ。

しかしまあ、他人はあくまで外からしか人を見れないし、その角度でしか見れない。そう考えると、真面目だねと言われたら「あぁ、僕は真面目なのか」という認識をしてもいいのかもしれない

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