振り返ってみると、の話

ついさっき、高校からの友人からDMが来た。
同じく高校の時の別の友人についての話になった。

仮にDMをしている友人をA、高校時代の別の友人をBとしよう。

Aからは「そういえば私たちって、Bを引き戻したよね」と来ていた。
懐かしい記憶である。
でも、なんでそこまで必死になってBに関わろうとしたのか。
ふと考えてしまった。

どういうことか。まずは、高校時代に遡ろう。

Bは高校1年生の時に突然、学校に来なくなった。
AとB、そして私は同じ部活動だった。
心配だった私はAと一緒にBへ連絡を取り続けたり、Bの家に遊びに行って、交友関係を保とうとした。
しかし、次第にBは閉塞的になり、完全に連絡が取れなくなった。

Bのご両親と連絡を取ったり、担任と話したりといろいろやった覚えがある。

ある日、Bの単位取得に必要な欠席日数が基準を超えた。
その時点で原則留年が決まった。

Aも私もすごくショックを受けた記憶がある。

しかし、その1か月後くらいからBが学校に顔を出すようになった。
今でも、その理由を知らない。というか言ってくれない。

ともかく、何とか不登校を解消し、学校に来れるようになった。

時は経ち、大学入学。
私は教育学部に入った。
面接では、高校時代のBについての経験をもとに志望理由を話した。
「子どもと同じ目線に立ちながら、成長を支えたい。」
そんなことを言った気がする。

嘘ではない。あの時は必死につなぎとめようとした。

ただ、それは誰に対してでもやれることかと自分自身に問いかけると、それは「No」だ。
私にとって、Bは気が合う数少ない友人だった。
Bがいなくなることは私にとっても辛い。不安だ。怖い。
当時は、「Bのために」と思っていたが、実は自分のために行動していたのではないだろうか。

Aがどういう気持ちで当時動いていたのか分からない。
また、どんな気持ちで動いていたとしても、それを批評する気はサラサラない。
ただ、自分はこれまで公然とBのためだと言っていたのが恥ずかしくなった。
浅ましい。結局は自分のためじゃないか。

そのことに近年、気が付き始めた。
だから、教員を目指すのはやめた。
私は、自己利益中心でしか動けない。
子どものために働きたいというのは偽りだった。

さて、思い出を振り返ったところで、Aには何と返そうか。
そういえば1年ほど会えてない。
ゴールデンウィークには帰省するから、ご飯にでも誘ってみようか。

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