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同じだけど同じじゃない

立場が同じ(あるいは同じだった)人ほど、関わることが難しい人はいない、と思う。

内定先の同期
大学の同学年の友だち、知り合い
高校以前に交流したかつての同級生
バイトの開始時期が同じだった後輩

彼らは「同○○」というカテゴリーとして私の人生に登場するが、彼らと関わる時、私は少し胸が痛くなる時がある。
彼らが自分と同じ立場の、かけがえのない存在であることに変わりない。ただ、彼らと対峙するときに、私が何らかの強みを持っていたいと思ってしまう潜在的な上から目線と、彼ら自身もそれをもっているように思えてしまう偏屈さが、私自身を目に見えない物差しに縛りつける。



先日、内定先で大勢の社員の方と交流する機会があった。

お食事しながらカジュアルに開かれたその場で、我々内定者10名弱(ほぼ女子のみ)は少し緊張しながらも話に花を咲かせていた。
自然と近くにいた内定者4人で話す流れになり、「自己紹介で何を話そうか」「無難な趣味ってなんだろう」と口々に言い合って談笑していた。

そのときのことだ。右端にいた私は4人で話をしていたつもりになっていたのだが、気づけば左隣の子が私に背を向けて壁となって後の2人と会話する形になっていた。もちろん、彼女らの会話は聞き取れず、また、会話に応戦しようとも、その子が壁となってできない。そんな状況で、私は後の2人がどんな顔をしているか確認する気力もなくなった。
しまいに、3:1の1として右隣の人事の方に話しかけ、新たに自分の場所を作りだした。

ああ、懐かしい。女子同士の会話ってこうだったっけ。
誰かをちょっとだけ蔑ろにすることで自分を魅せる。そんな状況が中学生以来だったから、私は少し当惑した。

彼女が私を嫌いかどうかはわからないけど(※実際その帰りは2人で普通に会話したため)、彼女が壁になった瞬間、私は衝撃のあまり、彼女が学歴容姿等々の物差しで私を軽蔑しているのだと思ってしまった。まあいいんだけどさ…(もはや思い違いであってくれ)

同じ立場だからこそ、違う部分の優劣を計るのは誰しも同じで。
実際私は”同じ部分”以外の個性でいかに良く見せるかばかり考えて生きてきたし、そんな生き方で膨らませた自尊心を盾に、いま社会人をしている”元同級生”からの交流を「自分とは生き方が違うから」と切り捨てた最悪な女だった。

いつの間にか、高校の頃に毛嫌いしていた学歴で人をカテゴライズするような大人に自分も近づいていて、無意識のうちに大学名で人との接し方を変えてしまっているような自分に辟易した。いや、無意識じゃなく、関わる彼・彼女らの口調が幼かったり、言葉が通じなかったりするからかもしれないが、それでも、私はもっと他人と分け隔てなく接したいと思っていたから、最近の自分には少し落胆した。


誰かに話したくなって、ついに先日同期に打ち明けたのだが、彼はひどくこの話に共感してくれた。
それは彼自身もまた、高校時代の元同級生と同窓会で再会した際、その元同級生が浪人後に受験に失敗し、結局フリーターとして意気揚々と軽自動車を自慢している姿がどこか哀れに思えた経験があったからだと言った。いっそFラン大学に行ってくれればノリで突っ込んで笑いあえたのに、もはや同じ土俵にいない元同級生をどう扱っていいかという戸惑いと、軽自動車を自慢することでしか自尊心を満たせていない姿に得も言えない感情が湧いてどうしようもなかったのだという。

親の金で大学に行かせてもらい、ひとり暮らしをさせてもらっている身分の我々は、見る人が見たらひどく傲慢だと思う。
だが、高校まで足並みを揃わされてきたからこそ、この年になって初めて「同じ」もしくは「同じだった」人とどう接するべきかという壁がひどく分厚いものに感じるのだ。


いまはまだ、この壁を打破できるほど私は大人になれていない。
多分これから社会人になって、働くことの責任と自分の足で生きる覚悟を持って初めて、私は社会人4年目のかつての同級生と面と向かって会話できるような気がする。

ただ、もうその時には、かつての同級生とはInstagramの知り合いにも引っかからないほど疎遠になっていて、lineの表示にすら出てこないほど遠い過去の存在なっているだろう。
そしてこれから全国転勤になる私は、地元でこれからも生きていく彼・彼女らの人生と交わることはもうないのだろう。

ふとそんな予感が頭をよぎって、いまある交流もきっとそうなってしまう未来を想像して、少し悲しくなった。



大学最後の年の瀬は色々考えさせられる。

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