活力
明確にいつから推しているのか、なんていうのは忘れてしまった。
推しがいる。芸能人の推しもいるし、友達の推しもいる。
「推し」をずっと見ていたらもうゲシュタルト崩壊がおきた。推薦の「推(すい)」と使われる方が多い気がするが、「推(お)し」というフレーズの馴染み具合が上回っている。「推し」と聞いて、なんのことかわからない人もいるらしい。推しの力はビジネスにも影響を与えていることも知らずに。
気軽に推しという言葉を使ってきたが、上記で定義されている「推し活」には私は当てはまらないな、と頭が働いた。私にとって彼らは、応援したい対象であるのはもちろんだが、自分も頑張ろうと思わせてくれる人たちだ。決して、育成の対象ではない。私なんぞが行動せずとも、その人たちは輝いているし、成長し続けている。そのことに刺激を受けて私は明日からの活力をいただいた。
もうファンと推しの違いはどっちでもよくなった。今日私は応援している人のライブに行って、ああやっぱりこの人のこと好きだな、と感じて自分も頑張らないとと思えたし、またこの人に会いたいと思ったし、人生で一回くらいは直接話せる距離で会いたいと意気込んだ。この思いを忘れないでいたいということを伝えたい。またすぐに日常に戻るけれど、今日得られた刺激をどこかにしまっておきたい。いつでも取り出せるように。
あなたのこういうところが好きで、魅力的で、これからもずっと応援し続けたいと言語化できるように、今日も文章を書いてみたけれど、うまくまとまらなかった。いつか推しに会える日まで、今日もらった活力を忘れずにいたい。