ギャル、なぜアメリカへ
男の子みたいな髪型をした7歳の私をシャッターの光が大きく飲み込むと、間も無くしてそれが世界へ渡れる旅券に載り手元へやってきた。
初めてのパスポートは青かった。
韓国行きの飛行機の中で前列のシートの隙間から男の子が顔を覗かせ、私はその子と友達になろうとちょっかいを出したが、日本人ではない事に気がついたのはそう遅くはなかった。男の子の母親が同じ隙間から私を覗き、会釈する姿はまるで日本人そのものなのに、話している言語は全くの別物。
数時間飛行機に乗ればそこには日本とは違う「世界」が待っていたのだ。
3年たち、私はアメリカ行きの飛行機に乗っていた。
家族と行く一週間のアメリカ旅行だ。
カリフォルニア州からスタートし、ユタ、ネバダ、アリゾナ…横文字だらけの旅が始まった。
空港から独特のアメリカ臭がする。
ラスベガスの電飾に目をまわし、グランドキャニオン上空でセスナから叫ぶ。
その壮大さに心を奪われた私はいつかこのグランドキャニオンのような壮大かつ神秘的で器の大きなグローバルな人間になりたいと思う様になったと言うのは無理があるが、まぁ、また来たいな。くらいには思っていた。
そんな私も中学2年生になり、ニュージーランド行きの飛行機に乗っていた。短期留学というプログラムに参加したのだ。「世界」にはどんな人がいて、どんな美味しいものがあって、どんな考えがあるんだろうとウキウキしていた。
しかし当然のことながら両親は隣にいない。
今回ばかりは自分の語学のみで乗り切らなければならない。
流石に緊張するかと思いきや、余裕だった。
眼鏡が壊れるその時までは…
こういう時に限って眼鏡が壊れる。
さすが私だ。小峠もびっくりな、なんて日だ。
悔やんでも日本語が通じるわけでもないし、眼鏡が直る訳でもない。
一緒に泊まっていた日本人の女性スタッフの部屋を恐る恐るノックし、眼鏡が壊れてしまったことを伝えるとその女性は整えたネイルを器用に使って眼鏡を直してくれた。とはいえ、工具を使って直した訳ではない甘くとまったネジが不安で仕方なかった私は、
「これ、別の場所でまた取れたら何て言えばいいですか?」
と何の気無しに尋ねた。
女性は涼しい顔で言った。
「そんなのあなたが自分で考えなさい、来た意味ないでしょ?」
…コクだよね?
…中二だよ?
ワーオ。
もぅ、頭の中、ワーオ。
オーマイガーな衝撃を受けて、魂抜けた様にお礼を言ってドアを閉めた。トボトボと歩き始めた部屋に戻るその廊下で、一旦抜けた私の魂はなぜか強くなって戻ってきた。
「そりゃそうだよな」
来た意味ないよな。と珍しく感化され、残りの留学期間中は恥を晒してでも英語を話そうと努力したのを覚えている。
さて、ここまで前置きが随分長くなり読んでくださった方に感謝しかありません。ここからは早いですよ。
高校も夢にまで見た行きたい高校に合格し、そこから私は数回家族との海外旅行を経て「受験」の季節が巡ってくる高校3年生になるのです。
その頃にはすっかり化粧も覚え、カラオケ三昧の日々を過ごす事になる訳です。
えぇ、そう。ギャルですね、ギャル。
そんなギャル、見かけによらず実は美術が得意中の得意で、美大に行くのが密かに夢だったんです。でも英語も好き!カラオケの英語のところはもっと好き!とまぁ、そういう学園生活にどっぷり浸かっており…
結果、見事に乗り遅れましたよ、オープンキャンパスとか、そういうものに。なにそれ!?そんなのあったの!?みたいなレベルですよ。
担任は私が留学一択だと思っていたらしく…
18歳にして完全ノープランな私。腹をくくるしかないですね。
でもその裏側にはひっそりと別の思いがあった事をここにシェアしたいと思います。恥ずかしいですが。
実際思い返せば中学に入った頃あたりから、''自立する事ってこれから生きていく上で結構重要なのではないか?'' という事を感じていました。ぬくぬくのんびりしている私がこのままこの環境にいても自立することはないと思っていました。
だってお母さんの料理美味しいもん。
一生ここに居ちゃうもん。
という具合に。
「じゃあ、自立するためにはどうする?」
何度も自分に聞きました。
「簡単には帰ってこれない環境に身を置くしかない」
これが18の私が出した答えです。
そしてギャル、いざ、アメリカへ!!!!!
続きは↓↓↓からどうぞ。とんでもない事が待ち受けていますよ。笑
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