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同性介助というモヤモヤ。

福祉の界隈では、少しずつ浸透してきたであろう、同性介助。
そこの落とし穴。ジェンダーの観点から捉えていきたいと思う。

なぜこのことについて考えたか。
学校で生徒の体温を測っている時のことです。
肢体不自由を有している生徒の通う特別支援学校ではありふれた日常。
教師が生徒の体温を測る。

男性教員が、女子生徒の体温を測る事はNG。
しかし、女性教員が男子生徒の体温を計る事はオッケー(違和感なく行われる。)とされている。

そこにはどのような問題が存在しているのか。

男の人に対する偏見。女の人は大丈夫と言う見方がある。
それを踏まえて、同性介助について考えたいと思いました。


実は、同性を基本とすればいいのかという問題ではない。
何をもって同性と定義するのかも重要になる。

性犯罪、性暴力を視点を考慮すると、生物学的な性別はそこまで意味を持たない。
というか、性別というものより個人の問題が大きい。

一応、性自認と性的指向の観点に整理したいと思います。(生徒の本人が、性自認できる発達段階でない場合ももちろんある。)

性自認を基本に考えるなら、男性と自認する女性の身体をもつ人が、男子生徒のトイレ介助に入ることは正当か。心としては同性なので問題ない。性自認における同性介助を基本にすると、マジョリティたちの偏見に晒される可能性はゼロではない。

性的指向を軸に考えるとどうだろうか。
男性に性愛が向く人が、男子生徒のトイレ介助に入る。自分の身体と共通する男性器に慣れているかもしれない。しかし、本人には、違和感はあるかもしれない。

性自認を軸にすることの方が、性的指向を軸にするより外から見ると違和感がある。(シスジェンダー、ヘテロセクシュアル社会において)
しかし、見えない内面としては、性的指向を軸にした場合の方が問題があるように感じるだろう。

ヘテロセクシュアルでシスジェンダーを前提とするからこそ、「同性介助」という言葉が生まれる。そこに違和感を感じないことが問題。
自分をどのように認識するかを、公にしにくい社会の中で、果たしてどこまで同性介助が意味をもたらすのか。

そもそも、仕事の中で性的な意識をもつことが間違いという話り
しかし、性犯罪は存在する。

性犯罪には、性的指向や性的嗜好、それ以前のものが原因の場合のものが多いだろう。

同性(外から見えている性)にすることは、マジョリティ前提でいくとリスクマネジメントとしては十分だと思う。それには納得できる。だからそこに、もやもやし続ける自分は不毛なんだろう。しかし、同性介助という言葉に違和感をもってほしい。

さて、女性教員が、男子生徒に対する体温測定がおっけいっていう視点は、あまり納得がいかない。

社会的に男性から女性への性犯罪が多いという現状を踏まえているのかもしれない。しかし、女性からの性犯罪も存在する。目の前にいる人が犯罪を犯すかは誰だって判断できない。

男性、女性といったジェンダー様式の中で、一括りにしていることもおかしい。

多数の人がこのことを深く考えていないと思う。
実際自分のペアの人はそうだろう。と感じる場面が多々見られた。だからもやもやした。

結局僕が何を言いたいのかというと、

日々に疑問を持ってほしいこと。
ジェンダー観を意識してほしいこと。
同性介助だから全てよしというわけではないということ。
同性だから全てよしというわけではないということ。(同性とは?)

結局は、支援を受ける側が何を求めてどのような意味合いで要求しているのかじっくり考えていく必要があるということです。
働く人の視点としては、同性、異性、ジェンダー関係なく、働く人として性的な視点は混ぜない前提が求められる。それが成立しないから、犯罪が起きているんだけど。

体温に関しては、プライベートゾーンとか、水着ゾーンがという性教育を学んでいる方の声が、聞こえてくる気がする。僕は本人の身体は本人のものであり、そこに優劣をつけることではないと思っている。触られたくないところが、肩かもしれないし、首かもしれないし、頭かもしれない。胸や性器はOKかもしれない。結局、本人の決めることであり、プライベートゾーンという観点は、誰かが決めたルールにすぎない。指導をしやすい楽な方法でしかないのかもしれない。きっと人間の本能的な部分が、、、みたいなことでひと蹴りされそうな気がしますが。

自分のもやもやメモとして書いただけなのでまとまり根拠なくでございます。
こういうことを一緒に議論する友達が欲しいな。
整理できず、わかりづらいかもしれませんが、目を通していただきありがとうございました

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