![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/130825064/rectangle_large_type_2_a8af1a242dcfd986080be708aed9bf34.png?width=1200)
「負ける」のめちゃくちゃ深い意義(お役に立つということ)
僕はテニスの試合に出たりするのだけど、
相手がいることなので、思ったように勝ったりとかは、やはりなかなかできないのです。
ある時、ダブルスでペアを組んだ友人が、
トーナメントの敗戦後に落ち込んでいる僕に、こんなことを言ってくれた。
「僕らが負けたから、彼らは勝つことができたんですよ。
僕らがいたから、彼らは勝てたんです。」
なるほどなぁ。
哲学的だなぁ。
と、感心して、時間が経った今でも心に残っている。
※
やはり、人は他人と比べたり、序列を作ったり、競争や比較みたいなものは存在する。
そして、やはり勝ちたい、上に行きたいという気持ちは、とても真っ当で良いことだと思う。
同時に僕らは負けることが怖いし、実際に負けると落ち込むことも多い。
でも、勝てなかったとしても、それほど気にすることもなく、むしろ誇っても良いんじゃないか?と思う。
なぜなら、お役立ち具合では、負けることの方が優っているのでは?とさえ、考えるられそうな気がするからだ。
極端に自然界に例をふると、
イワシがいなかったら、海の生物はまったく成り立たない。
イワシが食べられることで他の魚は生きることできて、増えて、海が豊かになる。
逆に、イワシを食べる他の種類の魚がちょっと減っても、イワシほど生態系のダメージはないかもしれない。
誰かが負けることによって(自然界では食べられる。厳しいけど)、世界は成り立っている。
つまりは、もうただいるだけで、存在そのものが世界の役に大きく立っているのだ。
そして、負けることで(命さえとられられなければ)、僕らはなにかの成長を得ているんだと思う。
負けて自分が無価値と思うことは、自分が勝手にやっていることだ。
勝った相手だって、自分が一生懸命打ち負かした相手が、無価値ではなく強大だった方が嬉しいだろう。
※
ということで、勝てなくても、うまくいかなくても、落ち込んだりせず、俺が勝たせてやったんだぜ(俺が育てたんだぜ)くらいに考えられたら、気軽にチャレンジできて、もっと日々が楽しくなりそうと思った午後でした。
読んでくださり、ありがとうございます。
今日も、無理なく良い気分で過ごしましょう。
こんなに練習しているのに、テニスはやっぱり難しい。