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余白が捨てられる時代

とあるアートを学ぶ集まりに参加しているのだけど、その中で面白い考えを知った。

人類学者のティム・インゴルドは、人々の移動が連結器(例えば列車)によってなされるようになり、歩行を通した身体感覚を得る機会がなくなった、と言っている。

連結器による移動では、点と点を繋ぐもので(例えば駅と駅)、途中にある世界と触れることはなく、移動そのものがあらかじめ定められたもの(時刻表があってこの時間にこの点に到着する)となる。

それにより、人々が自らの歩行で移動で得ていた、歩く感覚、感じる空気や空間や景色、途中で出会う人やモノ、当初のゴールとは異なる新たな到達点との発見など、偶発的な多くのことが多く失われている。

確かにそうかもしれない。



もう一歩考えを進めてみると、今の我々が住む社会では、歩行に限らず、あらゆる対象で同じことが進んでいるではないのか?と思いに至る。

例えば、「音楽を聴く」ということ。

以前はCDを買いにレコード店に行き、たくさんのCDを手にして、さして視聴もできず、ジャケットのイメージから想像してジャケ買いしたり、家に帰ってプレーヤーにセットしてドキドキしながら再生したりと、絶え間ない身体感覚があったはず。(昭和世代ですいません。。コンポを持つことがステイタスだったw)

また、ライブに行く時も、わくわくしながらチケットを(頑張って)取って、会場に友達と行く、ステージがよく見えるよう工夫する、アーティストが出てきた時の高揚感を感じる、音や観衆の熱や動きを感じる。

「目的としている」のは音楽を聴くことだけれども、このようなことを含めて、「音楽を聴く」ということが構成されていたと捉えることもできる。

「本を読む」ことも同様かもしれない。

本の装丁を愛でる、紙の肌触りをパラパラを感じる、本屋さんで(自分の興味の有無は別にして)たくさんの本を視界に入れる。

本の要約チャンネルで情報だけ受け取るのとは、少し違う景色だとは感じる。

音楽で言えば、今はYoutubeなりSpotifyなりで「曲のみ」がパッと再生され、それが当たり前になっているし、とても便利で手放せない(僕はSpotify派)。ローコストでとても効率的だ。戻れないし、戻る必要もない。


ただ起きていることに自覚的であることは意外と大切なことだと思う。

起きていることとは、仕事に関わる領域だけでなく、我々がずっと楽しんできたことも効率化され、便利とローコストを引き換えに、コアとなるコンテンツのみ(音楽で言えばアプリで曲が聴ける)が切り取られ、周辺にほんわりと広がりを見せていた、多種多様な身体感覚は、すべて捨てられているということ。

多種多様な身体感覚 = 余白

だとすると、今は「余白が捨てられている時代」だと定義できるかもしれません。


この背景にあるのは、効率化は善、効率化とは無駄を削ること、無駄を削るとは目的を定め合わないものは削除すること、無駄を削ると大事な核(コア)だけ残る、そこに注力すれば、良い結果が得れれる。そんな価値観なんじゃないかと思える。

これは正しい。圧倒的に正しい。
ただ、効率を上げる、収益を上げるといった経済合理性のモノサシにおいて。

もともとは、人々が生活するための「手段」であったはずの貨幣経済(物々交換は不便だよね)が、いつからか人々が達成すべき「目標」に変質され、その思考パターンが、人々に浸透し、どんどんと判断基準に採用され、社会実装が進んだ(ここにビル建てて、人をこう流そう)、あるいは進んでいるのかなとも思う。

そうした「余白」を捨てる思考が浸透している例としては、
・人との会話で「結論から言え」
・目標を明確化しろ(逆算しろ)
などもあたりそうで、途中の会話という「余白」、目標以外の可能性という「余白」とすべて捨てていることと同じだと言えるのではないだろうか。

現代社会は「定量と効率」が主流であり、それは「余白」と対比関係にありそうです。


こうした効率化が悪いことと言うつもりは僕はなくて(元々サイエンス出身で、メーカーにいたりと、効率化側どっぷりだった)、社会全体を上手に回して、僕ら多くの人が安定的に暮らす仕組みとしては、非常に大切だ。

ただ、社会全体ではなくて、僕ら個人としての充実や幸せを考えていみると、どうだろうか?

余白を捨て続けて、効率化を行なった結果、ほわほわと広がっていた余白で繋がっていた、あるいは繋がる機会があった人と人が切り離されることが多くなっていないだろうか。

結果として、人はより孤独を強めるようになっており、生きる実感の低下、幸福度の低下につながっていることはないだろうか。


この「余白」は、いろいろ考えるテーマとして良いのではないか、なにかありそうだと感じる。

もしも、毎日が効率的に動いているけども、忙しすぎるとか、どこか満たされないと感じているならば、こうした余白を大事にすることは、ひとつのキッカケになるかもしれない。

いろいろ広がり(余白)が出てきそうだ。


ということで、この記事のテーマを題材に、クリエイティブとエネルギッシュのかたまりである作曲家の石井美夏さんとラジオでライブトークをします。

8/18(日)21:00スタート。
聞いてくださったら嬉しいです!


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