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楽しく働くために、働く「主体」を考える

やっぱり楽しく働きたいと思うのです。
大変なこと辛いことがあったとしても、その先にやったー!みたいな何かがある仕事がしたいと思うのです。

働く人には2種類しかいなくて、ひとつは「仕事をやりたい人」、もうひとつは「仕事ができる人」だ。なんて話をどこかで聞いた気がする。

これは僕の中で割としっくりきて、すごくシンプルな例をあげれば、
仕事をやりたい人は経営者や起業家であり、仕事ができる人は身につけた技能で何かを作ったりできる人だろう(大工さんとか)。

思うのは、世の中は誰かの仕事でできている。と同時に、誰かが最初にこれをやろうという「意思」を持ったところから始まっているということ。

例えば、僕らが渡っている橋だって、ここに橋をかけるぞ!と、誰かが強い意志をもっとことから始まっているはずだ。(あったらいいな〜って思う人はたくさんいただろうけど、それがきっと誰かの意思に変わったんだろうなと)

なんとなく過ごしているだけでは、橋を作れる職人さんがいるだけでは、橋がかけられることはなくて、かつてどこかの誰かの意思みたいなものがあって、いろんなものが残っているのかと思うと、ちょっと面白い。

始めに言葉ありき。は新約聖書だったかと思うが、実際の社会やビジネスの現場では、「はじめに意志ありき。」なんではと思う。

その意思性みたいなものは、形がないからつかみ取りしづらいのだけど、実は僕らが楽しく働くうえでかなり重要なのでは?と感じている。

僕らはどうしても何が「できる」ようになるかと考えがちだ。
例えば資格を取るとか、スキルを身につけるとか、ノウハウを吸収するか。とか。
要するにHowだ。学校でもどう解くかという技能をずーっと教えている。

一方で、何を「やりたい」、つまりは何を実現したいのか、解決したい課題は何なのか、どんなことを表現したいのか、を考える、教えてもらう機会はとても少ない。こちらはWhatやWhyであり、自ら課題を見つけたり、作る力だと思う。
これを学校で教えられないのは、人それぞれで答えが違うし、答えが出るとも限らないし、めちゃくちゃ時間がかかるからだ。

例えば、絵を描けるようになりたいと思った時に、絵を描く方法を学べるところはたくさんあるが、何を描きたいのか、何を表現したいのか、なぜ何のために描きたいのかを学べるところは希少だし、自分で考え、探し、作っていく部分がほとんどだと思う。教えられない。

この自分で何を表現したいか、なぜ何のためにのところにこそ、その人の意思性が生まれるところであり、その意思こそ、やりたいということの本質だと思う。

そして、できるも楽しいけれど、やりたいはもっと楽しいではないだろうか?

例えば、Webマーケティングの仕事をやるとして、音楽レーベルのアーティストになりたい人を集めるPRを担当したとしよう(実は身近な例なのです^^)。

マーケティングの技法やSNS発信のテクニックを効果的に使うこと、フォロワーを増やすことはもちろんとても重要(できる)。
そこからもう一歩進んでみると、そのレーベルにアーティストになりたい人がたくさん集まる、そこからリリースする曲が多くの人に聴かれる、ひいては音楽をやっている人をサポートして(みんなが動画をアップして頑張れる訳ではない)才能が発掘される機会を圧倒的に増やす、そこからものすごいアーティストが生まれるかもしれない・・なんて思うとやはりワクワクしてしまうのだ(やりたい)。

自分にしっくり来るやりたいを見出すと、今やっている仕事の見え方も変わってくるし、取り組み範囲も広がってくる。
そんな働き方をしていると、いつか自分のやりたいことを意志をもってはじめているのではないだろうか。

そして、意志ややりたいことの主体は、AIでは代替できない。


とは言え、簡単なテーマではありません。
「あなたのやりたいことは何ですか?」という直接的な問いは、ある意味で暴力的にすらなり得ます。
もっと丁寧にゆっくりと感じて、考えていくことだと思います。
ということで、このテーマを掘り下げて、作曲家の石井美夏さんとラジオでライブトークをします。一緒に考えていきましょう!

8/25(日)21:00スタート。
ぜひリアタイでご参加、聞いてくださったら嬉しいです!


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