私はクリスマスが嫌い
私はいつからかクリスマスが嫌いになった
小学生ぐらいの頃から私の家ではクリスマスケーキを作るという風習があった
主に私が作る役目で、スポンジは市販だがクリームを塗ったり飾り付けをするだけでも幼い私には大変な作業だった
はじめのうちは父と作っていた
私が何を手伝えば父が褒めてくれるのか分からなくって何もせずにその場に立っていると「指示待ちをするな。自分から動けない人はダメだ」とか色々怒られて、今思えば父が言っていることは正論だが当時の私には分らなくって、父の顔色を伺いながらのケーキ作りは全然楽しくなかった
それでも、私が頑張って積極的に動いたり、工夫して作業をすると父は褒めてくれた
それが私にとっては嬉しくてたまらなかった
ケーキが作り終わって両親と食卓を囲むと父はニコニコと機嫌が良さそうだった
つまんなそうにしている母を横目に、私はニコニコ楽しまなきゃと無邪気な子供を演じた
その年のクリスマスは父が仕事で忙しかった。
「一人でもケーキ作れよ」と言わんばかりの父のピリピリとした空気を感じ取った私は、母に一緒にケーキを作ろうと誘った
母は体調が悪いと言って不機嫌になっておりケーキ作りをしながらもイライラしていた
そして次第に衝突し、かき混ぜていた生クリームのボウルが床に落ちた
そのあとのことは覚えていない
幼い頃、うちにはサンタさんが来なかった
いつも父と母がプレゼンントを直接くれた
今になれば、それは渡し方の違いに過ぎないが、幼い私にとっては全くの別物だった
私が通っていた保育園にはクリスマスの次の日に「サンタさんから何をもらったか発表しましょう」みたいなものが毎年あって、私もみんなと同じように堂々とサンタさんにもらったものを発表したいから、クリスマスの前に両親に隠れてサンタさんに手紙を書くんだけど、やっぱりサンタさんは来なくて
みんな来ているのに私だけに来ないことが恥ずかしくってたまらなかった
小学生になった頃、母にポツリと「私はいい子じゃないからサンタさんが来ないのかなあ」と言ってしまったことがあった
その時には心のどこかでサンタさんの正体は分かっていて、それでも信じたい気持ちがあった
その年から私にもサンタさんが来るようになった
サンタさんの正体が両親だということは確信に変わった
それでも両親が私のことを子供のように扱ってくれることの方が嬉しかった
しかし昔からものをなくしやすい私はサンタさんからもらった物をなくしてしまうことが多かった
怒る父と、父を怒らせた私を「怒らせんじゃねえよ」と言わんばかりの目で見てくる母が怖かった
父は根に持つタイプで何年間も掘り出しては説教してきた
それでもサンタさんからのプレゼントを喜ぶ私を見て、父がニコニコしてくれることが嬉しかった
私にとってクリスマスはその背後にある恐怖に怯えながら、いつもと変わらず不機嫌そうな母といつもより怒る数が少ない父を横目に「私は幸せだよ〜」と振舞わなきゃいけない日だった
クリスマスは楽しまなきゃいけない日で幸せそうにしなければいけない日
気持ち悪い
いや違うな
幸せな人の笑顔や楽しそうな声を聞くたびに
自分は違うんだ、独りぼっちだと泣き、苦しくて、消えてしまいたくなる日だ
クリスマスに誰からも誘われない
自分は誰の幸せの一部にもなれない、あなたにも、あなたにも、私は必要ない
やっぱり今年も誰の一番にも慣れなっかたんだと嫌でも実感してしまう日だ
記憶がほとんどない私にとって、残っている幼い頃のクリスマスの記憶は、きっと私にとって幸せな記憶なんだろう
これを読んでいる人の中にはクリスマスが嫌いな人も多いよね
みんなが笑っている日に泣いている自分が嫌いになってしまうかもしれないけど、思いっきり声出して泣いていいからどうか生きて
クリスマスを自ら赤く染めようとしないで
無色透明なあなたのクリスマスはガラスのようで綺麗だから
どうか自分のことを愛してあげてね
ケーキが食べられなくても、プレゼントが無くても、独りぼっちでも、泣いてしまってもいいよ
だから今日も生き延びてね