前書き
又吉直樹氏の著作に『東京百景』というエッセイがある。東京中の色んな場所に紐付いた体験や想いが綴られている、懐かしいような苦しいような、それでいて喜ばしいような、じんわりとした魅力のある作品である。『東京八景』という太宰治の小説から題を借りたと思われるが、私が直ちに連想したのは『富嶽百景』のほうだった。
どうにも狙ひがつけにくく、私は、ふたりの姿をレンズから追放して、ただ富士山だけを、レンズ一ぱいにキャッチして、富士山、さやうなら、お世話になりました。パチリ。
不道徳のあるべき姿!国語の時間の教室、窓際の最後列で密かに興奮したのを覚えている。
あまりに最近起こった出来事を思い出として書き残そうとするのは生傷をえぐるのと同じことで、ノスタルジーどころの騒ぎではなくなってしまう。そのうえ太宰が『東京八景』を書いた年齢である「中年」にはまだ及ばぬ歳だし、そもそも東京出身なので、東京に対するきらめくような憧れも憎しみも持ちようがない。それでもやはり、東京という土地への愛着、愛着の由来となる個人的な記憶。これらを"俺版"『東京百景』という形で記録してみたいと思うのだ。
件の国語の時間のことを思い出す。授業も聞かずにページをめくって太宰の文章を目で何度もなぞる。たまに窓の外を眺める。中庭の噴水が傾き始めた太陽の光を受けて光っている。先生の声が頭上を通り抜けていく。いい声なんだけど。
ああ、この遠さならば丁度良いかもしれない。たしかに覚えているのに確実に失ってしまった時間。しかし、思い出話なんてうまくできるだろうか。
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