2018/7/27

小学生たちの夏休みが始まって、NHKのラジオでは #夏休み子ども科学電話相談 を放送しているらしい。
私は聴いていないけど、巷では子どもたちが抱く純粋な疑問と科学者たちによる返答がときに詩的であると話題なのだ。

理科と国語が好きな小学生だった。月の満ち欠けの仕組み、なんていう壮大なテーマについて、塾の先生の太陽と地球と月の位置関係を描いたへたっぴな図なんかで理解できてしまうことに心を動かされてしまった。
同じ先生に「夜空の星の光は数百年、数千年、数万年も前のものが宇宙の果てから届いているんだよ」と教えてもらって、なんて地球上の人類とその歴史は寂しくて取るに足りないものなのだろうと思った。

同じ時期、別の国語の先生が「人が一番弱いのは寂しさ。寂しいとあっけないくらい簡単に人は壊れちゃうんだよ」と教えてくれたのも印象に残っている。

地球が自転と公転していることはとっくに知っていたから、コペルニクス的転回といえば次元という概念に関するものが大きかったように思う。
「2次元の平面上に直線を引いて行き止まりを作るとする。2次元のままでは先に進めないが、3次元空間にしてしまえば、上向きにぴょんとジャンプできるようになるから、線を飛び越えられる。じゃあ、3次元空間の行き止まり、例えば上からすっぽりとバケツをかぶせてしまうことを考えよう。
私たちは3次元空間にいるのだから、解決策は思い浮かばない。しかし4次元空間に存在する人からすれば、きっとすっぽりとかぶせられたバケツなんて簡単な障害なのだ。」

今考えるとかなり乱暴な論理だが、次元、という概念を獲得した体験であったことには違いない。これは小5か小6のときに担任の先生が教えてくれた話で、先生はさらに
「きっと4次元には宇宙人が住んでて、3次元にいる私たちをじっと観察してるのよ。私たちが地面に這いつくばるアリを観察するようにね。そしてたまにUFOに乗って遊びに来てるの」
なんて続けた。改めて、小学生相手だからって好き放題言ってたなあの人。

とにかく私にとって科学は昔から詩の題材で、今だって私たちの外側である宇宙の仕組みと、私たちの内なる生命の仕組みが同等に謎に包まれていることに、なにか意味を見出さずにはいられない。
大学の生物物理という講義で、星の死である超新星爆発の際に生まれる原子と、人間の身体を構成する原子は同じであると教わった。「ウロボロスの蛇」ってやつだ。私たちは宇宙の子。人間が生み出すどんな精巧な機械よりも、AIなんかよりもずっと複雑で謎だらけの、私たち自身の生命。我々は宇宙をこの身体に内包している。

大学一年生の頃、微積の講師が授業中に語った話。
「ここで教わる数学が苦手でも、そんなことで人生に絶望しないでほしい。きっとあなたが進むべき道はどこかにあるから。でも、どの道に進むとしても必ず“物事を徹底的に深く、正確に考えること、どこまで自分がある一つの事象に対して意識を集中して、理解することができるのかを自分自身で知っておくこと”は必要。この授業はその練習だから、例えばあなたが将来芸術家になりたいと思っていたとしても、この授業を受けている今は無駄じゃない」

自意識過剰である可能性は大いにあるけど、当時、先生は私に向けて言ってくれたのかなと思った。まともに授業を受けていたなかで単位を落としたのは、噂によると私ぐらいだった。それほど普段からひとりだけ小テスト等の成績が良くなかったから。慰めてくれていたのだと思うのだ。

科学に対して未練がある。
一方で理系に進んでいなかったらもっと好きな脚本を書いたり映画を多くみたりする時間があったのに、とも思う。
何もかもが中途半端で終わっちゃったね。

理科と国語が好き。三つ子の魂百までというけれど、無駄なんてなかったとは簡単には言えないけれど、こんなときでも私たちが地球という宇宙船に乗った太陽系の迷子であることに救われてしまう。世の中をみる視点を新たに与えてくれるのが学問の良いところ、どころか、本質だよね。

聴いてもいない夏休み子ども科学電話相談でそんな感傷的になるなよな〜。

#日記 #エッセイ

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成瀬 鷗
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