日記
わたしは変なので、と前置きをしてから話しはじめたら、そんなことは言わなくて大丈夫ですから、と新しい上司にたしなめられた。弱い部分を隠しておくための蓋のようなものをそっと取り払われてひどく焦った。その後、上司が怒りからくる震えをこらえながら話している姿を見かけて、いつかこのひとの我儘を聞いてみたいとおもった。嫌な人間である。
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小説を書きはじめてからのことを考えていた。小学三年生の冬休みに劇の脚本のようなものを書いてみたら楽しくなって徹夜をした。わたしが住んでいた学区のおんなのこなら誰もが行ったことがある雑貨屋さんでノートを買ってきて、『カードキャプターさくら』を真似た小説を書いた。いくつも書いた。小説を書くならパソコンのワードというのを使うのがいいと父に教えられて、自宅のパソコンを触るようになった。中学生のころ、じぶんのメールアドレスというものを与えられたのがきっかけで小説投稿サイトに登録して小説を投稿した。さいしょは主人公の探偵の恋人が殺人犯というミステリー小説。赤川次郎さんの読みすぎだとおもう。そのつぎはアクションの多いスパイもの。新堂冬樹さんの読みすぎだとおもう。読んでくださって掲示板に感想を書いてくださったかたがたまたまおなじ区内に住んでいて、おなじGARNET CROWのファンでびっくりした。のちにおなじ高校に通うようになり、高校三年生の文化祭のときに高校一年生の彼女に声をかけられる。同時期、仲良くしていたかたの掲示板が定期的に荒らされていて何事かとおもって識別IDを見たら、いつもは作者さんと楽しく雑談をしているとりまきのひとたちとみんな同一人物だとわかって戦慄した。あのひとたちは一体、なんだったんだろう。いまでもときどき考えるけれど、関係性も目的もちっともわからないままだ。また同時期、投稿サイトの交流掲示板で出会ったのが今田ずんばあらずさんだ。当時から楽しいひとであり、ひとつの作品をこだわり抜いて書く力が突出している人物だった。書いたらおわり、のわたしにはできないことをしている。とても尊敬しています。投稿サイトがダウンしてからはブログやホームページをつくって小説を載せた。dominoというMIDI作曲のフリーソフトで音楽もつくった。物書き交流同盟なる団体に所属していて、中学三年生の冬にオフ会というものに参加した。こんな時期に参加して受験大丈夫?と心配してくれた大人たちはいまごろ元気にしているだろうか。また、あのころわたしに歌ってほしいと音源を送ってきた大人と、すきなんや妹みたいにおもってると告げてきた大人、どうか生き延びていてください。高校にあがり、クラスメイトの自己紹介のなかにワナビですということばを見つけて、三か月ほどチャンスをうかがってようやっとその子と話すことに成功した。雨上そら、聡明でお人好しな、永遠の悪友である。帰る方向がいっしょだったのでよくふたりで並んで自転車を漕いだ。『NUT's』への参加はここのところ見送っていたけれど、01と02に掲載している作品がとてととてもとてもすきだ。続きがはやく読みたい。文章を書くこととつながっているとみて入部した放送部では朗読に明け暮れ、一年の秋にクビにされ、再入部して、二年のときはラジオドラマ、途中でアナウンスをやるようになり、三年のときはラジオドキュメントをつくった。小説はほとんど書いていなくて、代わりにボーカロイドを使って音楽をつくっていた。さいきん、またつくってみようかなとおもってメロディーラインをとろうとしてみたものの、音楽はわたしにはできない分野だと急に悟った瞬間がきてやめた。大学は、とりあえず行く国公立よりやりたいことをする私立だろうとおもって、自宅からバス一本でいける芸大の文芸表現学科に入った。一回生前期の全学科の学生を混ぜこぜにしてクラスを割り振られて行われた授業で、山田ひとみさんと出会った。のちにNUT'sの表紙デザインを依頼することになる。はじめての打ち合わせで、ともだちだけど仕事としてやりたいからとデザイン料を求めてくれたこと、山田さんの真剣さがうかがえてすごく嬉しかったおぼえがある。大学の授業はどれも面白くて、けれど、同学年の子の作品を読むのにひどく苦労した。卒業後もよく会っていた友人が当時、これお金払って読むかって言われたら読まへんやん、とシビアなことを言っていたけれど、そういうところだったのかもしれない。上回生になってゼミに所属して、ある後輩の作品を読んではじめて学科の人間が書いた小説を面白いとおもった。中山史花ちゃんである。当時はただの先輩と後輩だったのが、創作活動を通して接しているうちに、いつしかおたがいの結婚式に参列するまでの仲になっていたし、そういった時期に突入していた(わたしのほうの結婚式は延期していてまだなのだけれど)。大学を卒業した三月、新卒で就職活動がおわらなかったことに不安を感じて、せめて書きつづけることだけはしなければならないとおもってブログを立ち上げた。はじめての記事でキャンペーンの優秀賞を獲り、Amazonギフト券が送られてきた。なんてハードルの高い滑りだしなんだろうと苦悩しながらも、2年3か月ほどほぼ毎週エッセイを書いた。ツイッターでいういいねやファボのようなものが押されて、そのひとびとのブログを見ていくなかで、ひとりだけとても惹かれる文章を書くひとがいた。のつちえこさんだ。ブログの運営会社のひとに呼びたてられてインタビューをされたときに、おすすめのブログはありますかと訊かれて提示したのが彼女のブログだった。大学卒業後の秋から雨上そらと結託して文学フリマに参加するようになって、『NUT's』という小説アンソロジー誌をつくるようになって、学科同期の悠音さん・後輩の史花ちゃん・獅子狩和音ちゃんを仲間に引き入れた。京都に文学フリマがくるからといって『こなっつ』というまた別の文芸誌もつくるようになって、生活は夏から冬にかけて忙しくなった。二〇一七年からはツイッターで「One.」という小説をまいにち更新するようになり、カクヨムを使うようになって淡島ほたるさんというかたの文章と出会った。わたしが書きたくて読みたい文章を書くひとだなととても興味をもった。それから、いつしかフォローの関係にあったカレンさんは話したことはないのだけれどnoteの文章が端正ですきだ。文学フリマで再会したずんばさんに誘われて、転枝さんのDiscordのチャンネルを覗くようになり、学科外の小説書きとたくさん出会った。さいきんは文学フリマ東京にむけて転枝さんが二週間に一度のペースでツイキャスをされていて、それを聞くのがいつも楽しみだ。あるとき、年に一作は新人賞に応募するという正規雇用で就職しなかったじぶんなりのルールが守れなくなって、刊行ペースを落とすことにした。わたしの企画に携わってくれるひとたちも新人賞やほかの活動に精を出してくれることを願っていたら、ほんとうに頑張っていて頼もしかった。わたし自身も賞に応募したものですこしだけよい結果が出たり、新聞のエッセイ欄に掲載していただいたり、つくった新刊を購入していただいたり、とても充実している。いまは次に目指したいものや叶えたいものを選んで手を伸ばしたくなっているのだけれど、だいすきなひとたちを置いていきかねないということに気がついて足踏みしている。書くことは出会いであって、大事にしたいものが・ひとが増えるということなのだと、いまさら気がついた。やりたいことはとりあえずやってみるわたしのことなので、きっとひとりぼっちになっても遂行できる。でも、だいすきなひとたちが傍にいてくれたらもっともっと高いところまで飛べるのになと、すこし、拗ねるようなきもちでこれからのことに想像を膨らませる。人生、八十年まで生きたとして半分の手前のところまできている。きょうも夜が長い。
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自己肯定を他者に委ねるのはすきではないのだけれど、たまにはあなたはこういう人間ですよと客観的な意見がほしくなって占いを見ては、大まかに括って人間味がないといった文面が目立つ。自覚もしているしわかってはいるけれど落ちこむ。
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