ミュージカルジョジョの感想など②【有澤ジョナサン編】

上記の続きです。
今回こそ有澤ジョナサンについて書く。
書き出しつつ、松下ジョジョとも比較できる点があればあげていきたい。

※ジョナ太郎:少年期有澤ジョナサンの意
※ジョナ澤さん:7年後有澤ジョナサンの意

わんぱくの具現化 ジョナ太郎

 「M3侵略」にて卿を挟んでディオとジョナ太郎が出てくる。
 優雅なお辞儀をするディオに対してぐぐっとズボンを上げるジョナ太郎。
気合入れるところ絶対そこじゃないだろ。かわいすぎる。

 勉強シーンでは「まだ学校でやってないところなのに!」と半泣きなジョナ太郎。かわいそかわいい。
 因みに松ジョナは勉強シーンで卿に「何度目だ!」と叱られた際に、そっとピースのように指を二本立てて6回を2回に誤魔化そうとしており、松ジョナは案外ちゃっかりした坊ちゃん像のように感じた。言葉を選ばずに言うとクソガキ感があり可愛い。アニメ版ジョナサンに近い印象。

 食事シーンで絶対に外せないのは上手にナプキンが付けらず、使用人に付けてもらう時に顎を「ん!」と上げているところ。
 ご飯を食べるとき、幼いころ頃から使用人たちに「ジョナサン坊ちゃん、もう少し顔をあげてくださいね」と言われて育った情景が浮かぶ。こういった1の情報から10を想起させるような有澤さんのお芝居が大好きなのだ。

 これはどちらのジョジョも共通だが、お食事中もスーパーエレガントなディオに対して原作と同様にむっしゃむっしゃと食べては手の甲で口を拭き、挙句皿に口をつけてかき込む姿は内心拍手喝采。
 いっぱいお食べ…と思い観ていると食事を下げられて半泣きのジョナサン…可哀想で可愛くて、彼の愛される人柄が滲み出ていた。
 なお、食事中の松ジョナはディオのスーパーエレガント誇張食事動作だけ真似ていた、違うそうじゃない。

 また、順番は前後するが少年期ジョナ太郎の好きなシーンとして、これも細かすぎて伝わらないだろうが書き記しておきたい。
 良かれと思って荷物を運ぼうと近づくジョナ太郎は、ディオに「その汚い手で僕の鞄に触れないでくれるかな」と一蹴された挙句、鳩尾に肘鉄を食らう。私が記したいのはその後だ。
 ムッとしたジョナサンは怒りを抱えつつディオに続いてセット後方の階段(10段くらい)を駆けあがる。

 この時ジョナ太郎はなんと3歩で登り切ったのだ。いくらなんでも脚が長すぎる。(※初日2/12夜,17昼,18昼で観測)
もうそれは少年の一歩ではないのよ。最高、大好きだった。
そして面白いのは歩数が少しずつ公演期間中に変化したこと。

 ⇒その後21夜/23夜は松下ジョジョと同じ一段ずつ上がる小走りに変化
 ⇒更に後日25昼-4/14大千秋楽まで間を取った5歩に変化(それでも一歩は大きい。)
 なお、どれも私が入った公演分の情報しかないため(それはそう)、目安であることはご了承いただきたい。

話題の声のデカさとその落差

「ま"た"明"日"ね"!!!!!!!」

 上記のセリフから「ふーん、有澤樟太郎さん…おもしれー男…」と感じた方も多いのではないだろうか。
 正直なところ、恐らく有澤さんのファンはあの声の大きさに慣れている節がある。私も例外ではない。そのため松下ジョジョ回を配信で観て心底驚いたのだ。

待って、有澤ジョナサンってもしかしてめっちゃ声に濁点ついてる?

 松下ジョジョを観るまでは、「言うても濁点ついてるのは数個くらいだろ~」と頭の後ろで手を組む程度の気持ちだった。
全然そんなことなかった(そこが好き)。

 ただしここで声を大にして言いたいのは有澤ジョナサンの良さはその声の大きさだけではないということ。落差を観てほしいのだ。
 一発で分かりやすいのもあってか、有澤さんは何かとクソデカ大声に焦点が当たりがち(個人の印象です)なのだが、個人的にそうでない“静の部分”や、繊細なお芝居との落差を感じてほしい。

 どういうことか、最も分かりやすいのは「M31 炎と氷」直前のシーン。

「これが君が望んだ世界なのか」
「君がずっと手に入れようとしていた世界は、こんな死人に囲まれた憐れな世界なのか」

ミュージカル ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド 第2幕より

 そのディオに対する眼差しはひどく冷たく鋭い。実際に観ているこちらまで腹の底が冷えるようだった。そしてその根底には、ディオに多くを奪われた怒りと共に、7年を過ごした友への悲しみも潜んでいるように見えた。これが次第にディオへの怒りが現れ、明確な殺意と共に「M31 炎と氷」へと続く。

 Youtubeでも少し観れるので、良かったら見てほしい。
2:45~、後ろから現れるジョナ澤さんにご注目いただきたい。


板の上で生きてる姿

 かねてより怒りや悲しみ、苦しみなど有澤さんの「ポジティブでないお芝居」が好きで、いつも板の上で生き抜く様を観るのが好きだった。今回のジョジョミュは特にそれが顕著で毎回心を震わされた。

 いくつか例を挙げるとするならば、まずはタルカスにぶん殴られてジョナ澤さんが失神するシーン。
 ジョナ澤さんのわずかに開いた瞼の間から黒目がぐりんと上を向き、所謂白目をむいた状態になるのを見た瞬間、思わず喉がヒュッとなった。お芝居だと分かっていても背筋が冷たくなるくらいの生々しい演技。一層釘付けになった。
 あまりにも一瞬の出来事のうえ、細かすぎて気づかない人の方が多いかもしれないのに、そこまでやるのかと。神は細部に宿るとはこういう事を言うのだと思った。

 また、白目で言うとボクシングでディオに目を抉られた際もそうだ。ジョナ太郎は目を抉られてから片手で目を隠しながら倒れこむが、その掌の下でしっかり白目を剥いていた。
 確かに抉られたら目が見えた状態で倒れこむことはないだろうが、目を瞑るでもなくしっかり白目を剥いてることに、そこまでする事実に胸が熱くなる

 因みにこれは一度だけ本当にたまたま観えたもので、いつもそうだったのか、再現性に関しては分からない。友人が超前方席のドセンを勝ち取ってくれなかったら一生知らないままだった。そのくらい普通は見えないことを平然とやってのける…そこに痺れる憧れる~~~!!(引用)


 同様に外せないのは、ジョナサンの最期。
 ジョナサンがディオからの光線(厳密には体液)で喉を貫かれ、崩れ落ちながら振り返る時、息はままならず、目の焦点も定まらずに蹲る。
 それでも「残った僅かな波紋を」とワンチェンに流し込んだ直後、突然に「何かが切れた」と掠れ声で語るジョナサンは床に倒れこみ、エリナの腕に抱かれる。
 ここのジョナサンの最期のパワーと、それを使い切ってからの落差が、まさに彼の命の灯火がふぅ、と一息でかき消されたかのようで堪らない気持ちになる。

 ジョナサンは残酷にも目の焦点も定まらないまま知らぬ子を指さして、あの子を助けてエリナに生きろと伝える。そうして「どうか君だけは幸せに」とエリナを抱きしめ返し、彼女の頭を撫で、その手で簪を抜き取ってディオの首に突き立てる。
 愛する人の腕に抱かれ、その人から得た武器で(ここの改変素晴らしすぎて内心拍手喝采)、かつて多くを奪った友を腕の中で仕留める。
 文字通り力の限りを尽くしたジョナサンは、ディオと共に水底へ堕ちる…ここまでの全ての一挙手一投足に、毎度息を飲み、目が離せなかった。
 一人の男が次へ繋いで事切れる、これを有澤さんのお芝居で観られた幸福、プライスレス。

 これはおまけだが、ジョナ太郎とダニーの戯れる姿も大変すばらしかった。細かい動きが動物飼ってる人のそれなのだ。
 単に撫でると言っても、鼻の上を撫でたり、鼻の横のマズルをむにむにマッサージしたり、無駄に口の辺りを触ったり…肉球を嗅いだ(ように見えた)ときには流石に声が出るかと思った。


また有澤さんのジョナサンに会いたい

 兵庫公演での大千秋楽まで何度か観劇する度に、初日カーテンコールでの有澤さんのご挨拶や、Xでの「たくさんの想いを胸に千秋楽まで」。


 この言葉が全てだった。何度も舞台の上で生き抜く姿を観た。

 このミュージカルジョジョの幕を開けるまでに、本当にあらゆる細部に至るまで、観客の目には映らない努力と時間と苦労が費やされているのを実感した。
 大千秋楽カーテンコールで宮野さんが涙ながらに零した言葉や、「皆さんを幸せにできたと思っていいですか」と叫んだ有澤さんの姿を生涯忘れることはないんだろう。

 それと同時に去年の有澤さんの出演作「わたしを、褒めて」が頭によぎる。詳しくはここに書かないが、言わんとすることは伝わってほしい。
 有澤さんや出演キャストの皆さんはもちろん、ミュージカルジョジョを動かしてきたあらゆる人達に感謝を伝えたい。

 ジョジョに限らず、有澤さんのお芝居を初めて観た日から今日まで、劇場へ足を運ぶたびに、「有澤さんのお芝居が好きだ!生きてて良かった…」と噛み締めている。きっとこれから先もそうだ。

 それが元より好きな「ジョジョ」という作品で、それも一番好きな有澤さんがジョジョを演じる…こんな幸福があって良いのか?と思いながら劇場に足を運ぶ日々だった。
 でもだった、だけで終わってほしくないと思ってしまった。きっとそう感じた観客は私だけではないはずなのだ。

また再演してほしい。できれば、同じキャストで。
そしてまた有澤さんの演じるジョナサンに会いたい。

「またここにジョジョとして立てるように」

あの言葉を信じてひとまずは円盤を待つことにする。


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