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町役場に勤めていたのに、故郷はちっとも見えていなかった
お疲れさまです。
まちづくり支援団体スタッフのフジワラサヤカです。
お仕事で矢巾町内をひとりでぐるっとした時の話。
私の母校である、矢巾町立徳田小学校。
徳丹城というお城の跡地に建てられ、
私が小学生1年生の時に創立130周年だったので、
今となっては150周年を迎えようとする歴史ある小学校。
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この周辺をうろちょろしていたところ
校舎の青い屋根、校庭の遊具の位置、
年季の入った自転車置き場、外から見える下駄箱の位置、
苔がたまに発生してしまう小さめのプール・・・
なんにも変わっていない!
どれもこれも、10年以上前に6年間通い続けた景色と一緒。
一気に懐かしさがどわっと溢れ出す。
気が付いたら、4号線を架ける歩道橋を駆け上がっていた。
岩手県は圧倒的車社会。
社会人になってから、歩くという行動が減少した中で
歩道橋に上るなんて何年ぶりだろう。
体って本当にすごい。
友達と好きな男の子を教え合った帰り道
学校行事で陸上記録会が一番熱が入っていたな
親に反対されたけど、ピンク色のランドセルを背負った
どんどん記憶がよみがえってくる。
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ほくほくした気持ちで母校を後にする。
すると、道中でまた懐かしい光景が。
![](https://assets.st-note.com/img/1649249872606-i7MgfUZcRd.jpg?width=1200)
うわ、花いっぱい運動だ!
この取り組み、今でも残っていたんだ・・・
当時は、すこし面倒くさがって植えたけど
何だかんだ友達に会えるから楽しかったんだよな。
花植えはお母さんたちに任せて、子供たちは公民館のブランコに夢中。
![](https://assets.st-note.com/img/1649250162155-p2kgiBDlOe.jpg?width=1200)
母校の中学校、矢巾町立矢巾中学校。
私が過ごした校舎の姿はない。
中学校3年生の時に、新校舎が完成し移転した。
旧校舎の跡地は現在、多目的グラウンドとして利用されている。
この場所で、一生分の汗をかくほど部活をしたっけな。
当時は毎日怒鳴り声をあげて熱血指導していた顧問の先生は
今となって校長先生にまで昇任していた。
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あれ・・・
役場職員として、矢巾町をよく見てきたつもりなのに。
確かに矢巾町のことはよく見てきた。
住民サービスだとか、町のお金の仕組みだとか
どんな年間行事やイベントが行われているのだとか
そのようなことには断然詳しくなった。
しかし、目の前にやってくるタスクを処理するのに精いっぱい、
私が持っていた事業は日々数との闘い。それ以上の熱意、感情はない。
仕事上、最新の住民異動の情報は処理してきたはずなのに
人々の暮らしまで感じ取ることができなかった。そんな余裕がない。
職員全員がこのような認識があるわけではないが
私は、『まちづくり』とか『地域おこし』とか
そのようなワクワクすることは、とっくに忘れてしまい
矢巾町は仕事をするところという認識が強くなってしまっていた。
と言うことにいま、気がついた。
ひさびさに矢巾町を故郷としてみることができた。
今までの人々の暮らしが、今の矢巾町を作りあげている。
26歳を目前とした今、故郷を肌で感じ取れて本当に良かった。
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