ピンクの箱の中身
日曜日のあさ、ひと通りのことをしたあとで、コーヒーでも飲みながらのんびり観られる映像ものがないかな、とAmazonPrimeVideoをぱちぱちやっていたら、『ドーナツキング』というのが目に入った。アメリカのドキュメント作品のようで、アジア系のおじさんのまわりにカラフルなドーナツが散りばめられ、タイトルデザインにはピンク色。
コーヒー片手にドーナツ(の映画)というのはいいではないか、そういう感じで視聴を開始した。
この作品は、1970年代にカンボジアからアメリカに移民としてやってきたテッド・ノイ(Ted Ngoy:born Bun Tek Ngoy)さんが、やがて「ドーナツキング」と呼ばれるほどに事業を繁栄させた過去を振り返るドキュメンタリーだった。
彼はカンボジア内戦のすえ難民となって家族とともにカリフォルニアに移り住み、ひっしに働いていたある日、近くからいいにおいがしてくるのをとらえた。そのいいにおいはドーナツ屋から出ていた。店でドーナツを買い、そのおいしい食べものを口にし、おいしさを気に入った。
彼がドーナツに出合ったそれは夜中だったが、そんな時間にもかかわらず繁盛しているドーナツショップに注目した。自身で開業したいとおもった。
おいしいドーナツをもぐもぐとほおばりながら、店の売り子に「お金を貯めたらドーナツショップを開ける?」と訊ねると、売り子は「ウィンチェルで修業するといい」とこたえた。ウィンチェルとは当時西海岸で店舗を広げていたドーナツ・チェーン店のことだった。
テッドはさっさとWinchell's Donutsに行き、ウィンチェル・チェーンがやっていたトレーニングプログラムを受け、仕事を覚え、すぐに店を任された。
しばらくしてテッドおじさんはオレンジカウンティに移住し、そこの店舗でも家族を動員して休みなく働きつづけ、店を繁盛させた。
ある日掘り出し物の物件の情報を得て、ついに自分の店をもった。屋号は妻の名(改名後)と同じ「クリスティーズ(Christy's)」にした。
自分と同じくカンボジアの内戦から逃れ、移民としてやってくる親戚や同胞たちがアメリカで生きていくのを支援するため、次々とドーナツショップをオープンし、ドーナツの作りかたを教え、彼らを雇用した。
北東部で勢力を伸ばしていたダンキンドーナツ(Dunkin’)の進出を跳ねかえすほど、カンボジア勢たちはがんばった。テッドおじさんは大金持ちになった。気がついたら「ドーナツキング」とあだ名されるほどになっていた。
映画制作当時77歳のテッドおじさんが、「ドーナツキング」になるまでを本人や家族とともに振り返り、さらに彼の世話で店をもって商売を続ける人々のインタビューとともになぞっていく。同時に、当時のカンボジアの内戦状況を伝えるニュース映像などのシリアスな場面が間に入る。
オープニングでは、テッドおじさんが自分の原点であるウィンチェルの先輩(撮影時91歳)と言葉を交わし、ドーナツを作る様子やはじける笑顔で客に提供する演出だった。
彼らカンボジア勢のがんばりをハッピーにつづった映画だとおもって、後半よそ見気味に観ていたら、残り30分くらいのところから様子が変わった。
テッドおじさんはあるときからギャンブルにのめりこみ、借金を重ねて店をつぎつぎと売り渡し、すべての店を失い破産した。建てた豪邸は差し押さえられ、帰国中のカンボジアでふとしたことから浮気をし、それがもとで離婚。そんなエピソードが急速に語られたので面食らった。
離婚後はカンボジアで政治家としてやり直そうとしたらしく、そこらへんは映画では語られないけれども、制作時はカンボジアに暮らしていたようである。
元妻や子どもたちとも疎遠になっており、映画のためにカリフォルニアに戻ることにかなりの葛藤があったらしいけれども、現在も店を続ける移民の人々は、彼のふるまいについてはそれぞれ意見しつつ、支援してくれたことへの感謝や功績を認めていたことから、出演を決心したらしい。
たんなる陽気なアメリカン・ドリーム映画ではなかったあたり、それなりに観てたのしむことができた(愉快という意味ではない)作品だったかもしれない。
ところで、この映画を観て知ったことがひとつ。
アメリカのドラマや映画では、ドーナツがしょっちゅう出てくる。仕事中の警官が店に入り、コーヒーとドーナツを買ってほおばっていたり、職場や学校でドーナツの入った箱を持ってくるのがいたり、AA(Alcoholics Anonymous)みたいな集まりでテーブルに置かれていたりする。アメリカにおけるドーナツは、日常に欠かせない食べもののひとつのよう。
それでその、ドーナツが1ダースとか入っている箱が、ピンクなのである。日本にしか住んだことのない私でさえ、映像作品でひとかかえもあるピンクの箱が出てきたら中身はドーナツだというのがわかるほどに、どのシーンでもドーナツはピンクの箱に入っている。
その、ピンクの箱のルーツはテッドおじさんであったのだ。
彼がウィンチェルから独立したとき、箱は白いものだった。とにかく少しでも節約し、金を稼ぎたいテッドおじさんは、ある日資材屋に相談をもちかけた。
「箱をピンクにしたいんだけど」
ピンクのほうが安かったのだそうだ。それで、テッドおじさん以下カンボジア勢の店ではピンクの箱が定番になった。これが、アメリカ全土(かは知らないけど)に広がるほどになったようだ。
日本の片田舎に住んでいても「ピンクの箱にはドーナツが入っている」と刷り込まれたのだ。
やっぱりすごい人らしい。
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今日の「願望」:ダンキンドーナツのオールドファッション(ミスタードーナツのそれとは違う)がシンプルでおいしい、というのをどこかで読んで以来、ずっと食べてみたいとおもっているんだけれど、ダンキンドーナツのある街に住んだことがないから果たせずにいます。