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喫茶店百景-とけい-

 母が仕事を終えるのを待って、保育園や小学校のあとは店で過ごしていた。子どもの頃の話。

 きょうだいの上のふたりとは4つ5つと離れていて、それもあって私は母にべったりだった。保育園では給食の先生にいつもくっついていたし、店にいるとお客さんからもかわいがられる。末っ子で甘えんぼうの見本みたいに育った。
 それでも、店に長いこといると退屈する。お客さん用のマンガや雑誌を読みつくし、客席がすいていたら窓から下を眺め(店は2階にあった)、たまにお手伝いをしたり、人に会いたくないときは物置に隠れて眠ったりした。もうひとつ思い出したのが、店のカウンターで足をぶらぶらさせて、砂時計を眺めることだった。

 サイフォンでコーヒーを抽出するときや、紅茶を淹れるとき用に砂時計がいくつか置いてあった。さらさらと砂が落ちるのを眺めていると、なんとなく心が落ち着くのか、何度もひっくりかえして眺めるというのを飽きずにやっていた記憶がある。
 トップ画像の砂時計は当時からのもののひとつで、父の部屋にあったのを借りてきた。コーヒーの煙とタバコのヤニで汚れている。きれいにしようとおもったけどそのままにした。これは2分計れる。

 時計といえば店には振り子の掛け時計があった。かちかちという音とともに時計が動き、一定の時間ごとにボーンと鳴る。父や母がネジを巻いて動かしていたけれど、忙しいと忘れることもあって、ときどき時計は止まっていた。時計はネジを巻かないと止まるものだったのだ。ネジを巻くときの音も憶えている。

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掛け時計は父の部屋にある

 今はなんでもデジタルで、時計の文字盤もデジタルばかりが目につくけれど、時計といったら長針と短針が時刻を示すほうが好きだ。秒針がゆっくり回る様子も好ましい。時間なんてだいたいのものがわかればいいとおもっている。

 砂時計が欲しくなった。

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片山 緑紗(かたやま つかさ)
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