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小さな蛇に捧げる小さな文章

 半月ほど前に訪問した上五島での写真で、現像していないのがいくつかあった。今日はちょっと手がすいたから、後回しにしていたいくつかを現像するなどした。

 これとは別の日に、外海そとめにも撮影に行ったんだけど、そのときのことで思い出したことがあった。

 長崎では、御堂の中の写真はご遠慮願っている。それでも撮る人は撮っちゃうんだけれど、このときはしかるべき手続きをおこなって、許可を取得していたというのを書いておく。
 それで、出津しつ教会で堂内の撮影をしていた最中、私はひとりで主祭壇あたりで写真を撮ったり、ものを動かしたりしていた。説教台のあたりでガタゴトしていたら、視界の端に動くものをとらえた。目をやるとそれは黒くて細長くて、私は紐かな? とおもった。するとそれがシュルシュルと動いた。蛇だった。
 おお、とおもって「蛇がいますよ」とその日当番で立ち会いをしていてくれた信徒のおふたりに向かって言うと、ふたりともきょとんとする。それでもう一度指を差して「ここに蛇がいますよお」と言うと、ちょっとした騒動になった。
 蛇は小さくて、細くて、真っ黒で、キレイだった。祭壇には赤いじゅうたんが敷いてあるから、それが余計に蛇を際立たせた。
 信徒のおふたりは何かそれぞれ道具を手にやってきて、私はてっきり外に出してやるのだとおもったら、蛇はその場で始末されてしまった。胸が痛んだ。

 このときはまだ仕事があったので、それを済ませることに意識を持っていき、蛇のことはしばらく離れたところに追いやった。それが、今日、写真の現像をしていたところでよみがえってきた。

 出津教会の脇祭壇には、向かって左にミカエル像、右に聖母像が置かれていて、私が最初「蛇がいますよ」と言ったとき、信徒のおひとりは聖母の足元に踏まれた蛇のことだとおもったそうだった。(御像の写真も撮ったけれど、御堂の中なのでここには掲載ができない。代わりに他所のミカエル像を置いておきます)

剣を持つミカエル像って珍しいかもしれない

 それで、蛇の一件を思い出すのと同時に、聖母が踏んでいる蛇のことを考えた。これは言うまでもなく、アダムとイヴをそそのかした、あの邪悪な蛇を象徴していて、何かそれが自分の中の暗い面と重なってしまった。あの小さくて美しい蛇が始末されてしまったことをおもって、もう一度胸を痛めた。
 私が見つけなければ、まだ生きていたのだとか、あの蛇は私自身のどこか一面の顕れだったかもしれないとか、そんなことをうすぼんやりと考えた。

*

 ところでこうやって日々あれこれと書いているんだけれど、ときどきふと、わざわざ書かなくったっていいのじゃないかなどとおもうこともあります。だけれども、書いたっていいわけです。誰かが読んでくれるにしても、読まれないにしても、書きたいなら書けばいい。そういうわけで、どこか開き直って、どうだっていいようなことも、ちょっと大事かもしれないことも、引き続き書いていこうと(今のところは)おもっています。
 みなさん、いつも読んでくださってありがとうございます。
 こういうことを考えたのは、Amazonビデオ・オリジナルのドラマ『マーベラス・ミセス・メイゼル』の主人公ミリアム・メイゼルの姿を観たからで、そのあたりのこともそのうち書けたらいいな、などとおもっています。

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 今日の「女の子たち」:昨日だったかな? みんなで白のオーバーオールを着た3人組のティーンの女の子を見た。だから? と言われても困るけど。

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片山 緑紗(かたやま つかさ)
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