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旅と巡礼

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近所だったり、ちょっと遠くだったり。旅と巡礼とは切り離せないもののようです。
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#ド・ロ神父

Anniversary of Father de Rotz's deathード・ロ神父の命日ー

 1週間前の11月7日は、ド・ロ神父の命日でした。その日、用事があって午後から外海地区に出かけていました。先月その近所で撮った写真もそのままにしていたし、命日までにちょっとした記事にしたいな、と思いつつ、1週間が過ぎてしまいました。  しっかりした記事を書く余裕がないけれど、これ以上日をあけると機会を逃すので、記念ということでちょっとだけ書いて、写真をつけておきます。 *  ド・ロ神父(Marc Marie de Rotz)は、1840年3月27日にフランスのバイユー近

ド・ロ神父の悪魔祓いー島田喜蔵神父の述懐ー

 先日の記事でド・ロ神父(Marc Marie de Rotz)の悪魔祓いのことを書いた。ド・ロ神父のこのエピソードは、教会発行の冊子、外海町誌、他いくつかの文献とも私がみたものでは、ほとんど同じ内容のことが書いてあった。  記事を書いたあと、その場に居合わせて、のちに司祭になった島田喜蔵神父の伝記をみつけた。もしかしたらド・ロ神父のエピソードがあるかもしれない、とおもって開いてみると、書いてあった。内容が他のものと少し違っているのは、伝記が書かれた時期がいちばん新しいから

ド・ロ神父の悪魔祓い

 宗教のことを考えていて、ふと、長崎の外海地区でいろいろと貢献をしたド・ロ神父にも悪魔憑きの話があったな、とおもいだした。そのエピソードが書いてあったのは、1965年に出津教会が発行した冊子だった。  それは明治13(1880)年ごろのことで、樫山という村の15歳ほどの娘が奇妙な症状をみせるというのでド・ロ神父が呼ばれた。ナセという名のその娘は、自宅にいながら漁に出た父親の様子を話しだす。父親が戻ってたしかめてみるとそのとおりだった、とそんなふうだった。  ド・ロ神父が出津

縁の下のサルモン神父

 いつか、とおもいつつずっと訪れることのなかった場所に、先日案内してもらって行ってきました。しょっちゅう行っている、外海の教会のすぐそばにあるんですけどね。 *  パリ外国宣教会のド・ロ神父は1868年に来日し、長崎・大浦や横浜で印刷などの事業と司牧を兼務した。  ところで、あらゆる媒体でド・ロ神父と呼ばれ、すっかりなじみとなっているこのフランス人司祭の名前はMarc Marie de ROTZで、マルク=マリー・ドゥ・ロッツと発音する。deはフランス革命以前に貴族だった

遺構が

 年末に大平作業場跡に行った。  大平作業場というのは、パリ外国宣教会のド・ロ神父が外海地区の主任司祭として司牧をしていた1884(明治17)年ごろに開いた、農園のそばにある建物の遺構である。  以前、何度か訪れたことがあって、そのときには煉瓦壁のみが残る、まさしく遺構だった。ここ数年、この大平作業場跡の保存工事がおこなわれることは聞いていて、昨年秋にオープニングイベントがあったのも耳にしていた。  オープニングイベントのちょっと前、Kさんと訪ねたとき、工事途中の様子を見て

あのささやかなデコレーション

 ちょっとした報告用の資料をつくるのに手をかしてほしい、というので外海地区を訪問してきた。今日はたいへんな晴天だった。  提出用として(スマートフォンで)ささっと写真を撮って聞きとりをしたあと、少しだけ自分用にも写真を撮ってきた。  ちょっと前に、明治にこのあたりでいろいろな活動をした、パリ外国宣教会のド・ロ神父の手がけた建築物のことをちょっと書いた。何度も訪ねている場所だけれど、今日はまた知らずにいたその特徴のいくつかを見つけて、気もちが少しおどった。  このところ、あ

実直で堅牢なカーブ

 大浦天主堂の境内には、天主堂の他に旧羅典神学校と旧長崎大司教館という建物がある。そこらへんの資料を読んでいると、いろんな文献に実にいろんなことが書いてあって退屈しない。と言ってもそれらが全部信頼できるソースからのものとは限らないが。  このふたつの建物の設計者はド・ロ神父で(旧大司教館の方は鉄川與助との共同設計)、ド・ロ神父といえば外海地区にも教会堂などを建てたことで知られている。  ド・ロ神父の設計物とおもってあらためて眺めてみると、どれも実にしっかりと、実直につくられ

松浦家の家紋は三つ星だと知った

 仕事の用があって平戸市に行ってきた。平戸大橋より手前には田平教会があって、ここにも寄った。1年半ぶりくらいだった。  田平教会のあるエリアは、もとは世界文化遺産『長崎と天草地方潜伏キリシタン関連遺産』の構成資産のひとつだったけれど、いろいろあって外れてしまった。そうはいっても、多くの人の興味を集める教会堂である。当初からの登録に向けた準備からの縁で、その後も仕事でも個人的にも8年ほどやりとりが続いている。  田平は外海の出津と関係がふかく、それというのはド・ロ神父のいく

堂崎教会とド・ロ版画

 先月の下五島訪問は、主に奈留島と久賀島がメインだったのだけれど、福江島での時間があまってどうしようかとおもった。未訪問の地区や教会というのも多く、悩んだけれど、堂崎教会にもう一度行こうとおもった。  ここは現在資料館となっていて、展示資料のなかにド・ロ版画があるのを思い出したのだ。前回訪問時に見た記憶がほとんどなかったため、きちんと見ておきたいとつねづねおもっていたのだった。  レンタカーを手配して、堂崎教会に向かった。この日の午前中は久賀島へ行ったのだったのだけど、久

外海にド・ロ神父というひとがいた

 ここ数年、外海(そとめ)という地域と縁がありたびたび出かけている。角力灘を挟んで五島列島と向い合せの位置となっている。  最初に日本にキリスト教が伝来した1549年以来、このあたりでは1571年にイエズス会の宣教師によりさかんに宣教活動がおこなわれた。禁教や迫害を経て1854年の開国後、パリ外国宣教会のド・ロ神父により1882年に出津教会が建設され、その後信徒が増えたため1893年には大野教会を建設。この地ではド・ロ神父さまは偉大であり、いまだに尊敬と親しみを持たれている