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旅と巡礼

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近所だったり、ちょっと遠くだったり。旅と巡礼とは切り離せないもののようです。
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#雑文

自らの中心をはずすことなく

 このところ、塩野七生氏の『ローマ人の物語』シリーズをちまちまと呼んでいる。とてもたくさんあるので、ほんとうはひと息に読み進めたいところなんだけれど、他にも読まないといけない本や、そのあいまの気分転換のための読書とかで、とびとびになってしまう。  京都への移動時間には、その土地につながりのある書物を読んだほうが(訪問先の選定なんかに)いいよなあ、と思いつつ、つい、まとまった時間がとれるというので上記のシリーズをどんどん読んだ。戻ってきてからちょっと間があいてしまって、今はユ

都の聖母 Notre Dame de Miyako

 ことし1月の半ばくらいから、京都へ行こうかな、という考えはあったものの、最終的に決めたのは出発の3日前だった。そういうこともあって、足を運ぶ場所というのもうすぼんやりとしたもので、(行ってから決めればいいか)とかそんなふうだった。  宿泊のホテルを決めて、周辺になにがあるんだろうなとGoogleマップを眺めていたら、ホテルのすぐそばのある地点に「キリシタン」の文字が見えた。「元和キリシタン殉教碑」と、ある。頭のすみに入れておいた。 *  到着した日には、前回の記事のと

法然上人をたずねて知恩院

 2021年4月以来の京都訪問。初日に、知恩院をたずねた。ちょっとした理由から、一度来ておいたほうがいいかな、と考えてのことで、それ以上のことはない。  知恩院は浄土宗の総本山ということである。浄土宗の開祖である法然上人とのかかわりから、この場所についての説明をする。 法然と比叡山  法然(幼名・勢至丸)は、長承2(1133)年、美作国久米郡久米南条稲岡荘*に生まれた。生家は武士の名家で、9歳のころに父時国が夜討ちに遭う。事件で負った深手がもととなった、父の臨終の枕辺で

魂の現実活動ー岩屋山神通寺ー

 以前、話に聞いて行ってみたいとおもっていた、岩屋山への登拝がかなった。標高475mのこの山の麓には岩屋神社があるのだけれど、そこはさらに古くは神宮寺(のち神通寺)といったのだという。Kさんにさそってもらってうきうきとカメラを手に出かけてきた。山を登るのは久しぶりだから、うれしがりながらも気もちは引き締めておいた(つもり)。  登山口はいくつかあるらしく、この日は参道の入口に車を停め、まず登頂してから登りとは別のルートで神社のほうにおりていった。雨のあとで少しぬかるんでいて

冬の熱帯

 昨年末の宮崎で強い風が吹く晴れの日に、青島神社を参詣した。風のせいで白波がたっていて、波も高く、青島につづく橋(弥生橋)を渡るとき友人は「モーセの十戒のようだ」といってはしゃいだ。  拝殿でお詣りをして、むかしはなかったという絵馬のアーケードをくぐり、国の天然記念物に指定されている熱帯植物群のなかを歩いた。ここに祀られているのは彦火火出見命・豊玉姫命・塩筒大神の三神、彦火火出見命は「海幸彦・山幸彦」の山幸彦、神武天皇の祖父である。また境内のいくつかある摂社のなかには弁財天

12月の宮崎で

 12月が好きだ。  ことしは、3年ぶりに宮崎を訪ねて数日過ごしてきました。わりといつものことだけれど、友人とのスケジュールを合わせるだけで、とくに何も決めずに行きました。目的は「そこへ行く」ことですから。 *  着いた日には、飫肥地区へ行った。飫肥にはかくれキリシタンの墓碑がある(らしい)というので、友人と待ち合わせてとにかく車を走らせる。しっかりした場所については不案内な本を片手に向かう途中、いくつか寄り道をする。そのひとつが「にこにこショップ」で、そこは日南名物(

とどろきのふち

 2週間くらいまえに、旅のおともで寄り道した場所があった。長崎県の大村市、地図には「山田の滝」と示されている。滞在時間は20分くらいだったろうか、初めての場所である(付近は通ったことがあるだろうけど)。  山田の滝、そしてそのふもとにあるお社はどういうところなんだろう。少し調べて出てきた情報をもとに書いてみる。 *  まずはじめに断っておくことは、滝までは行ってないということである。だから、写真はお社周辺と、川の下流である。  山田の滝について調べてみた。ここは、大村

久留米散歩 もうちょっと

 最近いろいろ停滞気味で、noteの記事も進まない。そんな日々を過ごしているうちに、興味をもったことにも集中できないまま霧のようにうすれて散ってしまう。そういうのってなんだかよくない気がする。今日は、先日の七木地蔵のつづきというか、そのまわりのことをもう少し整理して書いてみたい。 * 久留米と弁財天信仰  先日の七木地蔵詣りのときに、しっかりと見ていなかったけれど、境内には弁財天も祀られていて、これはおそらく昭和49(1974)年の移転のときに七木地蔵の足元から発掘され

久留米散歩 七木地蔵

 「散歩しに七木地蔵まで行ってみたらいいよ」  このあいだ、空き時間の過ごし方についてこんなふうに勧めてもらった。ななきじぞう、というのを聞いたことがなく、そしてどんなものかもよく考えもせず、カメラをもって、てくてく歩いて行ってみた。冬の寒さでからだが縮こまるような日の午前中だった。  教えてもらった場所をめざして歩いていたら、一本入った道のわきに「七木地蔵」の文字が矢印とともに書かれた看板があった。その看板につられてその通りに入っていくと、看板のある場所には神社があった

Anniversary of Father de Rotz's deathード・ロ神父の命日ー

 1週間前の11月7日は、ド・ロ神父の命日でした。その日、用事があって午後から外海地区に出かけていました。先月その近所で撮った写真もそのままにしていたし、命日までにちょっとした記事にしたいな、と思いつつ、1週間が過ぎてしまいました。  しっかりした記事を書く余裕がないけれど、これ以上日をあけると機会を逃すので、記念ということでちょっとだけ書いて、写真をつけておきます。 *  ド・ロ神父(Marc Marie de Rotz)は、1840年3月27日にフランスのバイユー近

肥前一宮

 佐賀県三養基郡みやき町に千栗八幡宮というお社がある。たまに、そばを通ることがあって、気になっていたのだけど、先日機会をえて立ち寄った。  地図の示す駐車場にむかって車で上っていくと、混雑というか賑やかな気配がして、これは、とおもう。境内では高校生らしき吹奏楽部(?)が秋の(といっても真夏のように暑かった)神社に似つかわしくない音楽を披露している。  よりによって、と、なんともいい表せない心もちで、Kさんとお詣りをする。マツケンサンバを背中にうけとめつつ神社をあとにした。

ド・ロ神父の悪魔祓いー島田喜蔵神父の述懐ー

 先日の記事でド・ロ神父(Marc Marie de Rotz)の悪魔祓いのことを書いた。ド・ロ神父のこのエピソードは、教会発行の冊子、外海町誌、他いくつかの文献とも私がみたものでは、ほとんど同じ内容のことが書いてあった。  記事を書いたあと、その場に居合わせて、のちに司祭になった島田喜蔵神父の伝記をみつけた。もしかしたらド・ロ神父のエピソードがあるかもしれない、とおもって開いてみると、書いてあった。内容が他のものと少し違っているのは、伝記が書かれた時期がいちばん新しいから

ド・ロ神父の悪魔祓い

 宗教のことを考えていて、ふと、長崎の外海地区でいろいろと貢献をしたド・ロ神父にも悪魔憑きの話があったな、とおもいだした。そのエピソードが書いてあったのは、1965年に出津教会が発行した冊子だった。  それは明治13(1880)年ごろのことで、樫山という村の15歳ほどの娘が奇妙な症状をみせるというのでド・ロ神父が呼ばれた。ナセという名のその娘は、自宅にいながら漁に出た父親の様子を話しだす。父親が戻ってたしかめてみるとそのとおりだった、とそんなふうだった。  ド・ロ神父が出津

あらためて京都

 最近、ちょっとした必要から京都・八坂神社の祭礼、祇園祭まわりのことを調べていた。祭りというものを好まないために、祇園祭は神輿の祭りだけれども山鉾が人気とかそういうことも知らなかった。祇園祭・山鉾といってうかんだのは、MASTER KEATON「祈りのタペストリー(10巻のCHAPTER7)」に祇園祭が取り上げられていたのと、妹尾河童さんのエッセイで見た彼による緻密なイラストだった(長刀鉾を描いておられた)。  京都・八坂神社における祇園祭のもととなっているのは、御霊信仰と