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5月の前半、次なる撮影目的地は島原半島を経て天草だった。 まずある日の午後に、近所の撮影があった。ここを終えてから島原半島へ向かうスケジュールとして計画を立てた。 ある、温泉地にほど近いところにひとつめの宿をとった。温泉がついていて、そう高くもない値段だ(素泊り設定だったしすごく安いというんでもないが)。 宿が決まっていたことで、もう意識は撮影のための手順や地図などの確認に向いていたところ、出発2日前の夕方電話が鳴った。知らない番号だったけれど、島原あたりの市外局番
前回に続いて利用した宿の回想録をつけていく。 * 佐世保、平戸の県北地域が目的地の行程をこなすため、予定を立てた。最初の目的地は西海国立公園九十九島における最大の島、黒島だった。 相浦という港からフェリーボートを利用して島に渡る。1便めがけて、他の都合などとの兼ね合いでTという町を前泊地に設定しておいた。 仕事を片付けて出発したころは雨模様だった。翌撮影日の予報は晴れであったけれど、それでもやはりちょっとした不安がよぎる。 不安を感じていてもおなかはすくわけで、
ある仕事のプロジェクトでいくつかの土地をまわり、いくつもの場所で撮影をする旅をしたことをここ数回の記事で話題にしている。 旅には宿泊が伴う場合が多い。今日はこの一連の旅において利用した宿について、回想をしながら書いてみようとおもいたった。 * 下五島では2泊した。当初のスケジュールでは、週を隔てて上五島エリアを目的とした日程が先にくるはずだったのだけど、天候などの関係で下五島エリアと入れ替えたことから、そんな調整がいくつか必要になった。 入れ替えた日程での宿探しは
およそ1年ぶりくらいで天草に行ってきた。長崎から熊本の天草まで行くのにいくつか手段のあるなか、前回と同じ南島原市口之津の港からフェリーを利用した。 天草に行くのは3度目で、初めての訪問で兄のとこのチビふたりを連れて行ったときのことをふと思いだした。 いま上の女の子は15歳、下の男の子はもうじき13歳になるけれど、天草に連れて行ったときはたしか10歳と8歳だった。そのときは長崎市の茂木という港から出る船を使って、乗船時間は45分くらいだったとおもう。ふたりとも船に乗るの
旅の途中でいくつか寄り道もしながら写真を撮った。ぴんときた場所に移動した師匠がいい構図をみつけたと言って撮りながら、私に(私が気が付かなかった構図をみつけられたことが)悔しかろ、と言った。 とっさにというか、正直なところ悔しいという気もちは湧かなかったのでそう答えると、他の人は悔しがるのだと言った。私は悔しいよりも先に、さすがだなというふうにおもった。 あとから、どうしてそう答え、おもったかを観察してみたところ、それはやはり師匠の構図で、その手によるものは私のすきな、
ここひと月ほどは、あるプロジェクトで主に教会堂を目的とした撮影(助手)としての移動、旅をいくつかしています。まだあと少し残ってて、それに撮影が完了することがゴールではなく後に続く作業もあることから、なんだか書くほうにエネルギーを使うことができていません。 それでも今回の撮影は得るところも感じるところもたくさんたくさんあって、五感的にはとてもせわしない日々です。 * それと別に、ある撮影をさせてもらう機会もありました。現像まで含めて理解の乏しかったことを情けなくおも