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濃藍

僕はSunny Girlと出会ってからたくさんライブハウスに行き、たくさんSunny Girlの音楽に触れてきました。
たくさんの感情を僕にくれました。
Sunny Girlを聴くうちにどんどんと興味関心に溢れ、
もっとSunny Girlの事が知りたいと思うようになりました。そこで、僕が思ったこと、感じたこと、考えたことを忘れてしまわないうちに言葉にして纏めたいと思い、拙い文章を書くことにしました。

今回はSunny Girl 1st single
僕らを季節と呼ぶのなら
M1 濃藍
についてです。

僕らを季節と呼ぶのなら の 1曲目にくる 濃藍 は
まずジャケ写のデザインの話から。
(もう知ってるって人は飛ばしてください、、、)

つい最近まで水滴のような、なにかの模様のような、
独特なデザインだなとしか思ってなかったんだけど、
このジャケ写をよく見たとき、
4枚の写真から構成されることに気付いた。
左上が桜、左下が花火、右下が粟(かな、自信は無いんだけど秋に関する穀物類だとは思う、、)、右上が雪で分けられる。それぞれを日本の季節に照らし合わせてみると、春 夏 秋 冬になる。春夏秋冬=季節

この時点で買ってよかったと改めて思えた、
これが連太郎くんの言う

"不便って案外愛おしかったり
宝物になったりしますよ!"

ってことなのか、、、と
これが"本質"なのかな、と

次は色の話です。
曲タイトル「濃藍」とも何か関係があるのかなと思って色についても調べてみました。
日本の伝統としても有名な藍染め。その中でも、最も濃い色のひとつとして知られ、藍染めには色が褪せにくいという特徴もあります。深みと風雅さを持ち、雅な雰囲気や高貴さを表現するためにも使われることがある色です。色言葉には"理想"と"現実"の相対する言葉があります。

ここからは歌詞の話。
濃藍の歌詞の中に「あなたが季節なら 春以外も全部青なのに」っていう言葉があって、これって、春以外の季節、つまり夏秋冬のことを指していると思う。
夏秋冬がなんで青なのかっていうのは連太郎くんのこのツイートが肝だから見て欲しいです。

ここに出てくる"青春"と"白秋"って言葉が関係してて、
"青春" は馴染みのある言葉だから何となく意味も分かると思います。
対して "白秋"
これがどんな意味なのか分からなくて本を読んでみました。本を読んで分かったことは "青春" も "白秋" も
古代中国から伝わる「陰陽五行」っていう思想だということ。
この陰陽五行思想を分かりやすく解説すると、
陰陽 は 、「冷たさ 温かさ」「月 太陽」などのように
相反するものでありながら共存の関係にもあるもの。
五行 は、木・火・土・金・水の五つの要素で物事を
捉える考え方のこと。
この五行に様々な事象や事柄(数字、色、方位、季節)を当てはめていくことを五行配当と言います。
下の写真は色と季節の五行配当になっています。

陰陽五行説 

春は青、夏は赤(朱)、秋は白、冬は黒(玄)が配当される
これが "青春"と"白秋"の解釈に繋がります。

"青春"は若々しく考え方もまだまだ甘くて未熟で
これからの未来に希望を膨らませ成長し続ける、
まさしく「人生の春」にあたる時期。
"朱夏"は世の中で中心的な役割を果たし、バイタリティ溢れる活躍を見せる現役世代。
"白秋"は人生の一通りの役割を果たした後、人として穏やかな佇まいを見せ、人生の実りを楽しむ期間。
"玄冬"は人生の黄昏を迎え、死が頭から離れなくなる、意識する時期。玄とは黒色のこと。黒のイメージは死である。

ここからは勝手な考察、つまり僕が感じたこと、思ったこと、この歌詞のこの部分には あの言葉の本質には こんな意味があるのかなっていう推測になるから何卒、、

今までのライブでも思ったこと、感じたことはあったんだけど、2023.10.24. Sunny Girl pre.「純朴」
この時の連太郎くんのMCの節々で特に感じられたものが僕の中にはあって、
それは
連太郎くんにも恋人が、とても好きな人が 居た んだと思う。でも、2020年に終わってて、
過去形なのは別れたからだと思ってたけど、
僕の中では違うくて、何か引っかかるものがあって、
別れたから じゃなくて、もうこの世に存在して居ないと思う。つまり亡くなっている。
そう思えてきちゃう。
そうではなかったとしても、もう二度と絶対に会えない場所に居るのは間違いないと思ってて。
Sunny Girlの曲の色んな歌詞から想像がついてしまっているだけかもしれないけど。散りばめられた言葉たちの"本質"を考えた時に気付いてしまう事が多すぎる。
陰陽五行説を知ってから、この曲のこの言葉って、歌詞って、本当はこういうことが伝えたいんじゃないかな、
って思う部分が濃藍以外にもすごくたくさんあります。だけど、ここでは濃藍のことだけを書きます。

歌詞の話の冒頭で挙げた
「あなたが季節なら 春以外も全部青なのに」
というフレーズ、陰陽五行思想の色と季節の五行配当を見返してみると、春が青なのは合点がいくけど、春以外は青じゃないよね。夏は赤、秋は白、冬は黒、って
それぞれの色があるはずなのに。

あなたが季節なら春以外も全部青になるのは何故か

それは
あなたが居た季節は、あなたと居た季節は
夏も秋も冬も全部青春だった。
"僕らを季節と呼ぶのなら" 二人の季節は"青春"だった。
だから春以外も全部青なのに。
あなたが居なくなってしまったら
季節に意味なんて無くなってしまうから
「さよなら、」を僕に告げるあなたとこの街を抜けて
月まで一緒に二人で歩いて、
「こんなとこまで私についてきて
 ほんとしょうがない人だね、」
ってつぶやかれて
それでも笑ってくれたら、それだけでいいから、
だから居なくなりたいなんて言わないでよ。
ずっと守るから、世界で一番、何よりも綺麗なあなたの
あの日の涙が報われるように。
今度こそ、君が涙でそのまつ毛を濡らしてしまわないように、僕が声を枯らしてでもあなたが生きる理由になるから。理由の理由は同じ言葉を反復して強調させてるのかなと思いました。あなたが生きたいと思える理由になってみせるから、って。強い覚悟。

"僕らを季節と呼ぶのなら"の濃藍に対して、"May"の再録された濃藍には「理由になるから」というフレーズが最後に一つだけ多く入っています。振り絞るように、
叫ぶように言い放ったその言葉からは、強い覚悟がありながらも、そんな"理想"が叶わないことへのやるせなさかな、と思ったり思わなかったり。
"僕らを季節と呼ぶのなら"の濃藍だけにわざわざつけた   "ほんとしょうがないわね、"の読点
連太郎くんから見たあなたは呆れながらも、笑ってたんだよね、きっと、
「居なくなりたい」なんて言う私に「月まで二人で一緒に歩こうよ」なんて君は言うから私は呆れてきちゃって、でもそれが嬉しくて、でもやっぱり悲しくて、

幸せと不幸せ、青春と白秋の対比
幸せは"それ"に気づくこと
不幸せはあなたが居ないこと
幸せをあなたが居ること って言わない
わざわざ回りくどく"それ"なんていう曖昧な物言いで
綴る連太郎くんが僕はすごく好き
"それ"は笑っていられることだと思う
泣いてしまう描写が目を引く中でその対比である
笑ってる描写も確かに存在しているのだから
あなたには笑っていて欲しい、"それ"だけでいいの
でも、"現実"はあなたと居られた"青春"と
あなたと居られることが出来ない"白秋"
それならあなたと居た青春だけでいい
あなたと巡れない白秋なんて無くていい
春が過ぎ去っていって、また訪れて、巡りに巡って、
それを何回繰り返しても、
どこまでも二人が青いままで、
青春のままで居られますように。
それでも、いつかは忘れてしまうものだから
あなたの中で忘れて終わってしまっても
せめて僕の中でだけは
「あなたと居た僕のあの春はずっと忘れないように
終わりませんように」

そんな僕の願いであり、意思であり、意志でもある歌
なのかな、と考えさせてくれました。

たかが"1つのロックバンド"なのに、こんなにも音楽以外のものを教えてくれて、与えてくれて、考えさせてくれて、僕はSunny Girlと出会って人生が変わりました。
まだ生きていたいな、と思えるようになりました。

"僕が書き留めた生活は、
受け取って貰って初めて報われます。
時代ではなく、不便を愛してくれて
ありがとうございます。
今度はあなたが報われますように。"

これは"May"に書かれている言葉です。
Sunny Girlの音楽を受け取った僕は、
Sunny Girlに報われました。
だから、たくさん考えて、愛して、もっと知ろうと
思いました。思えるようになりました。
そして、それを自分なりに言葉にしてみようと思いました。そうさせてくれたのはSunny Girlです。

まだまだ多くない知識で思った事を書いてみたので、
これから先思う事も変わると思うけど、これが僕の今の考え方です。
読んでくれて、聴いてくれてありがとうございました。

濃藍MVのことも、また今度書けたらな、と思います。

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