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言葉を使うとき、あなたが大切にしていることはなんですか?
大学生のころ、私がよく通っていた研究室に、「やばい」を間違って意味で使ったら10円貯金箱に入れなくてはいけないという謎のルールがあった。
「やばい」といってしまうと、「はい、10円ー!」と他の学生に言われて、貯金箱に10円を入れなければならない。研究室の先生は、正しい日本語を使うという意識を持ってほしいと思ってこのルールを作ったという。
最初は私も乗り気だった。「やばい」と言ってしまうと悔しかったし、「はい、10円ー!」と他人の間違いを見つけると面白かった。
というのも、私は正しい日本語を使う、ということについて、プライドがあった。小さい頃から、本を読んでばかりいた私は、本で馴染みのある難しい言葉が不意に出てしまった時に「難しい言葉使うな、うざい」と言われてしょげていた私は、得意げに正しい日本語を使ってやりたかった、言葉遣いを褒められてみたかったのだ。
大学4年生の冬、卒論を何人かが書き終え、私もいよいよ書き終え、まだ何人かは、それこそ、「やばい」「やばい」といって、まだ書き終えていなかったころ、貯金箱はいよいよ重たくなった。
卒業して、リクルートスーツをきて、初めての名刺交換をして、リクルートスーツがレースのタイトスカートに変わって、御社は夏休みとかあるんですかと取引先にきかれたりして、それから、ワイドパンツを履くようになって、上期の振り返り資料を作るよと上司が言ったりした秋ころ、私は久しぶりに研究室を訪れた。
「はい、10円ー!」
嬉しそうに後輩が私を指差す。
はぁ。そうだった。と、貯金箱のことを思い出す。
私はお財布を取り出して、10円玉を貯金箱に入れた。
その後も、私は何度も「やばい」を連発して、何度も10円玉を入れた。だけど、気をつけようとも、黙ろうとも思わなかった。それは、社会人になってお金持ちになったからではない、先生に話したいことがたくさんあったからかもしれない、いや、それより、自分が「やばい」を間違った意味で使うことが嫌じゃなくなったんだと思う。
仕事が終わらない夜、さらに大きな案件が降ってきて、「やばー!」って言いながら、みんなでパソコンに向かうのが楽しかったし、飲み会で「やっば!」って言われるエピソードを話せると楽しかった。
いよいよ、お財布の中の10円玉がなくなった。
だけど、私は満足だった。楽しい毎日を楽しいままに話せた。それがなりより大事だった。
*
昨日、三浦希さんの記事を拝読した。
すべてを整然と言語化しちゃうなんて、いわば野暮なのでございます。
そうだよね。そうだとしたら、
私は言葉を使うとき、「楽しい」ということを大切ににしたい。
ライターさんたちとお話するときは、もうもうエモい言葉で、お互いに「エモいー」って言いながらお話したいし、高校生と話す機会があれば、できれば盛り上がった挙句「あげまる水産」とか言ってみたいし、営業するときは「バジェット」とか使いたい。
言葉を使うとき、あなたが大切にしていることはなんですか?