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『イスラム2.0』を適応するとは:飯山博士の指摘する、日本人の問題な宗教に対する姿勢
「日本人の」と表現しましたが、当てはまらない方がいる事も承知しております。ですが、自分の経験した範囲でもこのような人が多いなと感じているので、この表現にしました。ご了承ください。
さて、イスラム思想研究者の飯山陽博士という方の記事を度々拝読しているのですが、先日「アメリカの混乱を喜ぶイスラム国」という記事を書かれていました。
私は有料記事を購入するか迷う時に、コメント欄を読むのですが、そこにこのようなコメントがありました。
なお改行や句読点などは筆者が調整しています。他は原文ママです。
<(…略)一方で「鬼滅の刃」に当てはめるとイスラム国やアメリカの神は「無残」に見えてきます。
アメリカ建国宣言の最初の方の1節
創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている
「無残」が「人間」に「自分の幸福追求権=天国行きの権利」を与える事によって「鬼」が生まれた。「鬼滅の刃」とはそういう物語のような気がしています>
これを読んだ時に、この方は飯山博士が『イスラム2.0』の中で日本人の宗教に対する態度で注意していた姿そのままだなと思いました。
というのも、本の7章にある「私たちにとっての神とイスラム教の神を同一視しない」「多神教の一神教に対する優位を主張しない」というイスラム教徒との付き合い方のやってはいけない態度そのままだからです。
この方の<一方で「鬼滅の刃」に当てはめると イスラム国やアメリカの神は「無残」に見えてきます>は、あたかも自分の知っている神概念が普遍真理であるかのような「私たちにとっての神と…同一視しない」という考え方に触れますし、
<「無残」が「人間」に「自分の幸福追求権=天国行きの権利」を与える事によって「鬼」が生まれた。>は、その神概念を元にして「無惨=私の考える一神教の神概念」として引用し、「イスラム教(一神教)の考える天国行き(幸福)」によってなにやらヤバいものが誕生したと表現している事になりますし、
そんなものより「自分の考える天国行き(幸福)」の方があたかも優れているかのように匂わせる事で、「…優位を主張しない」という原則に反し、一神教は「心が狭い」という主張をしている事になります。
そればかりではなく、一神教であるというだけでこの方は完全にアメリカ建国宣言に出てくる神概念(キリスト教)とイスラム国の神概念を同一視しています。
世界史で見るとキリスト教とイスラム教の成立には約700年程の隔たりがあります。それだけでも、同じ一神教として分類されていたとしてもオンナジ神概念を共有しているとは思えませんし、そもそも聖典が違います。
故に「アメリカ建国宣言の創造主=イスラム国の神」ではありませんので、「同じ神」として引用し同列に並べる事はかなり乱暴に思えます。
また、最後の<「鬼滅の刃」とはそういう物語のような気がしています>は、この記事を読んで思ったことと「鬼滅の刃」で思った事と重ねてみましたよ、と引き合いに出す事で、婉曲にイスラム教徒やキリスト教徒にとっての昔からの普遍真理と、現代のイチ漫画である「鬼滅の刃」を、主題の相違があるにもかかわらず、同じものとして扱っています。
以上のことから、この方の主張は、飯山博士が注意していた宗教に対する典型的な日本人の問題な姿勢だといえます。
この方がこの認識のままでイスラム教徒に接した場合、必ず地雷を踏み抜いて怒りを買うこと間違いなしです。
というのも、飯山博士が『イスラム2.0』の中で述べている、イスラム教における神概念は日本文化のそれとは違う事を意識されていないうえに、博士の指摘する普遍真理を争わない、日本の常識を押し付けないというトラブル回避の原則に触れる事になるからです。
とはいえ、鬼滅の刃は面白いです。本文を最後までお読みいただきありがとうございます。