現代社会における社会保障の存在意義について私見を述べなさい
大学レポートより。
一市民として私が思う社会保障の存在意義は、社会保障があることで、全ての市民が安心して、豊かに、国に包摂された状態で生きていけるという事である。
まず、現代社会は色々な人が存在していると思う。日本を見ると分かりやすい身分社会ではないものの格差は存在している。収入が高い人もいれば、そうでない人もいて、健康的に暮らしている人もいればそうでない人も居る。単身者も居れば家族で暮らす人もいる、子どもがいる人や居ない人が居て、孤独を感じる人もいればそうでない人も居る。物に溢れた現代社会で、どの国で生きていたとしても、明日生きていけるか分からない人は存在している。生きていく中で直面する、”社会的リスク”も、疾病、老齢、障害、遺族、失業、業務災害、貧困など、非常に多く存在する。そしてそのリスクに直面するのは突然で、そのリスクによって人生に大きく変化が生じたり、それと共に精神的にもダメージが生じる。そういった環境や立場が異なる人が大勢いる中で、全ての人が、この場所で生きていて大丈夫、やっていけると思えるようにすることが、社会保障の存在意義であると思う。
社会保障があることが、何故市民の安定できる豊かな生活や包摂へ繋がるのか、現代社会にとってのお金と時間、市民の包摂の二点を通じて論じていきたい。
現代社会で生きるにはお金が必要である。私自身思いつくだけでも、食べるにも、住む家も、大学で教育を受ける事も、大学に通うための電車も、通信機器も、そんなモノ、サービスが提供されるまでの人件費など、全てにお金がかかっている。生きていくためにはお金が必要である。高齢者や失業した人など、何らかの理由でお金が手に入らない人が、社会保障の恩恵を受けられなかったら、経済的な困難に陥り、生きていけることすら不安で、安心が出来ない生活になってしまわないだろうか?そして、人々が豊かに生活するためのサービスにもお金がかかる。出産から医療、教育(教育は私個人として、人生において必要不可欠な物であると思う)など、絶対に必要なサービスの為のお金もあれば、保育や介護など、自分でも出来るけれど、全て自分で担うと自分の時間を多く奪ってしまう、つまり自分の時間や生活の為に必要なサービスの為のお金もある。これらのサービスが社会保障によって一部負担になることなく、全額自己負担のサービスであったとしたら、経済的な理由でサービスを受けられない人が生まれ、一部の人しか豊かに生きることの出来ない社会になる。よって、社会保障が存在することで、これらの人々が経済的なサポートを受けることができ、生活の安定や豊かさを実現することが出来るのである。
次に、市民の包摂についてである。子どもの時、大半の人々が親に養育してもらい、経済的に支えられながら育っている。大人になってからも、失業した時、病気になった時、障害を負った時、家族や身近な人々が金銭的に助けてくれる場合があると思う。介護や保育等も、身近に手伝ってくれる人がいて国家の社会保障としてのサービスを不要に感じる人も居ると思う。そんな助け合いでリスクを乗り越えられる人々も居ると思うが、全ての市民が家族や身近な人々のサポートを受けられるわけではない。リスクにさらされている市民の身近な人々も、リスクにさらされている可能性もあるし、家族が居ない市民も存在する。なかなか身近な人には助けを求められない人もいるのではないか?身近な存在に包摂してもらえなかった市民は、どこで包摂され、サポートを受けることが出来るのだろうか?そんな時、国家の運営する社会保障が全ての人やリスクに対応することで、誰もが社会の一員として包摂されることが出来るのである。
以上のように、社会保障があることで、市民はどんな立場であっても生きていくことが出来て、市民の生活や人生を豊かにするサービスを、全ての人が享受し、安心して生きていくことが出来る。包摂されながら生きていくことが可能になる。そういった社会の達成のために、社会保障は今後も見直され続ける、社会にとって必要なサービスとなるのである。
人々が生きる社会がより良くなりますように。
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