私の歴史

おはようございます。ただいま就職活動真っ最中の25卒です。ここ最近就活をするうえで、自己分析とかいうクソコンテンツを行わなければならない機会が増えに増え、逆に自分を見失いまくり、焦燥感に駆られています。

そんな時、そういえば私のアイデンティティといえば「アイドルを応援することだ」と思い浮かび、どのような変遷を経て今の自分を形作ったのか考えてみることにしました。(たぶん就活の役には立たない

おばあちゃんになって、このブログを見返し、そういえばあの時こんなことあったな、と思い返せるものにしようと思います。(それまでにこのブログが残っているか謎ですが)おばあちゃんになった私、みてる?


スーパーボーイ改め、ラッキーマン改め、

私のアイドルオタクの人生は小学1年生に遡ります。
街にも学校にもテレビにも「嵐」という存在が溢れ、同級生たちは皆嵐の話をしていました。長いものには巻かれろ精神がこの時からあったので、ほぼ周りに流されながらちゃっかり嵐が好きと発言するようになりました。

あまりにもテキトーな理由、これが私のアイデンティティの、全ての、始まりです。
でもこのなんとなくの気持ちから10年以上アイドルを応援することを続けているの、不思議だなあ(嫌だなぁ()

母親はあまりこの事務所に興味がなかったこともあり、小学生時代はオタク文化の右も左も分からず ただテレビ番組を眺めるだけの日々でしたが、誕生日プレゼントで初めてCDを買うという経験をしました。最初に手にした円盤はBeautiful Worldでした。
ここから小学生のうちは誕生日とクリスマスに嵐の過去作品と新作アルバムを買ってもらいコレクションすることが毎年の楽しみになりました。今思えばこれが最悪収集癖の始まりかもしれません……(自担表紙のananをたくさん買ったり……CDをたくさん買ったり……自担の映画をたくさん観たり……M誌をたくさん買ったり……)

ですが、小学5年生まで自担というものは存在していませんでした。
いや…たしか、うっすらとした記憶で「松潤が好き」くらいは言っていたかもしれませんが、12年あたりに茶髪の潤くんをみて、黒髪では無いショックを受け心変わりをしたような気もします(気もします、?)

そんな時、『嵐にしやがれ新春スペシャル 細かすぎて気づくか気づかないギリギリドッキリ30連発』を受ける相葉くんの姿をみて、なぜか小学生なりに「この人が好きだ」と思いました。
何故なのかは分かりません。(ドッキリで)くさいパフを顔に当てられて嫌な顔1つしない、(ドッキリで)怒られているADをみて優しい言葉をかける彼の姿を見てその気持ちを抱いたのが始まりだったような気もします(気もします)

顔とか、パフォーマンスとか、そういう部分からじゃなくて、ちょっと変だなーと思いますが、自担になる理由ってこういうちょっとしたきっかけから始まるのもまた一興だと今では考えます。

生まれて初めての宗教が君ですとラッドの歌詞を当てはめたいくらいに、相葉くんは私にとって今の自分を形作る存在でした。

明るくて、優しくて、おっちょこちょいで、シャカリキにダンスを踊る、このような彼のパブリックイメージそのままを享受しながら、でもどこか秘密を抱えているようなミステリアスなところが好きでした。
首が長くて、体が細い(※細すぎる)、時々綺麗なお姉さんのようなビジュアルで表れてくれるところなど、好き男性のイメージを着々と形成していきました。

相葉くん含め嵐自体が手が届かない神のような存在であったこと、これが小学生から高校生までの思想であり、因果関係があるか微妙なところではありますが、「アイドルに対してマイナスなことは考えないようにする」が自分の考え方の基本になりました。
小中学生の私にとって、嵐の存在があまりにも、大きすぎた。
こんなに幼かった自分が持つ世界の半分以上を占める好きなものに対してネガティブな感情なんて抱きたくないという思いからかもしれません。そこからの延長線上に今この考え方があります。
悪い言い方にはなりますがマイナスなことを考えこまない、これって結構楽なんですよね。しんどくならない。幼い頃から癖付けられたのだと思います。考え方ひとつで、ものって見方によって良い方向に捉えることが出来ることのほうが多いです。これがアイドルという趣味なら尚更。
見たくないものは見なければいい(もちろん、コンテンツへの対価はなるべく全て払うようにはしていますが)考えたくないことは考えなければいい。

話は少し飛躍しますが、アイドルが示す活動において、時々それが誰かの考えるアイドルの正しいカテゴリーからズレているとして批判されるケースが最近多いなと考えます。……いやこれはいつなんどきも、ですが。
でもその人が考える「正しいカテゴリー」って本当に正しいのでしょうか?それは誰かにとってただの都合のいい何か、なのでは?と
上手く言葉がまとまらなくて悔しいですが、私はアイドルが好きなので、アイドルが全身全霊で取り組んでいることには敬意を払いたいと常に思っています。
「私が大好きなあなたなら、これから何をぶちかましてくれたってかまわない その景色ひとつひとつを私に見して欲しい」ただ一個人の考えですが、そう思わせてくれる存在だからこそ“アイドル”が好きなんだと考えます。

君に一目惚れ

高校生になり、変わらず嵐という存在が好きでした。

でも2019年1月27日、世界は変わりました。
嵐の活動休止発表

心にぽっかり穴が空いたまま高校2年生の夏を迎え、なにもせずダラダラとTwitterを眺める時間が増えました。そんな時、たまたま開いたトレンドで、誕生日を祝うツイートの写真をみて、私は初めての一目惚れをします。

その日17歳になった、なにわ男子の長尾謙杜くんに

ビックリしました、こんなに私の好きなドンピシャの顔がこの世に存在するのかと。
一目惚れでファンになったアイドル…いや、一目惚れをした人は長尾くんが最初で最後だと思います。オタクにしては珍しい話だけど

それまで嵐及びデビュー組しか守備範囲に無かったのでJrの知識が疎く、全てが新しい事だらけでした。

初めての世界に飛び込むのには勇気がいりました。でも長尾くんの顔を眺めているとドキドキして、いてもたってもいられなかった。
一目惚れをした瞬間その日のうちに情報局に入会し、長尾くんのこと、なにわ男子のこと、関ジュのことを調べ続けた、嵐のライブ宣伝コーナーしか見ていなかった少クラを初めて見て(遅いよ)Jr大賞も高校生なりに頑張って、授業中大賞の用紙を書いたりして隣の席の子にドン引かれたり、お礼ハガキを感謝の気持ちを込めながら投函したり、何かの表紙が決まる度スキップしながら本屋に向かって、台風で野外ライブが中止になって涙したり、初めて同じコンサートに複数回入れたり、島動画を待ち続けたり、テレビ出演が決まる度に当時のフォロワーとスクラム組んだり、あなたのツイートのおかげで長尾くんのことが好きになったんです!と仰ってくださる方もいて、本当に楽しいことばかりだった。

Jr担の楽しさを教えてくれたのも、嵐休止でこの事務所のファンをフェードアウトしそうになっていた私をこの世界に(良い意味でも悪い意味でも()つなぎ止めてくれたのも、全て長尾くんのおかげでした。

そんな中で、嵐の休止前最後の有観客ライブ5×20に行く機会がありました。
ライブって記憶が飛んでしまいますよね だから今必死に覚えてることをかき集めても、このライブ中はずっと泣いていたことか思い出せません。

ライブでの5人の姿をみてずっと好きだな絶対にずっとファンでいたいなと心に刻んで、

でもその後月日は経ち、FC更新はしませんでした。明確に降りたというわけではなく、なんとなく成り行きで、という部分はありますが。
(もちろん嵐の5人が今も好きなことは前提として)「一生ファンでいるよ」なんて言葉に全く有効性はなくて、何事にも言えますが、人間の意志ってどれだけ大きな決断だとその時々で思っても時間が経てば形が変わってしまうことばかりだと思います。
なんというか、アイドルのファンをやっていると人間って“こういうもん“だよなーと気付かされることが、自身を振り返ったり、インターネットにいる顔も知らないオタクを見ていると多い。

ベクトルが違うことは重々承知で、数年前の雑誌インタビューと今の発言が全く違うアイドルをみても、たった数ヶ月で全く違うような趣旨の活動方針を述べるアイドルをみても、「まあ、そうだよな()私もそうだもん」としっくり来るんですよね。もちろんこの場合に自分の実体験が当てはまらないこともあると思いますが。

ここまでは過去の話で今からは現在の自担の話になります。
振り返ると、好きになったアイドルのファンを辞める経験は何度かあります。
でも、どれも楽しい思い出で、これはおばあちゃんになってもずっとキラキラしたものなんだろうなって思います。今の自担も未来の自分が、そういうものとして昇華できていたら嬉しいな。


「僕のことを好きになってくれたら、幸せにする」という自信も、誰にも負けないよ。

受験生になると同時にコロナという脅威にも襲われました。
学校も休校になり、明日がどうなるか分からないまま、家に籠って永遠に勉強する日々、当然不安な思いが積もり、気持ちも沈んでいました。

そんな時勉強の休憩がてらYouTubeを開き、Snow Manの動画がおすすめ欄に現れました。
デビュープロモ期間にある程度知識を蓄えていたし、SixTONESと7 MEN 侍のYouTubeを全て視聴し終わったから、せっかくの機会だし見てみるかーと、人狼動画を視聴。
あまりにも面白すぎたため、その後も再生ボタンを押す手が止まりませんでした。

毎日朝から夜まで勉強して、深夜にSnow Manの動画をみる、これが私のルーティーンになりました。
コロナの辛く苦しい時期が一気に色付くあのワクワク感を今でも覚えています。

動画を見ていく中で私は阿部亮平くんのことを目で追うようになりました。
またこれも何故なのかわかりません。阿部くんは今の私の自担になるわけですが、不思議なものでこの当時は「私この人のファンになるんだろうな」というぼんやりとした予兆だけが脳裏にありました。

今考えるとどことなく相葉くんを感じていたのかなと思います。なんだろう、スタイルとか、魂、とかかな(笑)
キャラクターだって、顔だって、全く違うけれど、“生まれて初めての宗教の君“に重ねることができる人を勝手に探していたのかもしれません。のちにこの行為は、もう1人の自担を好きになるきっかけにもなります。
似た人を探すって経緯があまりにも…すぎて今回は、もう1人の自担のこと書けないかもしれません。でもおばあちゃんになって思い出したい人の中に貴方もいるもの、またいつか書けたらいいな

そういえば、阿部くんのファンになった明確なきっかけは、Snow Manのオフィシャルサイトで自己紹介文を見た時でした。

「僕のことを好きになってくれたら、幸せにする」という自信も、誰にも負けないよ。

これをみて何故か涙が溢れました。(自分でも普通にビックリしましたが)受験勉強で疲れていたのかもしれません。でもこの時「私この人のファンになるんだろうな」というぼんやりとした考えが確信に変わりました。
阿部くんのファンになろう、と。ここまで言ってくれる阿部くんのこと応援したい、そう思いました。

この言葉の通り阿部くんは私の唯一の原動力になりました。
受験生として過ごした時間は長く苦しいもの、でもどうしてもやる気のない時Snow Manの曲を聴いて頑張った
朝の5時に起床して勉強し、当時パラビ配信だったそれスノを観ることだけを楽しみに眠気を覚ました
公募受験の日、緊張のあまり貧血になって倒れかけた時、急に阿部くんの顔とZZLが頭に流れて意識を取り戻した これが無かったらこの試験も落ちて、たぶん次の日の試験も、第2志望の試験も、第1志望の試験もダメになってたと思う
第2志望の大学に合格したその日にご褒美(?)でこれまで何回も見た映画少年たちをまた再生した 
冬休みは阿部くんの1万字を読んで「阿部くんがこんなに頑張ってたんだから私も頑張ろう」と自分を奮い立たせた
過去問を解いてボロボロで、ストレスで何も食べれない時に阿部くんが春になると聴きたくなると言っていたV6のFeel your breezeを聴くようになった
受験生に向けた阿部くんのブログをお守り代わりに入試を受けに行った
そうして、E判定だった第1志望に特待生で合格しました。

今までアイドルのことずっと好きで、楽しい!面白い!って思うことがあっても、自分の活力になるのは阿部くんが初めてでした。後にも先にももうこんなことないと思います。
彼の好きなところの部分をこのブログでは全て端折ってるので伝わりにくいとは思いますが()本当に阿部くんってすごいアイドルだなあ(当社比)、本当に不思議な人だなあって常々思います。あと、阿部くんのこと考えてると自分は毎回秋元康になるし、嫌なオタクだね

『「僕のことを好きになってくれたら、幸せにする」という自信も、誰にも負けないよ。』と言ってくれたけど、阿部くんのこと好きになって4年経った今もこの言葉は宝物。

色々と重い感情を抱えこんでいる自担がいる一方で、私にはもう1人の自担がいます。それは本髙克樹くん。

なんというか彼を好きな理由はもっとフラットで、でも好きになった経緯はちょっと湿っぽいかも。

またいつか書けたらいいなと思います。恥ずかしくて書けないかもなぁ(汗)


追伸
おばあちゃんになった私へ
元気ですか てかまずこの年齢までちゃんと生きれてるかなあ…遠征のし過ぎで、それか働きすぎでどこかでコロッと死んでるかもしれない()
これをみて小学生から21歳までの自分を思い出せてるかな〜もしかしたらこの頃からもっと貯金しとけよって怒ってるかもごめんなさい
私も何歳までこんなオタク続けてるのか予想が出来なくて、結構楽しみです。その前に就活がんばります!  会える日、というかおばあちゃんになれる日を楽しみにしています。
21歳の私より


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