犬が死んだ
大学から帰ってきたら犬が死んでいた。週に一回しか大学に行かないのに、なぜ今日なんだろう。玄関を開けて家の中に入ったとき、鼻につくあの独特な匂いと、目に染みる煙たさを感じた。靴を脱いで家に上がり、リビングに足を踏み入れると同時に、こちらに駆け寄ってきた弟の口から飼い犬の死を伝えられた。
ここ数週間、あの犬は食事はおろか水も満足に飲めていなかった。窶れた犬を病院に連れていくと、肺がダメになっているとのことだった。犬は嫌な音を立てながら、全身で必死に呼吸をしていた。時たま、痙攣していた。死に物狂いで生きていた。私はそれを見ていることしかできなかった。頑張らなきゃいいのに、と思っていた。まだ一緒にいたい、とも思っていた。
母はあの犬が嫌いだった。異常なまでに嫌っていた。少し吠えればうるさいと怒鳴りつけ、大きい物音を立てて怯えさせ、罵詈雑言を浴びせていた。もともと情緒の安定しない人間ではあるが、それにしても酷すぎる言葉を浴びせることが少なくなかった。見かねて止めに入ることも多々あった。
昨日、犬の呼吸はやけに綺麗だった。表情も穏やかだった。
今朝、起きてみると父が犬を抱きかかえていた。犬は私の姿を視界に捉えると、そのまま離してくれなかった。ずっと見つめられていた。父は驚きつつ、「すごい見られてるじゃん」と言って笑っていた。私は笑えなかった。目を伏せながら、「抱えられると、息、しにくいんじゃないの」と呟くと、父は真顔になって犬をゲージの中に戻した。
父がシャワーを浴びている間、母は弟に向かって、犬が可哀想だという話をずっとしていた。私はそれがどうしても許せなかった。
犬が吠えるたびに怒鳴りつける母を見てきた弟たちは、当たり前のように犬に対して声を荒らげることがあった。そのくせに犬が体調を崩してからというもの、やけにその姿を写真に残そうとしたり、ゲージの隙間から手を差し込んでは撫でたりしていた。私には理解できなかった。
死に際だから可愛がることができるのか。死に際じゃなきゃ優しくなれないのか。犬はそれで嬉しいのだろうか。嬉しいんだろうな。私は死に際だからといって、優しく接することも撫でることもカメラを向けることもしなかった。私にはできなかった。
帰宅した私に犬が死んだことを伝えた弟は、すぐにゲームをしに部屋へ戻っていった。母は寝そべってテレビを観ていた。犬は、段ボールに入れられてゲージの上に置かれていた。そのそばで線香が焚かれていた。手を伸ばして、数週間ぶりに犬に触れた。犬はまだ温かかった。私の手が冷えすぎていたのだろうか。毛も、耳も、皮膚も、柔らかかった。だけど、硬い骨の感触が手にはっきりと伝わってきた。涙は出てこなかった。どんなに撫でても尻尾が揺れることはなかった。
段ボールの横には、丸まったビニール手袋が落ちていた。ゴミでも扱ったようだった。
母に怒鳴られて身を縮める犬を、自分に重ねて見ていたのかもしれない。終わってしまった家の中で、唯一の味方のように思っていた。唯一の家族だと思っていた。母や弟たちは、あんなに嫌っていた甲高い鳴き声をもう数週間聞いていないことに気が付いているのだろうか。もう二度と聞くことができないことを、わかっているのだろうか。
犬はたぶん、うちに来るべきじゃなかった。もし転生というのが本当にあって、生まれ変わったのなら、もっと幸せな時間を過ごしてほしい。
私はこれで、とうとう、本当に一人になってしまった。
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