what I can´t
昨日、境界知能や軽度知的障害は「仕事が出来ない障害」である、と持論を述べたが出来ない事を少し具体的に掘り下げてみようと思う。
私が文章を書くと必ずくる質問が二つある。
それは「本当に知的な問題があるんですか?」と「具体的に出来ない事って何ですか?」である。
前者については知能検査でIQ70と出ており、あと1低ければ軽度知的障害に該当する事からもかなりぎりぎりラインの境界知能である事が証明できるだろう。
因みに昨日書いたように私は医師から軽度知的障害の診断を受けている。
しかも二人の医師からだ。
これは以前通院していた病院の主治医と現主治医の見解だが、今の主治医は私が以前軽度知的障害の診断を受けたことは知らない。
前主治医の診断を現主治医が引き継いだ訳ではなく、二人が各々の判断で軽度知的障害障害とした事からそこそこに深刻な事態である事も明らかだろう。
問題は後者である。
IQ70という境界知能でも軽度知的障害でもある人間は何が出来ないのか。
知的障害の判断基準の一つに、日常生活ができるか否か、が含まれている。
私はこれに関しては出来る、だ。
現に一人暮らしをしており誰の手も借りず生きている。
家事もネットショッピングも毎月の家賃振り込みも日用品の買い出しも出来る。
外見もごく普通である。
私の外見に違和感を感じる人はまず居ない。
日常生活は一通り営めるが多少の障壁はある。
障壁と言うと大袈裟かも知れないが、レジで端数の出し方が分からない、シャンプーを買おうと思い商品をきちんと確認したのにも関わらず何故かコンディショナーを買っている、ヘアアイロンでフローリングを焦がした事が数回あり、レンジとオーブンを間違ってタッパーを溶かした事も数回あり、物を紛失する事が数えきれないほどある。
要はケアレスミスに近いがヘアアイロンやレンジの件はともすれば火災に発生しかねない事態で肝が冷えた。
私はADHDも合併しているため、これらのどの辺りまでが知的障害の仕業で、どの辺りからが発達障害かは判断できかねる。
ただこの中だけに限れば端数の出し方や確かめても間違えると言った事象は知的障害から来ているかな、と思われる。
端数の出し方については計算になってくるが私は算数が出来ない。
数学ではなく算数が出来ないのだ。
四則演算は今の時代電卓やエクセルで乗り切れる。
しかし分数や小数点はお手上げで数式と方程式の違いさえ分からない有り様である。
小三辺りで自分は何故かは分からないが兎に角算数は出来ない、と判断し以来向き合ってもいない。
今、訳あって分数やら自分で式を組むことやらと向き合っているがそろそろ諦観の念が湧き始めている。
論理的思考がなかんずく苦手なのだ。
他に分からないものに政治経済がある。
日経平均株価?政党?総理なの?首相なの?ってかその人達は何してるの?
そんなレベル。
しかしこれも敢えて向き合わない。
分からない事をしてもやはり分からない。
そして分からない事に劣等感やジレンマを感じ、それらはとりもなおさずストレスと同義だからだ。
先に述べた日常の中でのケアレスミスも取るに足りない事に見えるかもしれないが、これが二日や三日に一度起きていると自己肯定感の低下やストレスに繋がるのだ。
この状況が続くと精神疾患に罹りかねないのでバカには出来ないのである。
幸い今はメンタルの調子は良いが境界知能と診断された時は酷く自己嫌悪に陥り、また受容も出来ず随分病んだものだった。
言い換えるなら受容しつつあるからこそ問題なく過ごせているとも言えるかもしれない。
そんなこんなで出来ない事をざっと挙げてみたが、もう一つ致命的な欠陥がある。
それは認知の歪みである。
そして参った事にどの辺りが歪んでいるのか、はたまたいつ歪みが出るのか予期出来ない為対策も取れない部分があるのだ。
認知は物事の捉え方である。
これが歪むと極端な話、自分が普通だと思っている事が普通ではなかった、という事も起こり得て非常に怖い部分だなと感じている。
ここまで書いておいてなんだが、知的障害の基準に、日常生活が営めるか否か、は完全に的外れだと私は感じている。
殆んどの軽度知的障害者や境界知能は日常生活は営めるのだ。
しかし障害者が目指すべきは他ならぬ自立である。
一人で食べていく力である。
そこで先ず必要になるのは金、つまり仕事である。
これがなければ自立は不可能である。
ならば日常生活が営めるか、ではなく、社会生活が営めるか、に焦点を当てるべきだと個人的には感じている。
社会生活が成り立って初めて日常生活があるのだから。
と、思いながら何が分からないか分からない以上、何かおかしな事を言っているのでは?という思いもあるがそれが何か分からないから何かこれ以上筆(って言うかスマホ)を進めるのもなんだから今日はここまで。
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