十年越しの謎解き

暮れかかった町に幾つかの小さな光が灯っている。
形や色が似通った家が数件建ち並び、その小さな窓から灯りがこぼれているのだ。
家の色形からして外国の町なのだろう。
海に突き出す形で小さな町があり、その向こうには地平線が広がっている。
町の小高くなった土地に灯台が見える。
地平線から突き出て見える灯台の灯りがこの風景の中で一等私の好みである。

昔、これに似た様な景色を見た事がある。
それは勿論、外国ではなく日本のものだったが、この風景を見るにつけ、やはり似ている、と感じる。
あれはもう十年以上前の事だ。
たまには遠出をしたい、と私達のどちらかが言い出して灯台のあるその町へ旅行に行ったのだった。

夕暮れに沈む町の風景は現実のものではない。
私のデスクの斜め前にあるパソコンのロック画面だ。
その画面を見ているとどうしてか心が穏やかになるから、その席の主が不在の日は何度もその画面を見つめてしまう。
そして記憶の浅瀬にそっと近づく。

私達は同じ会社の同僚だった。
彼は初めての就職先の先輩で歳は私より一つ上だった。
同世代は我々二人しかおらず自然と私達は親しくなり、就業後や休日を時々一緒に過ごす様になった。

休日は新宿や池袋といった繁華街に出る事が多かったのでたまには自然のある場所に、とどちらかが考えたのだろう。
何故その町に決めたのかは覚えていないが私達はその町に小旅行へ行く事にした。
二人ともその町へ行った事はなく、仕事終わりに食事をしながら交通手段や行ってみたい場所を検索した。
そして心を弾ませて週末を待った。

珍しく朝早くに集合し電車を乗り継ぎ、昼過ぎには町に着いた。
行きたかった観光スポットをあらかた回って夕方に灯台をのある町を目指した。
そこは町というより島だった。
陸地から伸びた歩道を無言で歩く。
一日歩き回って私達はもうくたくただった。
島に着いても目当ての灯台はまだ遠く、陽がどんどん落ちていく。

坂をたくさん登って灯台に着いたのは昼が夜にバトンタッチしたまさにその時だった。
灯台の上方は展望台になっていて私達はそこへ行く事にした。
疲れていたがここまで来ておいて登らないという選択は流石に出来ない。

展望台から眺める夜景は都会の夜景の様な華やかさはなかったが朴訥とした温かさがあった。
まだかすかに残る夕陽のオレンジが目に鮮やかだった。
私達は息を詰めて夜景を見て綺麗だ、とありふれた感想を言い合った。

世界が夜に飲まれていく。

そう思ったが言わなかった。
言っても伝わらない気がした。

世界がどっぷり夜に飲まれた頃、私達は灯台を後にした。

あの日見た景色にロック画面がオーバーラップするのだ。

私はある時期から彼に嫌がらせを受ける様になった。
有体に言えばパワハラである。
理由は全く分らない。
そして耐えきれず会社を辞める事になった。

謂れのない憎しみをぶつけられて私も彼を憎んだ。
会社を辞めてからも気を抜けばあぶり出しの様に憎しみが体に滲んできた。

今、パソコンのロック画面の灯台を眺めている私に憎悪や怒りといった感情はない。

あの頃、一生この憎しみは消えないかと思われた。
初めての就職先をパワハラで奪われたのだ。
それ位感情的になるのはおかしな事ではなかろう。

それでも荒波の様だった憎しみはいつしか彼方に流され今は凪となった。

今、彼がどうしているのか分らない。
共通の知人を通して彼も私の数年後に会社を辞め、故郷でそれまでと全く違った職種の仕事に就いた事までは聞いた。

今更あの時何故あんな態度を取ったのかを聞きたいとは思わない。

きっと彼なりに理由はあったのだ。
あの日夜景を見て私が言いたかったが口にしなかった言葉があった様に、
言っても仕方ない、と諦めた何かがあったのだ。

人と人が同じ景色を見ても同じ感情になれるわけではない。
気持ちを共有出来るはずがない。
でもあの日同じ場所で同じ景色を見ていた事は真実だ。

空には無数の星が散らばっている。
それでも目に映る星はほんの一握りで、あとの星には生涯気付く事はない。
だからこれだけの数の星の中から目に見える星を見つけられた事だけでも奇跡の様なものなのだ。

人との出会いも同じだ。
奇跡的な確率で出会って同じ時間に笑い合えたらそれだけで十分なのだろう。

けれどもし街で偶然彼を見つけたら私はきっと身を隠すに違いない。
「元気だった?」
その言葉にどう返事をしていいのか分からないから。

不器用に笑いながら「元気だよ」と答えたら、君は嘘だと見抜くだろう。
肝心な時に心を解り合えないのに、どうでもいい嘘は伝わってしまうのは何故なのか。

君は覚えていないだろう。
あの日も君は酔っぱらって正体をなくしていたから。

終電間際の駅のホームで私の髪を梳きながら、何が楽しいのか「さらさらだ」と笑いながら呟いたその後、真顔になってこう言った。
「なんでバカのふりしてるの?」

あの時全く意味が解らなかったあの言葉はしかし正しかった。

君が初めて私の知的障害に気付いた人だったのだろう。

ロック画面の灯台が滲む。
記憶は波となって心に打ち寄せる。
記憶にさらわれない様に自分のディスプレイを眺める。
そこには作りかけのエクセルの資料が映し出されている。

ああ、十年前にエクセルの基礎を教えてくれたのは君だった。
そう思い出して私は泣き出す。

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