風がなくても水面が揺れるように
仕事が乗っ取られるかもしれない。
その事に気づいたのは先週辺りだったと思う。
私の仕事はホワイトカラーの中のブルーカラーとでも呼べば良いのだろうか。
定型化された事を繰り返すだけである。
それでも有難い事に高くはないが、決して生活に困らないお給料を頂き生きている。
単純かつ自分の裁量権が大きいためかなり楽をさせてもらっている。
楽かどうかは周囲が決める事だが今までの仕事に比べたらずっと楽だと感じている。
職場環境も申し分なく、困ったら直ぐに周囲にヘルプが出せる。
皆人当たりが良く人間関係のトラブルもない。
収入も職務内容も人間関係も良好。
実に幸せな環境にいるな、としばしば感じる。
しかし世間では単純作業はAIに乗っ取られつつある。
以前から私の業務をシステム化する計画があったらしく、一部でこのシステムが取り入れられているらしいと先週気づいた。
その時は何とも思わなかったがこのままシステムが本格的に導入されれば私は居場所を失う事になる。
ある日営業さんから言われた言葉を思い出し自分は薄氷を踏んでいると気づいたのだ。
「来月位からお客さんに作業して頂くのでうちでやるのは今月位までです」
そう言った彼女はとても嬉しそうな笑みを浮かべていた。
自社のシステムが導入されると言うことはシステムを買ってもらう事に他ならない。
自分の会社が作り自分が売り込んだ商品が購入されていく。
当然営業さん達は嬉しいだろう。
もともと来年春までしか今の会社に留まる事は出来ない。
それでも雇用形態を変更し、障害がある事をそれとなく伝えた上で合理的配慮を求め会社に残留するつもりでいた。
年末までには派遣会社も含め上司と今後の
身の振り方を相談する事が決まっており、その時にどう切り出すか悩んでいるところだった。
システムが導入されてしまえばもうそんな事を悩む必要はない。
私は必要とされなくなるに決まっているのだから。
風のない川面の水が何故かいつも小さく揺らめいているように、見えない何かに優しくけれど有無を言わせない強固さで心を揺さぶられているようで気持ちがさざめく。
上司から貰ったスライムは正面を向いているが夕方近くになると横顔になる。
初めは誰かが触ったのかと思ったが数日が経ち違うと確信した。
特段机やディスプレイに圧をかけているつもりはないが、試しにキーボードを打った時のスライムの動きを観察する。
キーボードを打っただけでも軽い振動が机からパソコンのディスプレイに伝わりスライムがにわかに揺れた。
この小さな小さな振動が数時間でスライムを回れ右させているのだった。
スライムは私のものだからどんなに動こうが私が元の位置に戻せる。
しかし仕事の消失を私が動かせるはずもない。
世界には自分の手に終えない事が溢れており、そんなモノ達の前で人は無力になるしかない時が必ずある。
そんな事はとうに分かりきっているが心では割り切れない。
今日の業務終了間近にこの間の営業さんが大量の資料を私に届けにきた。
浮かない顔で「すごい量ですが宜しくお願いします」と頼まれた。
彼女は私がこの業務しか出来ない事を知らない。
仮に業務がシステム化されたらその時は別の作業に従事するのだと思っているのだと思う。
部署が違うと互いのスキルが分からない為多くの人は私を普通、或いは有能だと考えているようだ。
実はこの作業しか出来ない私は喜々として書類を受けとる。
もっともっと仕事がくればいいと願う。
彼女の、うちで作業する必要がなくなる、という言葉には言外に「零さんの手間が省けます」という意味があった。
実はそうなると困るんです、と言ったら彼女はどんな顔をするのだろう。
実は知的障害があって他の仕事は出来ないんです。
だからこの仕事がなくなると困るんです。
そう告げても貴女はいつもの様に微笑んでくれますか?
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