「抱いて」「降ろして」「ほっといて」
「抱いて」「降ろして」「ほっといて」
ぐりとぐらの絵本を描いた作家の中川李枝子さんの本を読んで一番心に残った子育ての三原則だ。
ニホンザルはまさにこの三つの原則に沿った子育てをしているそうで
赤ちゃん猿は生まれるとすぐに母親にしがみついて母親の行動の全てを見て群れの中での挨拶やボスザルへの対応など母子密着の時に覚える。
少し大きくなると子猿同士で遊ぶ。イタズラや喧嘩もやりたい放題でいざとなったらお母さんに飛びついてもう安心。母親が見守っていると分かっているから冒険ができる。
そうしているうちに一人前のニホンザルに成長するそうだ。
0歳児を育てている私からすると子育てはまだ始まったばかりで、ずーっと手がかかる時期が続くような気がしてしまうが、ニホンザルの子育ての原則に従うと子供に一番手がかかるのは「抱っこ」時期でせいぜい5歳までだそうだ。
だからこそ「抱っこ」時期にたくさん子供に愛情を注いで信頼関係を築き、大切なことを伝えておくことが大事で、この時期に得たものがその子の今後の人生の基盤となる。
後は子供が成長して「降ろして」と言ったら降ろす、
「放っておいて」と言われたら手出し口出しをしたいのを堪えないといけない時期が待っているそうだ。
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年末年始は多くの家庭で家族団欒の楽しい時間を過ごすのだろうけれど、今年の我が家では楽しい正月を迎えることができなかった。
原因は孫が産まれてからの実家の過干渉にある。
一緒に暮らしていた時期を思い出すと、私の親は「抱っこ」「降ろす」「放っておく」をやってくれていた。
勉強や習い事を強いられることはなかったし、やりたいことをやらせてくれて進路も全て決めさせてくれた。子が産まれて尚更、両親への感謝の気持ちは大きくなったように思う。
だが孫が産まれてからは明らかに口出しされることが増えた。
「今日は寒いからお出かけしない方がいいね」
「コロナもあるし人が多い場所は行かない方がいい」
「〇〇ちゃんを預けて出かけるなんてかわいそう、私が子育てをしてた時は実家も遠くて周りに預けられる人もいなかった」
など、
私たち夫婦のやることなすことに意見をされる。
孫を想って言っているということは理解できるからこそ我慢して聞いていたがついに堪忍袋の尾が切れた。
去年のクリスマス、私たち夫婦は夫の実家のフランスへ帰省してフランスの家族へ娘を見せる予定だった。
しかし12月初旬に入りオミクロン株が見つかり、緩和の方向に向かっていた水際対策が一気に厳しくなった。
夫にとっては4年ぶりの帰省。そして、孫が見られるとのことでフランスの家族もかなり前から楽しみにしてくれていた。
旅行を予約した当初から実家の両親は、0歳の孫を連れての旅行に関してよく思っておらず反対だとはっきり言わないまでも
「赤ちゃん連れでそんな長距離の飛行機は大変なんじゃないの」
「フランスでコロナの感染増えてるらしいよ」
など、否定的な話をちょこちょこしてきていた。
結局夫、フランスの家族とも話し合って、フライトの一週前に泣く泣くキャンセルをすることを決めたが、実家にそれを報告すると
「キャンセルが当たり前だろ」
「こんな状況で行けるわけないじゃん、戦争と同じ状況なんだから」
など、
こちらの気持ちを考えてるとは思えない発言をされてついにこちらも
「孫と何する、どこ行くは夫婦で話し合って決めている。干渉しないでほしいし、見守ってほしい。」
との趣旨のことを伝えた。
両親はというと、全く悪気はなくこちらは心配して気遣ってあげているだけで私と夫の意思を尊重していないと言われるのは心外、という様子。
私としては、その反応を見てやっぱり。というのと、実家とはしばらく距離をおいた方が良いなとの判断に落ち着くに至った。
そんな経緯で今年の年末年始は家族三人の静かな年越し・年明けとなった。
「抱いて」「降ろして」「ほっといて」をしていてくれた両親が孫が産まれたことで、どうしてこうも変わってしまったのかは分からない。
娘が産まれてきてくれたことで家族の絆は強くなって、一緒に楽しい時間を送れるものだとも思っていたので悲しくは思う。
でも親子であっても近くにいることが必ずしも良いことであるとは限らない、お互いうまく行くためには敢えて距離を取ることも大切なのかなと今は考えている。
そして実家との関係性に悩みながらも、今は小さい娘が自分の年齢になったらどんな関係性が築けるだろうかと未来に思いを馳せる。
「抱いて」「降ろして」「ほっといて」
私はそんな関係性で子育てができるだろうか。
無垢で純真で小さくて可愛いくて仕方がない8ヶ月の娘。
ずっとこの子が幸せになれるように守ってあげたいと思う。
「降ろして」そう言われるまでの時期はきっと短いから、今はぎゅっと娘を抱きしめる。