かわいい・きれい・かっこいいについて考える
自問自答ファッションを志す自問自答ガールズのイコと申します。
(初noteは何しようかしらと色々考えてはいたのですが、もう全てを横に置いておいて)
最近、盛り上がっている、#かわいいきれいかっこいい というテーマについてです。
私なりにどう考えているか書いてみたくなったので、まずは勢いのままに書きたいと思います!
(そして湖森さんのこちらのnoteには大きく影響を受け、少し倣って書いた部分がありますのでリンク先を載せさせて頂きます)
かわいいと言われたとき
・好意を示してもらえて嬉しいと思う
・理解を超えた言動をまろやかに表現してくれる優しさを感じる
・猫被ってるからそりゃそうだよなと思う、そして後ろめたく感じる
・どこが?と思うけど聞くと角が立つな、どの程でなんと返すのが正解なんだろうと思う
・今の状況では、言わないでほしかったと思う
・そう言う時に使うんだ!と思う
というようなパターン他が頭をよぎります
(早速ゼエゼエしてきました)
まあみんなそこまで深い意図ではないだろうと、一周回って思考放棄する決断をし
言葉としては好意的な言葉なので、最終的には嬉しいというかありがたく受け取ってます
なぜなら、私が言う時のかわいいは、上のごちゃごちゃなどの意図はなく、語彙力をなくして、肯定的な褒め言葉としてcute.sweet.prettyと感じたときだからです
ただこの考えた時間により反応が遅れ、あまり嬉しくなかったのかなと思われることがあるのが悩みです (矛盾だらけです)
結論:難しいので、好意的に受け止めておく、かわいいはかわいい
自問自答講座では、努力が実った気がして嬉しいというニュアンスで答えたような…
私の中できれいになりたい願望が強く、そう見せるよう今まで努力した部分もあるので、
きれい寄せが成功したというか、一瞬でも重なる瞬間があったのかもと認めてもらえるのは嬉しいという意味でそう言った気がします
色々思うところはありますが、かわいいよりは意味が狭く、反応がとりやすい(?)というのも好きなポイントです
ただ、湖森さんが書いてたように、一度きれいゾーンにカテゴライズされたら、すごく肩凝るというか、きれいじゃない部分を発見されて、がっかりされたらいやだなあとか思って疲れたりします
場合によってはルッキズムの価値観を押し付けられてる気がして、不安な気持ちもしたりします
(求めてるのにワガママ)
なので、きれいでありたいけど、本当に思われたいかはまた別かもしれません
あと最近気づいたのですが、洋服については"きれい過ぎる"と私の中ではなんだか物足りないと思ってることに気付きました
私の中できれい=枠の中に当てはめるという感覚があるようです
なので、雰囲気としては言われることは嬉しいけれど、具体的な容姿やファッションにおいて、思ってたより好感はない言葉かもという感覚だと思いました
結論:なりたいけど、なったうえで崩したい
私の普段の性格や雰囲気としては、あまりない要素と思っているので、多分1番戸惑う言葉です
逆にないからこそ、もし言われたらお世辞というより、なにか響くものがあったのかなと思うので、ソワソワしつつ嬉しい気がします
でも実は、私の顔や身体自体は、結構"かっこいい"要素も持っているので、どちらかとああうと自分には不要なものとして、敢えて隠している部分があることに気が付きました
もちろんビジュアル的な好みゆえもありますが
相当なおっちょこちょいなので、かっこつけても上手くいかずダサいだろう、という保身的な考えもあり
自分のかっこいい部分は隠さねばならない、
こちらも期待させてがっかりされたくないというマインドが大きいと思います
ただ、私がかっこいいというとき
それは憧れの意味合いを持つ気がします
いつか胸を張って自分のかっこいい部分を認められるようになりたいです
(余談ですが、かっこいいに分類される言葉の中だとハンサムが私の中では色気があって、きれいともかわいいとも同居しやすい印象で好みです)
結論:かっこいいは排除した上で、突き詰めたい
色々書きましたが、実はこの件に対して、私の中で複雑というかどうしても気になってしまうのは
一対一の場以外で言われる場合の"かわいいきれいかっこいい"という言葉です
私に対して、別の人が感じたその言葉を、他の第三者はどう思うのだろうか…と思うと
否定しても肯定しても濁しても、どうやっても全員が納得できる返しが思い付かず途方に暮れ
もしくは、なぜその言葉を言われた人、言われていない人がいる状況をこの人は作り出したのだろうかと、もはや意図があるように思え、誉めてもらってるにも関わらず憤りに近い不安を感じ
心配で胃が痛くなってしまうこともあるので
これらの言葉を人前で言われるのは(嬉しいと思う気持ちもゼロではないのですが)あまり得意ではないなと思っています
このようなことを書くと、私にこれらの言葉を言うと面倒くさそうだから、もう使うのやめようと思う人が多い気がしていて
もう一生、この素敵な言葉たち(言葉に罪はないのに)を言ってもらえなくなるんじゃないかと思い、
今までなあなあに誤魔化していたのですが
今回ガールズの方々の多様なかわいいきれいかっこいいを読んでいて、どうしてもこの件について書きたい、書く必要がありそうという思いが高まったので、恐れながら書いております
なぜこのような問題や心配が生じてしまうか、ここまで書いてきて思ったのは
私の中で、"確固たる自分"が確立できていないために、周りの人の言葉の意図や感情に合わせねばと思ってしまっていたこと
私に向けられた言葉に責任を持たねばという固定概念があったからなんじゃないかと…
そう思うと、結局は自分の問題次第なので
言葉と向き合うよりも、自分の気持ちと向きあったり、言葉や人と良い距離を保つことが私には必要なのかもしれないです
あとちょっと話はズレて感じるかもしれませんが、最近みたyoutubeの動画で、物事を二元論か多元論的に捉えるかということに対して
「多元的な目線を持つことは重要だが、二元論で言い切ることが時に有効な場合もあるので、
時と場合によって合わせて使えば良いのでは」
ということをざっくり言っていて、それもこの件に関してだいぶ救いになりました
私自身もなんだかんだで二元論的な言葉の方が響く時もあるので、その言葉にふさわしい私を期待しているとまで心配することはなく、効率的な手段としての言葉選びとある種大袈裟に言われたと捉えることで、河の流れのようにただ流れていくもの位に受け取ればいい気がしました
(実際人も考えも変わっていくだろうし)
そして最終的な解決策(?)としては、自分の中に、これらの要素を持てたと思えるようになれば、人から言われたとしても、"まあね〜"という気持ちで素直に受け取れるのかもしれないなと思ったり…
(それらが私自身が持ちたい要素であるなら)
最近納得したとTwitterでつぶやいたセルフブランディング的な考え方のように、それはファッションをうまく活用することできそうなことなんじゃないかなと思ったので
自分自身もそう思えるようなアイテムを、身につけておくことが大切になってくるんじゃないかなと思いました
そういう意味でも、これらの言葉の意味を整理したり、自問自答したりすることがファッションを選ぶ上でも大切という話だったんじゃ…?
と自分の中で、今回書くことへの意味も自分の問題もだいぶ消化することができたので、こちらをアンサーnoteとさせて頂きます
(自問自答ファッションでまとまって良かったです)
おしまい🧞♂️
〜あとがき〜
この記事を書いてる途中にふと、ある人からはかわいい、またある人からはきれい、また他のある人からはかっこいい、みたいに言われる人がいるとしたら、どうなんだろう…と思っていたら
ちょうどその時読み返していた名探偵コナンのキーパーソンがそういう多面的な人物像に矛盾がないように考えられていて、それにより色んな考察が生まれ、それを楽しんでいたところだったので、
"いろんな解釈ができること自体が魅力"という捉えて、敢えてイメージを絞らないで、みんなに楽しんでもらうというのもありかなと思いました!