人間味
「人間味」という言葉の気持ち悪い点その1。
人間としての豊かな情緒。また、人間らしい思いやりや、やさしさ。人情味。
goo辞書的には「人間味」とはそういう意味らしいです。
十人十色こそが「人間らしさ」であるにも関わらず、なんとなく決まった人間像が前提にあるよく分からない言葉だと思いませんか。
思わない人は「人間味がない」とさせていただきます。僕のnoteは僕の国なので。空港からやり直してください。
「人間味」という言葉の持つ意味合いに納得いっていない訳ではありません。それがどういう人の事を指しているのかも大体イメージできています。というか僕自身普通に使う言葉ではあります。
しかし、使っていながら「人間味」という言い方にいまいちピンときていません。
僕の感覚では、人間である以上、人間味はあるのです。
これは「バーベキュー味」に抱く違和感とほぼ同じです。
バーベキュー味がどんな味かは理解できていますが、それをバーベキュー味と言っていいのかどうかには疑問が残りますよね。
肉は当然として、ピーマンやエリンギも焼くのがバーベキューなのに、あるひとつの味に「バーベキュー味」と名付けてしまっている気持ち悪さ。
「人間味がない」というのはバーベキューでエリンギを食べて「バーベキュー味じゃない」と言っているのと同じなのです。
「人間味」という言葉の気持ち悪い点その2。
人間味が「ある」場合も「ない」場合もあまり良いニュアンスでは使われていないですよね。
冒頭でgoo辞書さんの見解を伺いましたが、「やさしさ」を指して「人間味がある」とは、実際には表現しないような気がしませんか。
電車で席を譲った人や、落としたハンカチを拾ってあげた人を見て「人間味がある」。表現として正しいのかもしれませんが、あまりそのシーンで使うイメージはないですよね。
実際には、ギャンブルにハマる奴や、性にだらしない奴、こいつらを無理やりカバーする時に「人間味がある」と言ったりしませんか。
一方で、金や恋愛に興味がない、要は一般的な欲の無い奴が「人間味がない」と言われます。
これ、人間味の「ある」方がだらしない人間なの気持ち悪くないですか。
欲深さを「人間味」とする事で多少なりともそういう面のある自分も許されるような気がして言っている言葉だと思いませんか。思いますよね。思う方がこの後の文章も入ってきやすいですよ。
事実、欲深いことは人間らしさではあるのですが、それは色んな面を持ち合わせている人間の愚かな部分であり、その愚かな部分を「これこそが人間である」と言わんばかりの使われ方をされている「人間味」という言葉に、僕は違和感を覚えるのです。
百歩譲って、「人間味=だらしなさ」を認めると、「人間味がない」ことは良い事にならなければなりません。
でもそうじゃないですよね。なんとなく機械的な、冷たい、乾いたイメージで言ってますよね。
しかし、そいつが不意にひとつ生活感みたいなものを匂わせると「意外と人間味がある」と言われたりするんですね。
ここなんです。
「人間味のない人間の、人間味のある部分が垣間見えた。」
みたいに言いますが、
「理解できない人間の、理解できる部分が垣間見えた。」
ってことじゃないですか。
結局「人間味」とはそれを決める人間の「自分味」でしかないということです。
「人間味」という言葉の気持ち悪い点その3。
それらを差し置いても使ってしまうぐらい使いやすい。
この記事でサポートして欲しいです。
なんて人間味のあるお願いでしょう。