「○○字チャレンジ」って何のためにやるの?
Q.最近流行っている800字チャレンジを続けているのですが、書いていても「これ練習になってるのかな……」と不安になります。書き上げたものを読み直しても別に面白くないし、Twitterに上げてみても読んでくれている人がいるのかも分かりません。このまま続けるべきなのでしょうか。
A.貴方は何を目的に「800字チャレンジ」を始めましたか?
この「○○字チャレンジ」という課題は、小説を書き始めたばかりの初心者の方に向けた練習法として最近話題になっているらしい。ゴリラは残念ながらチャレンジしたことはないのだが、幼い頃に似たようなことをした経験はある。
なつやすみのにっき、というものは今の小学生にもある宿題だろうか。ゴリラの時代にはこれは必須の宿題であり、どの学校にも必ず存在した。長期休みの間、毎日その日起きたことや見たものなどを書き留める。そして休み明けに学校に提出する。フィクションの中では、うっかり日記を書き忘れた主人公が夏休みの最終日にまとめて日記をでっちあげたり、不思議な力を使ってタイムスリップして日記を書き直したり、といった話も多くある。そのくらい普遍的な課題だ。
「○○字チャレンジ」はおそらく、「なつやすみのにっき」と同じ目的を持って作られた練習法だ。どんな目的で課題が作られたのか、どのような効能が得られるのかを理解しないまま課題をこなしていれば、上達が見込めないことはある。あらゆることが経験として吸収されるような幼年期であれば、言われるがまま書くのも良いだろう。あるいは学問として「文学」を学ぶ学生などであれば、意味を理解せずともいつか研究の中で役に立つかもしれない。
しかし、趣味の活動として好きな時に好きなように小説を書く人となれば、この練習法がすべての人に効果的とは言い切れないように思う。そして幼年期でもなく、自分の頭で自分の使う時間を考え分配出来るオトナのゴリラの皆さんにおいては、目的を理解しないまま漫然と続けていると不安になることがあるのも当然だろう。
では、「○○字チャレンジ」とは一体何を目的とした練習法なのだろうか。
継続は力なり
スポーツや激しい操作を求められるアクションゲーム、反射神経と記憶力を試される音ゲーなどにのめり込んだ経験のある方は肌身でご存知だろうが、そういった分野の趣味はブランクが開くとガクッと実力が落ちるケースがある。以前は出来ていた技や動きが、一ヶ月ほど休んだだけで自分でもどうやっていたのか分からなくなる、という経験がゴリラにもある。これは何も特定の分野だけのことではなく、あらゆる活動で起こってくる。しかしスポーツやアクションゲームなどに比べると、他の分野では比較的その違いが分かりにくい。分かりにくいだけで確実にブランクは影響を及ぼすのだが、これが「文章を書く」ということでも起きるのだ。
人間はどんなことでも、習慣付けることでよりその動きに習熟することが出来る。適応、慣れというやつだ。キーボードを初めて使った時、最初から軽々とブラインドタッチで高速タイプが出来た、という人は少ないだろう。学校の課題や仕事の書類、趣味のブログや小説。そういったものでキーボードで文章を打つことに慣れてくれば、打つのは自然と早くなりミスタイプも減る。「文章を書く」ことそのものも同様で、毎日習慣付けることで書くこと自体の「心の中のハードル」が下がる。
「○○字チャレンジ」にしろ「なつやすみのにっき」にしろ、目的は「書くことのハードルを下げること」だ。勿論他にも副次的な効果はあるかもしれないが、おそらく最も多くの人が実際に効果を得られると期待されているのはこの目的である。
つまり書くことに何のハードルも感じない人、放っておくとバンバン妄想が文章になって出てくるような人であれば、「○○字チャレンジ」をやっても得られる効果はほとんどない、ということになる。逆に文章を書くことそのものが日常ではない、書くことに慣れていない人であれば、得られる効果は非常に大きいということになるだろう。
どのように練習を進めれば良いのか?
「○○字チャレンジ」というものを人類のインターネットで調べてみると、「チャレンジ用のお題提供」や「チャレンジした作品をまとめていく投稿サイト」などがずらりと検索結果に並ぶ。しかし肝心の「このチャレンジを考え出した人の練習法」や「チャレンジの進め方」といったものはまるで見当たらない。これでは小学生が大人にただ言われるまま、意味も分からず宿題のプリントを埋めるのと変わらない。子どもの頃、「どうしてこの宿題をやらなきゃいけないの?」と思ったことのあるゴリラはいらっしゃるだろうか。大人に質問してみた勇気あるゴリラも中にはいるかもしれない。その時、貴方の周りの大人はきちんと答えてくれただろうか。「いいからやりなさい」「学校で決まってるんだから」そんな風に言われて、そんなものかと人生を悟ってしまった方も決して少なくはないだろう。だが、課題の意味を理解しないままこなすのは「練習法」としては下の下である。子どもの時分ならそれでも吸収出来るものがあるかもしれないが、オトナになると吸収力も下がるのでそれは難しい。では、我々オトナゴリラが効果的に練習をするためにはどうすれば良いのか。答えはシンプルだ。
課題の目的と意義、進め方のメソッドを理解して練習をすれば良いのである。
「○○字チャレンジ」の進め方
まず最大の目的は「書くことに慣れること」である。充分に書くことに慣れている、書くこと自体に何の疑問も億劫さも感じない、というゴリラの方はそもそもチャレンジに向いていない可能性が高いので一度考え直した方がいい。
チャレンジのもうひとつの目的として、「様々なネタやシチュエーションを文章に書く」というものもある。今まであまり書いたことのないシチュエーションや舞台でも、練習なので気軽にお試しで書いてみることが出来る。従って「ネタかぶり」は出来るだけ少ない方が練習になるだろう。
ゴリラの皆さんには以上の「目的」を念頭に置いてチャレンジされてほしい。再三の勧告ではあるが、このnoteはあくまでゴリラに向けたゴリラ語の文章だ。人類の皆様には不向きな場合もあるかと思われるので、ご了承頂きたい。
1.文字数にはあまり意味がない
慣れることが目的なので、800字だろうが1500字だろうが140字だろうが実はあまり差がない。たとえば「短文を書くのが苦手なので、ショートショートの練習をしたい!」といった目的が明確にある場合は、「○○字以内に必ず収める」という縛りを課した方が良い。しかしそうでない場合は文字数が多少上下しても、得られる効果は変わらない。文字数よりも「毎日継続する」ということの方が課題の目的を達成出来る可能性が高いからだ。
2.書き終えたら反省と次回の課題を見付ける
これが最も重要なことのはずなのだが、何故か誰もここに言及しない。これはごく普通にインターネット上に小説を投稿している人が、いつも当たり前に得ているはずの機会だ。よく言われる「投稿した瞬間に誤字を見付ける」などというオカルトは、何のことはない。一息ついてメンタルが切り替わると、それまで気付かなかった部分に目が行くということである。人類なら誰しもあることだ。つまり、チャレンジであっても書き終えてどこかに投稿してみると、そこでミスや書き直したい場所が見付かる、ということは大いに考えられるのである。これが「反省」だ。そしてその反省点を次回は改善しよう、とどこかにメモでもしておけば、これが「次回の課題」である。単純な誤字であったり、やたらと同じ接続詞を頻用していたり、よく考えずに書いて支離滅裂になってしまっていたり。書き終えて見返してみると、自分一人の視点でも案外反省点は見付かるものである。
チャレンジは毎日続けるという特性上、「これ前にも書いてたわ……」というミスも起こりがちかと思われる。今まで書いたチャレンジをたまには見返して、かぶっているネタがあればそれはもう書かない、と課題をメモしておけば良い。
反省点がよく分からない
どこが悪いのか分からないがつまらん気がする、という場合もあるだろう。そのような場合はせっかくのインターネット社会、公開したものに対する反応をよく観察してみたり、友人に読んでもらって「なんかつまらない気がする」と相談してみても良いだろう。自分では分からない反省点を他人に見付けてもらうのは、どんな分野でも上達の早道である。
3.期間を定める
ネット上では100日続けるとか1ヶ月続けるとかなんだか色々な説があるようだが、これも正直に言えば個人差がある、とゴリラは思う。同じ筋トレメニューをこなしても、同じ筋肉がつくとは限らない、というのは人類の皆様にも分かることだろう。800字チャレンジも、10日やっただけでめきめき成長する人もいれば100日やってもいまいちな人もいると思われる。よって自分が無理なく実現出来そうな期間を、先に定めておくと良い。もし軽々とクリア出来たなら、次のチャレンジ期間はもっと長くすれば良いだけだ。
4.課題をすべてクリアしたら
定めた期間内、きちんと毎日課題をクリア出来たなら、それは素晴らしいことである。もし体調を崩したり気分が乗らなかったりして休んだ日があったとしても、その分は期間を延長するなり後から付け足すなりしても良いだろう。夏休みではないので、多少伸ばしても誰にも怒られたりはしないのだから。
課題をクリアした、と自分で認定したら、その日は好きなものでも食べると良い。お気に入りの店や、普段は行かない洒落た店に入るのもいいだろう。コンビニでちょっと高めの菓子を買うのでもいいし、酒を買うのもいい。とにかく、達成を祝うといい。人類はお祝いと祭りが好きなものである。ゴリラも良い獲物が捕れた日は嬉しい。そういうものである。だから課題を終えた日は、存分に自分を祝うと良い。
終わりに
新しいことを知ること。試してみること。反省点を見付けて、次回の課題にすること。そしてその課題をクリア出来たら、ひとつ進んだ! と達成感を得ること。学ぶというのは、この繰り返しだ。貴方の「○○字チャレンジ」にこれが加われば、漫然とただ書いているだけ、という不安はきっと解消されるはずだ。文章を書くということは実のところ、非常に広範な知識とその知識を統合的に扱うマルチタスクが求められる。フィクションの小説であれば尚更だ。小説独自のルールやセオリー、技術だけでなく、それらを文章全体を通して正確に割り振る能力も必要なのだ。この煩雑さはアクションゲームやFPSの操作にも匹敵するほどのものだと、ゴリラは思う。もっとも、どんな分野であってもきっと「極めている」人はそういうことをしているのだろう。だから焦る必要はない。難しいからこそ、ひとつひとつ小さな課題をこなして前へ進むのだ。どんなにすごい芸術家も、世界ランカーのプロゲーマーも、生まれた時からそんなことが出来た訳ではない。彼らとて多くの時間と心を傾け、ひとつひとつ努力を重ねてその実力を身に付けたのだから。
今まで出来なかったことが出来るようになるのは、何歳になったって嬉しいものだ。それが他の人にとっては当たり前のことだとしても、自分にとっては初めての経験なのだから、クリアした自分を誇らしく思えば良い。だからこそ何かを学ぶことは楽しい。ジャングルにおいて、挑戦と達成は常に素晴らしいおこないである。皆さんに良いジャングルライフを送ってほしいと、ゴリラは願っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?