オンリーワンジャングル
Q.創作をしている時、大手さんと違う解釈の作品を出すのが怖いです。怖いのはそれだけでなく、いつも些細な感想やコメントに振り回されてしまいますし、憧れの作家さんと仲良くしている人を見ると嫉妬してしまいます。どうしたらいいでしょうか。
A.同じジャンルで創作している人が周りに一人も見当たらないジャンルで活動したことはありますか?
突然だが本日のジャングルは雨模様だ。熱帯雨林なので当然スコールである。ゴリラにとっては心地よい天候だが、人類の皆さんには厳しい世界かもしれない。心して覗いていってほしい。もし途中で体調を崩しそうならば、すぐさまジャングルを出て文明の火に当たるべきだ。ゴリラから出来る警告は以上である。
ジャングルにも色々ある
まず断言しよう。質問者さんのような悩みは、多くのゴリラが活動している賑やかなジャングルに限った話である。もし貴方のいるジャングルに、貴方以外誰もいないのなら。大手さんもいなければ感想もコメントも一件も届かず、憧れの作家さんもその作家さんと仲良くしている人も存在しないのだから。
そのようなジャンルで活動したことのない人のために、簡単な説明をしておこう。
オンリーワンジャンルとは主に二次創作で使われる言葉で、観測範囲に同じジャンルで活動している作家さんがいないジャンルのことである。この「観測範囲」というものは時代によって変わる。インターネットが一般家庭になかった時代、それは「学校や友達の集まり」のことであったし、個人サイト全盛期であれば「有名な同盟やサーチ」であったし、2020年現在であればTwi○terやp○xivになるのだろう。この変遷を見て頂けば分かる通り、現代では個人の観測出来る範囲はかなり広がった。しかしそれでも見えない場所というものは存在する。Twi○terでは鍵垢、p○xivには作品をまとめていない、そんな作家さんが存在しないとどうして言い切れるのか。しかし人類にとってもゴリラにとっても、見えないものは認知出来ない。当然である。
つまり貴方の「観測範囲」に同じジャンルの作品が一件もなければ、誰も創作していなければ、このようなことで悩む機会もないということだ。そして創作の世界には、このフリーダムなオンリーワンジャングルを意図的に作り出すことの出来る方法が存在する。誰でもすぐに実行出来る簡単なことだ、もし本気で全てから自由になりたいなら是非試してみてほしい。
そう、オリジナルの小説を書けば良いのだ。
オリジナルであれば原作者は貴方であり、作品は貴方のものしかない。そこでは貴方が一番大手であり、貴方が神作家だ。解釈すら貴方が正解で貴方が源泉となる、それがオリジナルという創作活動だ。
あるいはいわゆる「1.5次創作」という方法もある。好きな作品の舞台や世界観の一部をベースにして、その世界に生きるキャラクターを自分で作り上げる、というようなものだ。こうした創作活動は、特に決まった主人公のいないゲーム、プレイヤーによってかなり細かくキャラクリエイト出来るオンラインゲームなどのジャンルでは一般的に行われている。正確には二次創作の範疇であり、原作にファンアートのガイドラインがあるのならそれに従って活動してほしい。しかし、これならば「同じ原作を知っている同志」と共に世界観を共有しながら、「自分で設定や生い立ちを考えたキャラクター」という要素を加えて創作活動が可能だ。キャラクターを作るといっても1.5次の場合は勿論原作があってのことだが、少なくともそのキャラの解釈に限って言えば、貴方が最大手である。
いかがだろうか。オリジナルや1.5次創作であれば、貴方は余計なことに怯える必要も、煩わしい悩みを持つ必要もないのだ。ちなみにゴリラも、オリジナルや1.5次創作でも活動している。とても楽しい。
しかし二次創作というのは、やはり原作に惚れ込み原作のキャラや世界を愛してしまうからこその活動である。好きになってしまう気持ちばかりは止められない。
「どうしてもこの作品が好きだ! ここで活動したい! 大手さんも神もいるし作品は沢山あって私がかく必要なんかないかもしれないけど、このジャンルでかきたい!」
ということは当たり前にあるだろう。そのような人の悩みを放っておいては、ゴリラの名がすたるというものだ。
大手さんと解釈が違う
はっきり言っておこう。大手さんと呼んでいるのは貴方自身や周りの人であって、本人ではない。
その人が「大手」だと、一体誰が決めたのだろうか? そのジャンルに20人しか人がいないなら、フォロワー20でその作家さんは「大手」である。そしてたとえフォロワー2000だろうが200000だろうが、本人が自分のことを「私はエライ」などと思っているとは限らない。つまり大手さんと解釈が違う作品を発表したとして、大手さんから直接怒られるようなことはまずないだろう。旬ジャンルなどと言われるような巨大なジャングルであれば、大手さんの目にすら入らない可能性の方が高い。
「いやいや心配なのは本人じゃなくて」
と思っているだろうか。そう、大手さんの「ファン」たちによる「学級裁判」が貴方は怖いのだろう。このインターネット社会で、炎上はやはり恐ろしいものである。それがどんな原因だとしても、冤罪だとしても、攻撃された人は深く傷付き心を壊してしまうことも多い。もしどうしても怖いなら、書いた作品を発表する場を限定すれば良い。フォロワー限定公開などの機能が搭載された場所に投稿すれば良いのだ。そうすれば信頼する仲間や、親しい友達だけに作品を見せることが出来る。
そんなの嫌だ、大勢の人に見てもらえてブクマがモリモリで有名になって神って呼ばれてみたい! という野望があるのなら、それは当然のことながら「大勢の人に受け入れてもらえないかもしれない、拒否されるかもしれない」というリスクもまた抱えなくてはならない。獲物を狩るということは自身もまた狩られるかもしれないということである。リスクなしにジャングルで狩りをすることは出来ない。大自然の摂理だ。
感想やコメントに振り回される
まず言っておこう。貴方は「些細な」と質問文に書いていたが、読んでくれた人が貴方に送ってくれた言葉のどこが「些細」なのだ。
好きな作品に感想を送る時、緊張して何度も書き直したり中々送れなかったり、ということはオタクなら経験のある方も多いかと思われる。そのような感情を押しても貴方に送ってくれたその言葉の、何が些細なのだ。些細な感想などない。ちょっと面白い感想や変わった感想はあるかもしれないが、それもまた送る人が思考と時間、つまり人生の一部を割いて貴方の作品を読み、送ってきてくれたことに変わりはない。同人活動という趣味でしかないアマチュアの作品に、他人が人生を割いてくれた。そのことを貴方はよく考えてみるべきだ。
しかしながら、「感想に左右されすぎてしまう」というのはプロの創作者でも陥る人がいるほどの悩みである。歴史的にもこうした事例は珍しくない。
まず、貴方は感想が欲しくて同人活動をしているのだろうか。他人に称賛され、存在を認められ、愛されることこそが貴方の創作の最終目的だろうか。だとすればその欲望はゴリラの専門外だ。詳しくはこちらの記事を読んでみてほしい。
「創作と感想とゴリラダンス」
そうでないなら、貴方は感想を気にする義務はまったくない、とゴリラは断言しよう。感想はとても有り難く、喜ばしく、創作者の心に元気をくれるものだが、どんな感想が来たとしても創作活動にそれを反映させなくてはならない、などという決まりは世界のどこにもない。まして同人活動、アマチュアであれば尚のこと。
それは、貴方が勝手に思い込んでいるだけだ。
嬉しいことを言われた、期待されている、応えなきゃ。貴方がそう思っているだけだ。送った相手がその感想によって貴方をコントロールしようなどと考えている、よこしまな心の持ち主とは限らない。それどころかせっかく送った感想で貴方を悩ませてしまうことに深い罪悪感を覚えるかもしれない。たとえば貴方の作品に対して否定的な感想が来たとして、貴方は「じゃあ書くのやめよう」とさっぱり綺麗に終わらせられるだろうか。きっと苦しむことだろう。葛藤することだろう。それは貴方が「書きたい」からだ。そして趣味の世界とは、やりたい人がやりたいからやるものである。仕事じゃないので当然だ。否定的な感想を言われたとしても、やめる必要はない。逆も然りだ。肯定的な感想を言われたからってその意見に従う必要も、ない。貴方は貴方のやりたいことを、やりたいからやっていいのだ。それが同人活動である。
お○パに嫉妬してしまう
「読者の心理を動かす小説の書き方とは?」で紹介させて頂いた作品に出てくるキャラクターの名前を使って、質問者さんはこの質問を送ってくださった。それだけこの言葉が多くの人の気持ちを表現するのに最適だった、ということである。
それはさておき、「憧れの作家さんと仲良くしている人に嫉妬してしまう」というのは別に創作も同人もまっっっったく関係ない話である。
「憧れの○○と仲良くしている人」と書いてみると、それがよく分かる。この○○には何を入れても良い。憧れの先輩、でも良いし、憧れのオペラ歌手さん、でも良い。もっと言えば「憧れの国に旅行してるあの人に嫉妬する」でも成り立つ。つまり、ごく当たり前にどこにでもある悩みということだ。ゴリラは決してカウンセリングの専門家ではなく、その辺のジャングルでバナナを食ってるただのゴリラだ。ゴリラにこれを相談するのは中々色々違うような気もするが、問われたので一生懸命考えてみよう。
まず、貴方はその「憧れの人」とどうなりたいのだろうか。憧れの先輩と恋人になりたい! とか、憧れのオペラ歌手にサイン書いてほしい! とか、明確なビジョンはあるだろうか。ないのであればビジョンを持った方が良い。夢も野望も小説も、まずは「計画」からだとゴリラは教えたはずだ。
どうなりたいのか、自分の目指す場所が決まったならそのビジョンを実現するために努力しよう。憧れの人と仲良くなりたいなら、他人に嫉妬している場合ではない。その人はどんな人と仲良くしているか、どんなタイプが好かれるのか、どういうことをすると嫌われるのか。相手のことを知らねば仲良くなることなど出来ない。知るためには近付かなくてはならない。千里のジャングルも一歩から、まずは勇気を出して声を掛けてみよう。憧れているのであれば当然その人の作品を読んでいるのだろうし、新作がアップされたタイミングなどは絶好のチャンスと言えるだろう。
そして声を掛けるのは一度では足りない、一回話しただけで仲良くなれることなどまず有り得ない。一度話しただけのよそのクラスの人とすぐに仲良くなれると思えるだろうか? そういう直感の働く人もいるかもしれないが、大抵は「もっと話してみないと分からないな」と思うものだ。つまり、普通に人と仲良くなる時にすることをすれば良い。好きなことを共有し、相手の嫌がることはせず、悪いことをしてしまったなら謝って反省する。人類の皆様であれば幼稚園でも教わることである。勿論、それだけの努力をしても必ず仲良くなれるとは限らない。どんなに素晴らしい作品をつくる作家さんでも、全人類がその人の作品を気に入るとは限らないのと同じだ。
別にそこまでして仲良くなりたい訳じゃないし……ということなら、別に憧れの人と仲良くしてる人に嫉妬する必要もない。「憧れの人と仲の良いあの人」は、きっと「そこまでして」仲良くなったのだから。最初は貴方と同じように、憧れて緊張して震えながらその作家さんに話しかけたのかもしれない。あるいはそんな経験をいくつも乗り越えて、憧れの人にも明るく話しかけられるスキルを育ててきたのかもしれない。貴方にとっては「どうせ自分みたいな人間とは違って、そういう人は何かすごいコミュ力とか持ってるんだ」というように見えるかもしれない。しかし貴方は既に知っているはずだ。神絵師も、神小説書きも、生まれた時から神作品を作れる訳ではない。皆努力してその力を獲得してきただけなのだ。コミュ力も同じである。リスクも労力も、不安な気持ちも時間も。色々なものをかけてきた結果がそこにあるのだ。そのリスクや労力を引き受けようとは思わないなら、「羨ましいなあ。でも私にはできないことだ」と親しい人にでも愚痴を零せばいいことである。それは誰もが当たり前に感じる感情であり、何も特別ではなく、特におぞましいものでもない。たとえるなら歩道の端にたくましく咲くたんぽぽのような、誰もが目にしたことのあるありふれたものの一つに過ぎないのだから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?