「同人活動」というもの
ゴリラ諸兄は「同人誌」という言葉を口にしたことはあるだろうか。
ゴリラの方々であれば、二次創作にせよオリジナルにせよ、同人誌を手に入れて読んでみたことのある方、作成して頒布したことのある方は少なくないだろう。小説本、漫画本、イラスト集、研究書、技法書。オフセット、オンデマンド、コピー本。色々な形があるが、どれも「同人誌」として本の形にまとめられていることに違いはない。
そもそも、「同人誌」は何故本の形なのか。
何故、「イベント」という場で頒布するのか。
イベントの参加単位は何故「サークル」と呼ばれるのか。
アマチュアの趣味でつくられる作品が、何故このように多くの人に共有されるようになったのか。
疑問に思ったことのある方はいるだろうか。その答えを知っている、という方にはこの記事は不要だ。しかし、近年ではいわゆる「サブカルチャーにおける同人活動」についての知識を持っている方は少なくなった。勿論、歴史など知らなくとも創作活動を楽しむことは出来る。何故雨が降るのかを知らなくても、雨が育てた野菜を食べることに何の支障もない。しかし、知ることでより楽しむこと、知識を得て心を豊かにすることは、類人猿にとっての娯楽のひとつである。今回は「同人活動」というものがどのように発展してきたのか、その成り立ちを見て頂こう。つまらない、興味がない、という方もいらっしゃることだろう。だが、ゴリラのもとに寄せられるお悩みの中には、この「同人活動」の知識があれば違う答えが得られるだろうというものが少なくない。創作活動をしていく上での心構え、すなわち「ゴリラがジャングルで生き抜くためのたしなみ」のひとつとして、どうかご覧いただきたい。
昔、地球にインターネットはなかった
インターネットのない世界を知らないというヤングなゴリラの方もおられるだろう。しかし、これはほんの三十年ほど前のことであり、巻物に筆で書かれた太古の昔の話ではない。貴方の親戚や、学校の先生や、職場の先輩たちが当たり前に見てきた、当たり前の日常だったのだ。
正確にはもっと昔、まだ日本人が全員洋装ではなかった時代から「同人」というもの自体はあったのだが、今回は漫画やアニメなどを中心としたサブカルチャーにおける同人活動について言及させて頂く。
かつてインターネットというものが誰にでも使える道具ではなかった頃、その頃にも地球にはたくさんの「オタク」がいた。好きな漫画やアニメや小説などを貪るように鑑賞して、推しの雄姿に歓喜のブリッジをキメ、推しが死ねば喪に服し、推し作品が完結すると燃え尽きて脳をいっぱいにする。そんなオタクは、インターネットのない時代にもいた。パッションは我々と何も変わらない。だが、当時のオタクはそのパッションを共有するための手段が少なかった。インターネットがないのでSNSも当然ないし、オタ友にLINEもメールもできないし、通話アプリもない。では、その頃のオタクは一体どうしていたのか。
Twitterの壁打ち垢で「むり推しが尊い」と呟く代わりに、ノートに鉛筆で書き殴った。
オタ友にLINEする代わりに、便箋と封筒を使って手紙を書いた。
SNSに落書きを投稿する代わりに、白い紙に推しを描いた。
そう、全てはアナログだった。パッションをリアルタイムに共有するためには、固定電話を使うか、でなければ直に会って話をするほかなかった。なお、無料通話アプリなどというものはないので、フレンズと長時間萌えを語り合うと電話代は白目を剥くような高額に達したということを併記しておこう。
オタクの中には、「自分も漫画・小説をかいてみたい」と志す者や、「原作の先を妄想したものを他人に見てもらいたい」と思う者がいた。今と同じだ。そうなると、自分がかき留めた作品や妄想を、同じ趣味の人のいる場へ持ち寄って見せ合う、ということになる。いつしか、そうした場で「皆が持ち寄った素敵な作品をまとめて、全員いつでも見られるようにしておこう」と言い出したゴリラがいた。
これが「同人誌」の始まりだ。
同じ趣味の仲間が持ち寄った「作品」をコピーして皆に配る。当時の地球にインターネットはなかったがコピー機はあった。なお、コンビニという文明はまだなかったので、コピー機というのはどこにでもある機械ではなかった。一般的ではない機械を使うとなれば、当然費用がかかる。その費用を、仲間が皆でお金を出し合って負担する。沢山のイラストや漫画、小説を一つにまとめておくとなると、やはり紙を印刷して綴じたものが最適だった。だから「同人誌」は本の形をしている。
趣味の仲間たちの中には、「作品を作らない」というオタクもいた。今で言う「ROM専」「買い専」である。そういった人も、仲間として印刷代を払えば皆の作品をいつでも手元に置いて見ることが出来た。データで保存は出来ないので、好きなイラストや小説をいつでも見たければコピーしてもらうしかないのだ。古今東西、推し作家の絵や小説は費用を払ってでも見たいものである。その気持ちは今のオタクと何も変わらないだろう。
これが「同人誌の頒布料金」の始まりである。
「同人イベント」の始まり
このように、「同じ趣味のオタクの集まり」というものが地球上にいくつも存在していた。そして、そうした人々の集まりを拡大し、離れた場所にいる彼らの作品を一箇所に集めてより大勢の人が楽しめるようにしよう、とひらめいたゴリラがいた。
大勢の人が集まることになるので、会場となるホールや公民館などの場所を借りて、チラシを作り、郵送で仲間たちにイベントの開催を知らせる。当然ながら、集まるオタクたちは基本的に「自分たちの作った同人誌」を持参してやって来る。
これが「イベント」の始まりである。
「同人イベント」は「同人誌展示即売会」というのが日本語の名称になる。同人誌を大勢の人が展示し、他の参加者の同人誌が欲しくなればその場で印刷代を払って手に入れることが出来る。それが同人イベントだ。今開催されているイベントも、貴方が神本を買ったイベントも、徹夜してかき上げた原稿を頒布したイベントも、始まりはここだった。
当時はコピー機が誰でもどこでも使える機械ではなかった。よって印刷するためにかかる手間や費用も今より大きかった。従って、「同人誌を印刷して」「遠方からイベントに参加する」というのは、個人で全てを賄えるほど簡単なものではなかったのだ。そう、複数人の作品をまとめたものが「同人誌」の基本だった。この、イベントに参加して一つのスペースで同人誌を頒布する趣味の仲間のことを、「サークル」と呼んだ。サークルとは複数人の集まりであることを前提とした言葉だった。今でも「個人サークル」という言葉にその名残がある。一人だけでひとつのサークルを形成するイベント参加者のことを特別にそう呼んだのが、「個人サークル」という言葉である。現代の文明社会では、サークルと言えばほとんどが個人サークルのことを指すだろう。だが、サークルというのは日本語にすれば「環」である。元々の語源からして、人と人が集まり輪になっている、という状態を示す言葉なのだ。
「p○xiv」や「小説家に○ろう」もなかった
二次創作にせよオリジナルにせよ、大勢のオタクが様々な作品を作り、アマチュア同士で楽しむということが増えてくると、イベントがなくてもいつでも楽しめるようになったらいいのに、という欲も出てくる。二次創作の分野で、この欲に応えたプロのゴリラがいた。
これが「アニ○ディア」や「ファン○ード」などの「読者投稿型アニメ雑誌」と呼ばれる雑誌である。
インターネットがない時代、遠く離れたオタクの作品を拝もうと思うと、イベントに参加して同人誌を買うか、このような投稿型雑誌を買うしかなかった。こうした投稿雑誌にイラストを描いた紙やハガキ、小説をしたためた便箋などを送るいうことはとても楽しいことだった。そのまま置いておけば誰にも見てもらえないかもしれない作品を、全国の同じ趣味の人が見てくれるかもしれない。その楽しさは、現代の「p○xiv」や「小説家に○ろう」に通じている。インターネットの投稿サイトであれば、投稿すれば作品がページに載らないということはないが、この時代は「送ったハガキが雑誌に掲載される」ということ自体が嬉しいことであり貴重な経験だった。
ここまでお読み頂ければ分かる通り、現在我々が当たり前に使っている「オタクとしてのインフラ」のほとんどは、昔のオタクたちがパッションの末に編み出してきた方法の上に成り立っている。同人イベントというのはアマチュア、素人の集まる場なのだが、そのような場を専門的に提供する企業や毎年その場のために会場を貸してくれる企業などが存在するのは、過去のオタクたちが熱意を持ってその文化を生み出し、続けてきたからだ。
かつて「同人活動」とは今よりもずっと手間も費用もかかるものだった。始めるためのハードルは高く、続けていくハードルはもっと高かった。軽い気持ちで始められる趣味ではなかったのだ。だが、オタクたちはこの活動を連綿と受け継いできた。それだけのパッションを持ち続けたオタクがいたからこそ、我々はイベントに参加して推し作家の神本を手に入れたり、投稿サイトでまだ見ぬ好みの作品に出会うドキドキを味わったりも出来るのだ。
我々はオタクのパッションの上に立っている。
同人誌という趣味の産物
同人誌の歴史を紐解いたところで、それではジャングルのゴリラにおいて同人誌とはどのように捉えれば良いのか、という話をしておこう。再三の勧告ではあるが、目次でも申し上げている通り、ゴリラの書く記事はゴリラに向けた文章であり、半分くらいはゴリラ語である。人類の皆様の中には肌に合わない方もおられるだろう、そこはご自身で判断して頂ければ幸いである。
元々同人誌は、同じ「サークル」の仲間にだけ配るためのものだった。印刷費用を払ってもらえば、「サークル」の参加者ではなくても配ることもあった。アマチュアだからこそ、「売れる」作品ではなくても本にすることが出来た。アマチュアだからこそ、「本気でこの作品が欲しい」という人にだけ届けることも出来た。それが同人誌だ。そして、この本質は今もそう大きくは変わっていない。
インターネットが発達し、オタクはかつての世界よりもずっと多くの人に、ずっと早く作品を見てもらうことが出来るようになった。だがそれは結局「趣味の活動」という部分から逸脱してはいない。本当に好きなものを、本当にかきたいようにかき、本当に見たい人が見る。それでいい。それがいい。それこそが「同人活動」というものである。そうゴリラは信じている。
「大勢の人にウケるものじゃなきゃ」というのは、とどのつまり「売れるものじゃなきゃ」ということと同じである。だが趣味の活動に「売れる」必要はこれっぽっちもない。好きでかいているものを、好きな人が見る。そこに商業誌のような「売れない作品は打ち切り」などという無情は存在しない。作者がかきたい限り、作品は続いていくだろう。そして作者がかきたくなくなれば、どれほど大勢の人が持て囃したとしても打ち切られるだろう。それが「同人」だ。
どんなに尖った作品でも、どんなに世間では少数派の考えでも、「売れる」必要はないのだからそれを否定する権利は誰にもない。人とは違った意見でも、作品として完成度を高めればそれを面白いと言ってくれる誰かがいるかもしれない。
どんなに部数が少なくても、どんなに活動頻度が少なくても、「売れる」必要はないので誰にも非難する権利はない。同人誌の印刷費用というのは現代でも幼児のお小遣いとは比べ物にならない金額である。作品を作り出すということは気力も体力も時間も、費用もかかる。そして趣味の活動だから、報酬が得られるとは限らないし、報酬がそもそも目的ではない人もいる。それらを押しても本を印刷したいと思うかどうかは、作者の気持ちでしか決められない。
どんなに見てくれる人が少なくても、どんなに「評価」されなくても、恐れる必要は微塵もない。「売れる」必要がないのだから、誰も貴方を叱ったり嘲ったりする権利はない。もし貴方が「評価されない」ということにひどく苦しんでいるとすれば、それは貴方自身が「大勢の人にウケる」ということに強い価値を感じているからだろう。だが創作の道でそれを叶えるのは、途方もない博打である。これについては以下の外部記事に書いているので、まだご覧になっていないという方は是非ご一読頂きたい。
「創作と感想とゴリラダンス」
終わりに
愛すべき森の仲間たちよ、どうか忘れないでほしい。「同人」とは元々「同じ趣味の人」を指す言葉である。そう、趣味なのだ。好きなことをする。それは当たり前のことのようだが、時にはまったく当たり前ではなくなってしまうこともある。
生活が困窮し、好きなものを楽しむ余裕もなくなってしまうことも。
心や体を壊して、好きなものよりも命を優先しなくてはならないことも。
大きな責任を負って、好きなものをゆっくり見られるほどの時間も精神も持てなくなってしまうことも。
人間には、そういうことだってある。だから忘れないでほしい。
好きなことをするというのは、特別ですごいことなのだ。好きなことをしているということは、とても文化的で健やかなことなのだ。好きなことをしている人は、社会のルールに反したり大切な人を傷付けたりしなければ、誰にも止められないのだ。それが、趣味というものだ。どうか趣味を楽しんでほしい。時には悩み苦しむこともあるかもしれないが、それは貴方自身が選択した「趣味」というジャングルに存在する大自然である。本当に命の危機を感じるほど苦しいなら、「趣味」を辞めたっていい。時々休んだっていい。
好きなことをする。誰にも止められないし、誰にも認められないかもしれないことを、ただ自分の意思でおこなえる。それだけのことだが、それは尊いおこないである。ジャングルのゴリラはいつでもそう信じている。皆さんにもそう信じて頂ければ、ゴリラにとってこれほどの幸せはない。
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