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灯した火が消えるとき。

自分の入院記録を書きあげる前に姉のちゃむ(精神疾患あり)が入院してしまった。

わたしの誕生日の朝には警報が鳴り、ちゃむは五日間我が家に滞在してのち入院となった。

どんな五日間だったかは書かない。

その時からわたしはずっと持っていたキャンドルを昼も夜も灯した。灯し続けた。まるで何かの儀式のように、それを眺め続けた。

そのキャンドルを持って父であるぞんと山小屋までいった。

キャンドルは静かな森の夜の中では、とても小さく感じられた。大きな自然のなかでは、キャンドルの灯りなど小さいのだ。

そして気づいた。わたしはずっと、キャンドルの炎の中に内なる自然を求めていたことに。

深く息をして、そしてまたキャンドルが燃えるのを眺めた。
キャンドルが自ら消えてしまうまで、自然の中で椅子に腰掛けて待った。

キャンドルが消えたのは山小屋へ行ってから3日目の朝だった。

何かが腑に落ちた。

それから森を散歩した。秋の寒い空気の中で、紫色の紫陽花が、鮮やかなまま、道に横たわっているのをみた。

とても静かな気持ちになった。

帰りに林檎園によって林檎をたくさん買った。


すると今度はまた違う警報が鳴った。

恋人のお父さんが逝ってしまったことを知らされた。恋人の彼は今年、たくさんの親族を失っている。

わたしはまた新しいキャンドルに火を灯した。
そして今朝、自分をハグしたまま理由のわからない涙がずっと流れている。わたしが泣くなんて身勝手な気もするし、失礼な気もするけど、でも止まらない。

自分の人生を生きなくてはいけない。
それが故人に対する義務?みたいな気がする。



世の中の大抵の人は彷徨う。わたしもそう。

どうぞ安らかに。

どうか安らかに。

遠山ハルでした。

#精神疾患 #日常 #日記 #キャンドル #遠山ハル

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